此の書の原書はフランス語にて Histoire d'une ame 「一つの霊魂の履歴」と題し、或いは Une rose effeuillée(散りし薔薇の花びら)とも題したる、カルメル会修院の一修道女フランシスカ・テレジアの自叙伝である。
本書は彼女が自らその書の題せし Histoire Printaniére d'une petite fleur blanche.「春の小さき白き花の履歴」の意を参酌し、書中自己を指して、「小さき花」と呼びし故これを題とした次第です。
テレジアが自ら筆を執り記しました、伝記中の一章より八章までも文章は、当時修道女院長であった自分の姉ポリナに宛て書き記したものであります、また九章、十章はゴンザクのマリア修道女院長に宛てたもの。十一章はテレジアの姉マリアに宛てたもの、十二章並びに教訓逸話は補遺として、修院長の記されたものである。世界各国の者が此のテレジアの伝達(とりなし)を願い、それで霊肉上の恩寵、即ち改悛せし者、不治難病の全癒せし者、特に清浄の徳を守り得し者、その他種々の恩恵を受けし事蹟は数えられぬ程で公にせられたもののみで既に大本七冊の数多きに達してあります、なかんずく第五巻を内訳すれば、改心及び霊的の恵みを受けしもの七十四件、病気平癒のもの二百十一件、霊肉とも恵みを受けしもの五十七件、その他欧州大戦争中、テレジアの出現、兵士の保護を蒙りし等二百三十三件、第六巻には六百十六件の多きを数えるに至るも、これは紙幅に限りあれば、これを省くことにしました。
『小さき花』なる幼きイエズスのテレジアはいかなる英雄的の事業を行ったのであろうか?一言すれば彼女は信仰厚き親より生まれ、幼き時より救霊の事を重んじ、十五歳の弱年を以って修道院に入って。そして彼女はただ日々の務めの中、行為の中にいかに微細なる事についても、これを犠牲として忠実に天職を竭し(つくし)、熱心に主を愛し人を愛し、二十四歳の時、肺を病みて平和の死を遂げた者である。かくのごとく単純にして短き生涯を送りし彼女が、何故地上の天使として人々に偉大な感化を与え、人々をして敬い慕う念に堪えざるようにならしめたのであろうか?
時の修院長はテレジアの経歴をよく知り、なお彼女が聖寵の奨励に従いて、日々善徳に進むのを見て、自己の霊魂上の利益参考に資せんとて、彼女に「汝の霊魂上の履歴を記せよ」と命じたのである。ところが彼女は従順と忠実を守りてこれを認めた(したためた)。修院長はこれを読むに及んで益々その信仰の厚き事、主に対しての愛の烈しき事、苦しみを愛し、人々の救霊を切に望みおりし事等に深く感じ、もはやこの光り輝く燈火(ともしび)を桝の下に置くべきものでない(マルコによる福音書第4章21節)と悟り、この世界に迷いつつ幸福を探し求めいる者の渇きを止むべく、新たな泉なる事を知って、ここに此の日と知らず生活せし修道女の伝を公けにしたのである。
彼女は臨終に際して
「我は天国に於いて、何もせずに空しく手を拱ねて(つかねて:こまねいて)おられぬ……」
「天国に於いての我が希望は教会のため人々の救霊の為に働きたい……」
「我は死してのち、薔薇の雨を降らさん……」
「我が天に昇りてから絶えず、この地上の人々に恩寵を呼び下さん」
と言うておった。ところが奇妙にもその希望が果たされ、その預言が今日に至るもなお続々と成就されつつある。此の自叙伝が初めてフランスに於いて出版されて以来、数百万部売り尽くされ、イギリス、ロシア、ドイツ、オランダ、ポルトガル、スペイン、ボローニャの諸国をはじめその他各国語に翻訳され、此の「小さき花」なるテレジアの名声は世界にあまねく響き、日々霊魂肉身上の利益を被っている者は、数千万をもって数える様になった。同修院長の訳者に送られし手紙によると、今日世界各国より修院長のもとに来る、テレジアの伝達(とりなし)によりて恩恵を受けし各階級者の感謝状は、毎日千余通に上り、彼女の遺物は間断なく各国より請求せられていると。(つづく)
