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茨城より発信します  再建した五浦六角堂(2)岡倉天心の墓地

2013-09-18 07:00:00 | 茨城紹介

岡倉天心は福井藩の武家の子として横浜に生まれています。

東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立に大きく貢献し、

また日本美術院を創設しました。

近代日本における美学研究の開拓者で、英文著作で美術史、

美術評論家として活動、美術家の養成など広範囲な活動を行い、

明治以降に於ける日本美術概念の成立に寄与しています。

1890年、東京美術学校第2代校長に27歳で就任、

この頃が最も活動がさかんでした。

同校での美術教育が特に有名で、福田眉仙、横山大観、下村観山、

笠間市に木村武山記念館があります。

菱田春草「落葉」茨城県近代美術館蔵  

菱田春草、西郷孤月らを育てたことで知られています。

下村観山「太原之露」茨城県近代美術館蔵  

岡倉天心生誕150周年 没後100周年記念

復興支援映画が製作されました。


1898年、東京美術学校を排斥され辞職。

同時に辞職した横山らを連れ、日本美術院を上野谷中に発足させました。

1901年 - 1902年インド訪遊、タゴール、ヴィヴェーカーナンダ等と交流。

1906年、美術院の拠点を茨城県五浦に移しています。

1910年、ボストン美術館中国・日本美術部長。


日本が招聘したアーネスト・フランシスコ・フェノロサは、

アメリカ合衆国の東洋美術史家、哲学者で、岡倉天心が

通訳をし親交が高まっています。

1913年 新潟県赤倉温泉の自身の山荘にて永眠。

同日、従四位・勲五等双光旭日章を贈られました。

墓所は豊島区駒込の染井墓地で遺言によって

分骨され五浦にも墓があります。