私は、聖主に愛されているという事を深く感じましたので「私は主を愛します。そして私の一生涯を主に捧げます」と申しました。しかし聖主は私に対して、別に何の願いをもなさらず、また何の犠牲も要求になりませんでした。最早ずっと以前から聖主とこの小さきテレジアとは相互いに見え、心が通じて相通じておりましたので、この日について聖主と私とは全く一致しておりました。そしてこのテレジアはあたかも大洋に流れ入った一滴の水のようになって、ただ残っているのは聖主なる大洋のみでありました。実に彼は主人であって、また王であります。テレジアは自由を奪い取ってくださるように度々祈りを願っておりました。なんとなればこの自由を持つのを恐れていたのであります。自分が至って弱く壊れやすい者であるという事を悟っておりましたから、いつまでも天主の御力と一致することを望んでいたからであります。
読んでくださってありがとうございます yui
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