国会図書館の本を読みやすく

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番外編 小説 秦恒平・湖(うみ)の本 『親指のマリア』

2022-10-11 20:22:15 | キリスト教

番外編です。秦恒平(はた こうへい)氏の小説 親指のマリア
http://hanaha-hannari.jp/home.htm
湖(うみ)の本をクリックし、37~39の上・中・下の3編に分かれて公開されています。

著作権は、秦恒平(はた こうへい)氏にございます。



国会図書館デジタル お勧めの本

2022-10-11 11:49:32 | キリスト教

ご存じの方は多いと思いますが、個人向けデジタル化資料送信サービスが始まっています。
登録が必要になりますが、たくさんの本が読めるようになります。
ただし、印刷は令和5年1月を目途に開始される予定となっていますが、詳細は不明です。
PDFで提供なのかも不明

現在、国会図書館デジタルで公開されている本でお勧めを書いておきます。(キリスト教関係のみ)
△は読みにくく感じたもの 〇は支障なくか、あまり問題なく読みやすく感じたもの(あくまで個人的なもの)
*以下は個人的な注釈


〇ばらの園 トマス・ア・ケンピス 著[他] 中央出版社, 1965
△愛情の書 ニーノ・サルヴァネスキ 著[他] 中央出版社, 1955
△苦難の書 ニーノ・サルヴァネスキ 著[他] 中央出版社, 1959
△信仰の書 ニーノ・サルヴァネスキ 著[他] 中央出版社, 1959
△聖マリア・ゴレッティ : 貞潔の殉教女 アスンプタ 著[他]  エンデルレ書店, 1958*聖書の引用先に一部不明あり
△聖ジェラルド・マイエラ : 或る聖人の秘密  カー 著[他]  中央出版社, 1955
〇小さき花の聖テレジア最後の言葉 聖テレジア 著[他] ドン・ボスコ社1953 2版 * 原題Novissima Verba 
〇リジュの聖テレジアの小さい母 : イエズスのアグネス童貞 リジュ・カルメル会修道院 著[他] (ヴェリタス書院, 1961)
〇幼きイエズスの聖テレジアの教訓と思い出 Geneviève de la Sainte Face, Sister 著[他] (中央出版社, 1960)
〇幼きイエズスの聖テレジア カルメル会 編[他] ドン・ボスコ社1953
〇小さきものよ,われに来たれ  リアグル 著[他]  ドン・ボスコ社, 1963
△カルメル山の小さき花. [第1~2部] テレジア 著[他] (グロリア公業, 1949~1950)
〇小さき聖テレジア自叙伝 : 幼きイエズスの聖テレジアの自叙伝の三つの原稿 聖テレジア 著[他] (ドン・ボスコ社, 1962)
〇幼いイエズスの聖テレーズの手紙 [聖テレーズ 著][他] (中央出版社, 1963)
〇三位一体のエリザベット童貞の霊的教説 フィリッポン 著[他] (ヴェリタス書院, 1951)
△栄光の讃美の黙想 エリザベット 著[他] (ドン・ボスコ社, 1955)
〇追憶 : 三位一体のスール・エリザベツト伝 デイジョン・カルメル会 編[他] (ドン・ボスコ社, 1955)
〇ただひとすじに : 聖テレジア・マルガリタの伝記 福岡女子跣足カルメル会 編 (ドン・ボスコ社, 1963)
〇バレリーナ三年間の修道生活 マリナ・ド・ベルグ 著[他] (エンデルレ書店, 1961)
〇トラピスチヌ大修道院 : ライカ写真集 間世潜 著 (トラピスチヌ写真帖刊行会, 1954)*モノクローム

とりあえず、この辺で。
個人送信=著作権が切れていないものは、
こちらのブログでPDF化してアップロードする。あるいは画像をアップロードする。等は行いません。

 


