この忠実な僕の徳行に相応しい報いが無かればなりません。
父自らこの酬いを願っておりました。母様はまだご存じでございましょう。ある日父はこの修院の応接室に来られて私等に「私はアランソン市から帰ってきた、この市の「姫君の大天主堂」の中で非常に大いなる恩寵と慰めを得たのでこういう祈禱をした「主よ、私は慰めに満ち溢れて感謝に堪えません。実に私はあまりに幸福者であります。私はこのままで天国に行くことが何か済まないような気が致しますから、主の為に何かの苦しみに遭いとうございます。それで私の身を主に……」と申されました。、が……犠牲として捧げます……という終わりの言葉を私等に知られぬ様に口籠りましたが、私等は直ぐにその意味であるという事を悟りました。
母様、あなたはその時の私等の悲痛をよく知っておられましょう。私は胸も張り裂けるほどのこの思念を詳しくここに書く必要がありません。
私の着衣式の日が近づきました。そのころ父は二度目の中風に罹って居られましたが、案外にも早く治りましたので、司教様に此の着衣式を1月10日に決められました。私はこの式を長く以前から待ちかねておりましたので、一層愉快にその式を受けました。そして少しの不足なく雪さえも降ったのであります。
雪!私は特にこの雪が好きでありました、幼い時からその真っ白い色を好んでおりました。なぜこう雪を好むようになったのでありましょうか? おおかた私は冬のひとつの『小さき花』でありますから、生れ落ちて最も先に眼に入ったのは、この世を覆う雪であったからでありましょう。私は着衣式の日にこの自然界も私と同じく白い服を着ける事を望んでおりました。ところがその前日の空は春のように穏やかで長閑であって、とても雪の降るような天候でありませんでした。1月10日の朝も同じく麗らかな蒼空でありましたので、私は子供らしいこの望みを捨てて、門外に待っておられた父を迎える為に修院の門外に出ました。
すると父は私を視て早くも涙を浮かべて進みより、私を抱きながら「おお、我が小さき女王……」と、私は父と共に堂々と聖堂に入りました。
この日は父にとってこの世の最後の祝いでありまた自分の子供等をみな献げてしまった日であります。無論セリナはまだ家に残っておりましたが「私も世間を離れてカルメル会に入ると」言っておりましたから父は大いに喜んで「一緒に天主堂に行って聖体の中に在すイエズズ様に感謝しましょう。また私の家族の中に与えてくださった多大の恩寵と、そして主が私の娘等を配偶としてお選びくださるのは、私の為にこの上もない名誉でありますから、それをも感謝致しましょう……まことに主は私の娘等をお選びくださったのはあまりも幸福名誉であります。それでなお子供よりも貴重なものを持って居ればそれをも喜んで捧げましょう…… 」と。この貴重なものというのは父自身でありました。それゆえ『主は彼を犠牲として受け取られ、竈の火の中に入れて金の如くに焼き(いろいろと苦しめて後)ついにご自分のお気に召すに相応しい者として認められ(知恵の書3の6)』たのであります。
祭式が終って私が修院に帰る時に、司教様は「テ・デオム」(我ら神を讃美し奉り……)という感謝の歌を唱え始めました、その時そばに居られたある神父が司教様に「この讃美歌は後の誓願式の際だけに歌うのであります」と注意せられましたが、司教様はすでに謳い始められておられましたので、そのまま終いまで歌われました。これは天主様が私の為に特別にお計らいくださったのでありましょう。この祝いの中に他の全ての祝いが含まれてあるからこの祝いは完全でなくてはなりません。修院の囲いの中に着くと、まずイエズズ様の御像の方に眼を注ぎいろいろの花やろうそくで飾られてある中で微笑みなされるように見えました。そして庭園の方を眺めますと不思議にも雪が降って一面に銀世界と変わっておりました。ああこれは如何にも行き届いたイエズズの慈しみではありませんか……ご自分の小さき許嫁の子供らしい望みまでも果たして雪を降らせてくださいました。世間の人々の中には、いかほど位の高い人でも、その愛する許嫁のために雪の一片でも降らすことは出来るでありましょうか……。
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