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小さき花-第5章~7

2022-09-10 14:29:45 | 小さき花

 私は早くカルメル会に入りたいという希望を打ち明け、涙ながらにその許可を願いましたところ、そのとき父も泣きました。そして私の望みを翻さすためカルメル会に入るなとは言わずただ「斯様な大事な事を決心するには、まだ少し若い」とのみ言われましたので、私はそのことについていろいろと弁護致しました。私の感心なる父は正直寛大な性質をもっていましたから、私の言い訳をよく聴き入れてくれましたので、私の心の中は晴れました散歩が長く続きまして、父は最早涙を流さず私に向かって聖人のように話し、やがて少し高い壁垣の方に行って、私に白く小さい花を見せました。この花は小さい画像等によく描いてある百合に似ております。父はその花の一つを取って私に渡しながら、天主様がいかなるお世話を以って今日までこの花を育てられ、これを咲かせなさったかという事について詳しく説明を去られました。
 その話の中にはちょうどこの小さき花と小さきテレジアと似ているところが沢山ありますので、私の履歴を聴くような心持が致しました。それゆえ私は此の小さき花を形見として貰い、今日まで大切に保存しております。しかして父はこの花を採る時には少しの根も折らずにとりましたので、まだ他の豊饒な地に移植えるために取ったように見ました。そして父はこれと同じやり方を以って、即ち私が今まで生活して居ったこの愉快なところを離れるのを許すを以ってもっと豊饒なカルメル会の中に移植えてくださったのであります。
 私は此の小さき花を貰って、イエズス様を抱いておられる聖母マリアの御絵の上に当てました。するとイエズス様は御手にこの花を持たれているように見え、聖母も又これに微笑まれるように見えました、今日もこの花がそのままに残っておりますが、ただ幹が根の側で少し折れております。これがちょうど間もなく、天主様がご自身の『小さき花』なる私を切って地上に美しき艶を失わぬように計らいなさるだろうという事を教えるかのように見えます。
 私が腐心して居った父の許可もこうして許されましたので、之から後は少しの妨げもなくカルメル会にすぐ飛んでゆくことが出来ると思っておりました。ところが叔父が私の決心を聞いて「まだ15歳になるかならないかの身体をを以って、この厳しい修院生活をするのは常識に背くように見える、また斯様な生活を子供に許すのは宗教上の為にも良くない、私はあくまでも反対である、意見は変えない」と申しましたので私はいかに言い訳をしても、叔父の反対を翻すことは出来ないという事を悟り大いに悲しみました。そして私の唯一の慰めは祈禱であったので「なにとぞ叔父が求める所の奇蹟を与えてください、奇蹟がなければとても主の招きに応ずることが出来ませんから……」と朝夕イエズス様に願っておりました。その中に段々と日時が過ぎ去り、最早叔父はその会話の事を忘れているように見えておりました、しかし実際叔父は私のことについてこのとき非常に気をかけておったという事を後に知りました。
 聖主は私の霊魂の望みの光線を輝かしてくださる前、3日の間続いていま一つの大いなる激しく苦しみに合わせてくださいました。私はその時かの聖母マリアと聖ヨゼフが、エルサレムに於いて見失われた幼きイエズス様を探されし時の憂い悲しみを深く悟ることが出来ました。そしてこの間私の霊魂はちょうど恐ろしい沙漠にいる如く、否荒れ騒ぐ海の上に家事もなくただ波のまにまに弄ばれている古き小舟の如く、今にも砕け沈むかも知れぬような危ない有様でありました。この船の中には聖主イエズズ様が寝て居られているという事を確かに知っております、がこの暗闇でどうしてその御姿を視る事が出来ましょうか、もし嵐が起こり大雨が降ったならば電光が雲を裂いて閃いたかも知れません、無論電光の明かりは如何にも物凄く刃のような明かりではありますが、それでもその電光のお陰で一時私の親愛なる御方を見つけ得たに相違ありませんが。
 その電光さえもなく、夜は深く真の暗闇で全く死人のような有様でありました。ちょうどゲッセマネの園に於いての聖主の如く、私は唯一人であると感ずるのみで、天からも地からも少しの慰めも見当たりません。そして唯自然界も私の苦い憂いに同情を寄せるように、この3日の間は太陽も1の光線も見せず、雨も大雨が降りました。私の一生涯中凡てで大決心をする時には、いつもこの自然界は私の霊魂の影写のように見えて、私は泣いている時には天も泣いて雨を降らし、私の喜んでいる時には空も晴れて雲もありません。これは度々経験した事であります。
 



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