小さき花-第8章~2

2022-10-10 12:36:11 | 小さき花

 私が誓願を立てる少し前に、ローマから尊き教弟シメオン師が来られて特に私に与えて下さった祝福を与えられました。この祝福は私にとって、最も貴重なものでありまして、一生涯一番激しい嵐を防ぐために、確かに大いなる力があったのであります。
 この大切なる誓願式の日の曙の前夜常に大いに愉快に過ごされるこの夜の祈りの間、私は俄かに自分の天職がまるで夢の如く空想の如くに見えました。これは悪魔……疑いもなく悪魔の仕業であって、この「カルメル会」修道女の生活が私に少しも適当でないという事を信じさせ、私が天主様のお招きにならぬ道に進むのは、目上の人を欺くのであるという事を思わせる企てであったのであります。それでその時に私の心は修道女となるのは「天主様のお招きではないから、世間の方に帰るより外に途がない」と思う程に、真の暗闇となりました。
 ああこの時に私の憂い悲しみをいかにして言い表しましょうか。かかる当惑の中に、いかなる手段を取ればよろしいでしょうか?まず一番良き方法としてこの誘惑を早く修練長に打ち明けようと決心し、聖堂から彼女を呼び招いて恥ずかしく思いながらも私の霊魂の状態を詳しく打ち明けました。幸いにも彼女は私乗りも明らかに私の心を悟って居られましたので、私の心配に対して微笑みながら私に全く安心を与えてくださいました。許より私の子の謙遜の仕業によって悪魔が不思議にも逃げ去り、私の憂い悶えを告白する事を妨げて、段々と自分の罠に導こうと努めておった悪魔が、失敗したばかりでなく却って私の罠に陥ったのであります。私はこの恥をもっと増そうと思って、なお親愛なる母様にも!これをことごとく打ち明けました。すると母様も親切に慰めてくださいましたので、私の疑問も全く散ってしまいました。
 この誓願式、9月8日には朝から平和が我が心に満ち溢れたので、一切の知識に優れたこの平安(フィリピ4の7)の中に誓願を致しました。私はこの日に願った恩寵は如何ばかり多くありましたでしょう。その時私は実際に「女王」であるというように感じましたので、この「女王」の名義を利用して、忘恩なる僕等の為に王様の恩恵と慈悲を願ったのであります。そしてその願いの中には誰人の事をも忘れず、世界の全ての罪人を改心させたい。また煉獄の中に一つの霊魂をも残したくないと望み、なおその上に私自身の為に望んでいたことを書いてある左記の書き付けを胸にあてておりました。
「私の天配なるイエズス様よ、願わくは私の洗礼の時の白い衣服を少しも汚さないように計らってください。私のこの現世に於いて一番微小な罪悪をも知りつつ犯して、己の霊魂を汚すよりはむしろ死なせてください。どうか主のみを探し主のみを見当たるように計らってください。被造物は私にとって何の値打ちもないようにし私も被造物にとっては何の値打ちもないようにするよう取り計らってください。そして現世の事は一つでも私の平和を乱さないようにして下さい。
 主イエズス様よ、私は唯平安のみ御願い致します。平安殊に極まりなく限りなき愛を御願い致します。イエズス様よ、私は主に対する愛に殉教するよう……心の殉教かあるいは肉身の殉教を与えてください。ああ!むしろ乞い願わくは二つとも与えてください。
 私の約束したことを完全に果たすように計らってください。誰も私に注目しないように、そして私は砂礫のように人々の足に踏まれて忘れられるように計らってください。ああ深く我が愛する御者よ。すべての被造物(悪魔も人々も自己も世間の事も)決して妨げることが出来ない様、いつも主が私の中にその聖慮を完全に行いなさるよう、私を主に捧げます……」と。
 この愉快な日の晩、私は式の時に用いた薔薇の花冠を慣例によって聖母の御像の御足の許に置きました。この大いなる我が幸いはいくら年月が経ても決して減らないという事を深く感じておりました。


