第六章 天使と共に
十字架の聖ヨハネはいう。「聖なる愛徳の、不屈の努力は、実に偉大なるものである。」と。
完徳に達し、愛の絶頂に到った霊魂は、もう長く地上に留まる事は出来なかった。この世にても、後の世にても、神を見奉らずにおられない。御主はもはや神の栄光に入るに足りるほど、清くなった子等を、この涙の谷に残しては置き給わぬ。天上界の生命に達する愛の高嶺に、アンヌは到達したのであった。一生の終りに傾きかけているアンヌが、神の国の曙に目覚めつつある事を、人々は予感した。この世のものには執着無く、来世の物に生きていた。神を見奉り得る天に、世にある中から熱心に昇ろうとしていた。アンヌが最上の道を求めた有様は、あたかも花嫁が花婿に迎えられる時に、少しも慌てる事の無いよう、準備を整えて待っている様なものであった。
アンヌの最後の夏休みに、遊びに来ていた一人の小さな友達は、この世を去る日の待ち遠しさを、心の底に秘めている様子に感づいて、「私は、もうアンヌを見る事がないでしょう。天主は今にアンヌを御取り上げになります。もうこの世の人とは見えない。」と思わずにいられなかった。
彼女を良く観察し、かつ感嘆した者は、いずれも比類ない霊的向上を見て、彼女の心の中に働いている力に、ある種の怖れを抱いた。「神はこの子供を、どんなに深い感激をもって御用意なさっておられるのであろう。」と心に問うて見ると、突然恐ろしく、また美しい大団円が来る事が予期させられた。
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