読んでくださってありがとうございます。yui
本書は彼女が自らその書の題せし Histoire Printaniére d'une petite fleur blanche.「春の小さき白き花の履歴」の意を参酌し、書中自己を指して、「小さき花」と呼びし故これを題とした次第です。
テレジアが自ら筆を執り記しました、伝記中の一章より八章までも文章は、当時修道女院長であった自分の姉ポリナに宛て書き記したものであります、また九章、十章はゴンザクのマリア修道女院長に宛てたもの。十一章はテレジアの姉マリアに宛てたもの、十二章並びに教訓逸話は補遺として、修院長の記されたものである。世界各国の者が此のテレジアの伝達(とりなし)を願い、それで霊肉上の恩寵、即ち改悛せし者、不治難病の全癒せし者、特に清浄の徳を守り得し者、その他種々の恩恵を受けし事蹟は数えられぬ程で公にせられたもののみで既に大本七冊の数多きに達してあります、なかんずく第五巻を内訳すれば、改心及び霊的の恵みを受けしもの七十四件、病気平癒のもの二百十一件、霊肉とも恵みを受けしもの五十七件、その他欧州大戦争中、テレジアの出現、兵士の保護を蒙りし等二百三十三件、第六巻には六百十六件の多きを数えるに至るも、これは紙幅に限りあれば、これを省くことにしました。
『小さき花』なる幼きイエズスのテレジアはいかなる英雄的の事業を行ったのであろうか?一言すれば彼女は信仰厚き親より生まれ、幼き時より救霊の事を重んじ、十五歳の弱年を以って修道院に入って。そして彼女はただ日々の務めの中、行為の中にいかに微細なる事についても、これを犠牲として忠実に天職を竭し(つくし)、熱心に主を愛し人を愛し、二十四歳の時、肺を病みて平和の死を遂げた者である。かくのごとく単純にして短き生涯を送りし彼女が、何故地上の天使として人々に偉大な感化を与え、人々をして敬い慕う念に堪えざるようにならしめたのであろうか?
時の修院長はテレジアの経歴をよく知り、なお彼女が聖寵の奨励に従いて、日々善徳に進むのを見て、自己の霊魂上の利益参考に資せんとて、彼女に「汝の霊魂上の履歴を記せよ」と命じたのである。ところが彼女は従順と忠実を守りてこれを認めた(したためた)。修院長はこれを読むに及んで益々その信仰の厚き事、主に対しての愛の烈しき事、苦しみを愛し、人々の救霊を切に望みおりし事等に深く感じ、もはやこの光り輝く燈火(ともしび)を桝の下に置くべきものでない(マルコによる福音書第4章21節)と悟り、この世界に迷いつつ幸福を探し求めいる者の渇きを止むべく、新たな泉なる事を知って、ここに此の日と知らず生活せし修道女の伝を公けにしたのである。
彼女は臨終に際して
「我は天国に於いて、何もせずに空しく手を拱ねて(つかねて:こまねいて)おられぬ……」
「天国に於いての我が希望は教会のため人々の救霊の為に働きたい……」
「我は死してのち、薔薇の雨を降らさん……」
「我が天に昇りてから絶えず、この地上の人々に恩寵を呼び下さん」
と言うておった。ところが奇妙にもその希望が果たされ、その預言が今日に至るもなお続々と成就されつつある。此の自叙伝が初めてフランスに於いて出版されて以来、数百万部売り尽くされ、イギリス、ロシア、ドイツ、オランダ、ポルトガル、スペイン、ボローニャの諸国をはじめその他各国語に翻訳され、此の「小さき花」なるテレジアの名声は世界にあまねく響き、日々霊魂肉身上の利益を被っている者は、数千万をもって数える様になった。同修院長の訳者に送られし手紙によると、今日世界各国より修院長のもとに来る、テレジアの伝達(とりなし)によりて恩恵を受けし各階級者の感謝状は、毎日千余通に上り、彼女の遺物は間断なく各国より請求せられていると。(つづく)
読んでくださってありがとうございます。yui
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