小さき花
聖女 小さきテレジア之自叙伝
シルベン・ブスケ訳
『小さき花』は畏くも摂政宮殿下並びに皇太子妃殿下によって嘉納せらるる光栄を得ました。また某高官は此の書を読み、深く感動し『……殊に日本人が、本書を読めば、我々の先祖から伝えられた道徳の一部分である、質朴、正直、善良、献身的の聖心をこの自叙伝の内に見出し特別に心を引き付けられるのは、尤もな事であります。殊に今日に於いて小さきテレジア童貞の様な高尚な人を世人の模範として知らしめる事は至極有益な事であります………』とまで本書を賞賛されました。
読者諸君!もし天地の間に逍遥(しょうよう:=散歩)し、思うままに愉快の空気を呼吸し、超然として世俗を脱し、天上より降りし者の声を聴かんと欲せば此の愛の歌を繙け(ひもとけ)。
世の普通の者には、此の神秘を悟り得ないが、諸君は修院に於いては如何に主を愛し、如何に浄福なる生活を送るかを悟るであろう。
か弱き十五歳の花にして、我等理想の人なる聖女小さき花テレジアは、健気にも我が身の清浄を主に捧げ、教皇陛下はその美しき百合花を祭壇の為に祝した。
彼女(原文:彼 以下、”彼”が女性を指している場合は”彼女”)は小羊の如く柔和にして、天上の如く、微笑み、調子よき愛の歌を謳わんが為、カルメル修院を通りし地上の天使である
聖女小さきテレジアの容姿
聖女小さきテレジアの容姿は聖テレジアに良く似ている。彼女の背はスラリとして格好よく、毛髪は薄茶色で、顔容は百合花の如く白く、眉は秀で、眼涼しく至って気品高き御方である。そして一度紅の唇と開いて聖教(おしえ)の話しをせられる時には、あたかも天上の平和が映るが如く、優にやさしい愛が表われ、歩みを運ばれる時には尊厳の中には閑雅(かんが)にして女性の美徳が顕れる。
彼女はかくの如くその顔容は清く麗しく、その姿態は端正にして温雅であるから、兒女(じじょ)もよく之に懐き、一度彼女に接した人は誰人も皆大いなる尊敬の念を起し、深い愛情に惹かされていた。
聖女 小さきテレジア之自叙伝
シルベン・ブスケ訳
『小さき花』は畏くも摂政宮殿下並びに皇太子妃殿下によって嘉納せらるる光栄を得ました。また某高官は此の書を読み、深く感動し『……殊に日本人が、本書を読めば、我々の先祖から伝えられた道徳の一部分である、質朴、正直、善良、献身的の聖心をこの自叙伝の内に見出し特別に心を引き付けられるのは、尤もな事であります。殊に今日に於いて小さきテレジア童貞の様な高尚な人を世人の模範として知らしめる事は至極有益な事であります………』とまで本書を賞賛されました。
読者諸君!もし天地の間に逍遥(しょうよう:=散歩)し、思うままに愉快の空気を呼吸し、超然として世俗を脱し、天上より降りし者の声を聴かんと欲せば此の愛の歌を繙け(ひもとけ)。
世の普通の者には、此の神秘を悟り得ないが、諸君は修院に於いては如何に主を愛し、如何に浄福なる生活を送るかを悟るであろう。
か弱き十五歳の花にして、我等理想の人なる聖女小さき花テレジアは、健気にも我が身の清浄を主に捧げ、教皇陛下はその美しき百合花を祭壇の為に祝した。
彼女(原文:彼 以下、”彼”が女性を指している場合は”彼女”)は小羊の如く柔和にして、天上の如く、微笑み、調子よき愛の歌を謳わんが為、カルメル修院を通りし地上の天使である
聖女小さきテレジアの容姿
聖女小さきテレジアの容姿は聖テレジアに良く似ている。彼女の背はスラリとして格好よく、毛髪は薄茶色で、顔容は百合花の如く白く、眉は秀で、眼涼しく至って気品高き御方である。そして一度紅の唇と開いて聖教(おしえ)の話しをせられる時には、あたかも天上の平和が映るが如く、優にやさしい愛が表われ、歩みを運ばれる時には尊厳の中には閑雅(かんが)にして女性の美徳が顕れる。
彼女はかくの如くその顔容は清く麗しく、その姿態は端正にして温雅であるから、兒女(じじょ)もよく之に懐き、一度彼女に接した人は誰人も皆大いなる尊敬の念を起し、深い愛情に惹かされていた。
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