小さき花-第8章~1

2022-10-09 14:26:07 | 小さき花

 第8章
 
  母様!私は誓願を立てる前の黙想会についてお話を致しましょう。この間は慰めを受けるというよりも却って見捨てられたようにこの上もない無感覚でありまして、イエズスはいつも私の小さき船(霊魂)の中に眠っておられました。ああ聖主を心の中に、静かに眠らせ参る霊魂等は至って稀であります。私はこの事をよく悟っております。この良き御主は進んで聖寵の種々の勧めをもって御慈しみを垂れ、人々の心をご自分の方に惹こうと、絶え間なく働き疲れておられるから、私が静かに主を休め参らせたい気があるのをご覧になって、甘んじて私の心の中に休み給うのであります。主は大方私が永遠の大黙想会(天国)に入るまで御眼を醒めますまい、しかし私はこれを辛いというよりも、却ってこれが為にこの上もない愉快であります。
 まことに私はなかなか聖女ではありません。ただこの志だけでこれを証明しております。即ち私は自分の心の中に起こる無感覚の為に喜ぶよりも私の不熱心と不忠実に帰せねばなりません。また私は黙想の間や感謝の祈祷の間に度々眠ったという事を悲しまねばならない筈であります。しかし私はこれをあまり嘆きません。私は幼き子供等の眠っている時でも目覚めている時と同じ様にその親たちの気に入る、また医師は大手術を為す為に患者を眠らせるという事をも知っております。なお聖主は私等の弱き事、又私等が塵に過ぎない者であるという事をよくご存じであろうという事をも知っております。
 かくのごとく私のこの誓願式の前の黙想会も……また後の黙想会も大いなる無感覚であって、少しの慰めをも得ない黙想でありました。しかし私は知らず知らずのうちに、天主様のお気に召す方法と徳を行う方法とを明らかに下されたのであります。イエズスは私に糧食を蓄えるさせるという聖慮がないという事を度々経験致しました。即ち主は必要のある度毎に必ず新しい代わった糧を以って私の霊魂を養って下さいます。そして私はこの糧がいかにして与えられたかという事が分からぬままにこれを受けているのであります。つまり私はただこう思っております……私の貧しく弱き霊魂の奥底に深く隠れておられるイエズズ様は、不思議な方法によって私の心の中で働かれ、現在ご自分の為に何をして欲しいかという事を、その都度私に示してくださるのであろう……と。


小さき花-第7章~9

2022-10-08 06:17:14 | 小さき花

 イエズズ様は私に教えて下さったところに立ち戻りましょう。ある夜、修課が終わって後ランプを捜しましたが、いつも置いてあるところにありませんでした。折り悪く断じてこの時は断じて無言を守らなければならない時間でありましたので、他人に尋ねることが出来ません。その時私はこれは疑いもなく一修道女が間違えて、私のランプを持って行ったのでしょう……しかしこの為に暗闇のところに1時間も辛抱しなければならないのか?……殊にこの夜はいろいろの仕事をしたいと思っていたので、もし私の霊魂を照らしていた聖寵の光がなかったならば、私は呟いていたの相違ありませんが、幸いにも聖寵の光を受けておりましたお陰で憂いを感じるに反して却って大いに喜びました。この清貧の徳はただ気にいる事や、不必要なものが欠けているのを辛抱するのではなく、是非なければならないものが欠けて居るのを辛抱する事があるという事を思いましたので却って大いに喜びました。このように私の身体は暗闇の中におりましても、霊魂は聖寵の光に照らされておりました。
 その時私はなお一番不便利と一番醜い器具を、殊更に愛するようになりました。例えば私の部屋に立派な小さな水がめが備えられてありましたが、この代わりとして疵のある粗末な水瓶が備えられた時に喜びました。また私は何事も言い訳をせぬようにといろいろ力を尽くしておりました。これは至って難しい事であって、修練長には何事も言い表さなかったので、この言い訳をしないという事が尚更に辛くありました。私の最初の勝利はそんなに大きな勝利ではありませんでしたが、しかしなかなかに得難くありました。
 ある日誰かが小さい器物をある窓の上に載せて置きましたが、この器物は落ちて壊れました。修練長は、この器物をこの窓に置いたのは、私の所業であろうと思って、私に「これから後、よく注意しなければなりません。少しも起立がない」と不満足気に申しました。しかし私はこれが私の仕業でないという事を言い訳をせず、直ぐに地に接吻しながら「これからよく注意いたします……」と申しました。この時私は徳が足らなかったために、こういう些細な犠牲も非常に辛くありました。そしてこれをするだけの勇気を得るために「公審判の日には何事もみな公になる」という事を考える必要がありました。
 また私は徳に気をつけていましたのは、隠れたる善徳の所業を努めることでありました。例えば他の修道女達が忘れていた衣類を畳むことを楽しみとし、人知れず彼女等の世話をするいろいろの機会を探していました。種々の苦業を愛する傾きをも得ました。しかしこれに応じて行くためにまだ許可が与えられません。ただ許可されていた苦業は、私の自愛心を挫くための苦業だけでありましたが、これが私にとって却って身体を苦しめる苦業よりもなお一層の利益となりました。
 聖母マリアは私の霊魂を飾るために力を添えて下さいました。その装飾が終わってから後は自然に妨げが無くなりました。そして誓願を立てる日が1890年の9月8日と決定しました。私は唯僅かの言葉を以って言い表した事を更に詳しく書くには、まだ沢山のページが必要です。しかし、この沢山のページは決してこの地上では読まれません……。

第7章終わり。以降第8章。