ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の話他、幕末〜明治維新の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮などの話も。

キャラクター制作帳 ①21歳の犬養毅

2023年11月02日 | 文学・歴史・美術および書評
シリーズも後半、もう終盤ですが
ストーリーを追ってしまって、各キャラクターへの掘り下げ
これに何ページどの程度割いたらいいかが難しかったので
補足は別途やろうと思います。

補足的に各キャラについて史実も添えて、作品ページも紹介しながら、
少しずつ書いていきます。

まずは本日は

犬養木堂(毅) 

「雲よ、伝へて!」では常に主人公、伝にとっての兄貴役です。


福澤諭吉の「慶應義塾」の超貧乏学生

他の人はほぼ「士族」という慶應義塾でしたが
三重の牛場卓造と犬養だけが「庄屋の子」という平民です。

14歳のとき、父親をコレラ(ではないかと本人談)で亡くし
とにかく実家をなんとかしないといけないと、
東京に学びに出る決意を固めました。

母方のおじさんから上京の時15両を借りたものの
途中神戸から横浜に向かう間に、田舎学生と侮られたのか
ぼったくられて残り9両に。

上京して知り合いを訪ねると、すでに引っ越していていない…
金どんどん無くなる。さあ困った
(そんな映画何かで見た)
幸い、その知人が親族である警部に紹介状を送ってくれていたので
その人の紹介で、まずは湯島の「共慣義塾」に入学。

寮費が格安!激安!だったそうです。
でも「よかったね〜^^」じゃないです。

安いということはなぜ安いかというと、食事が超粗末で
その辺のドブだか溝だかでとってきたドジョウが食事に出る
というような有様で、食事の酷さに閉口したらしいです。

しかもこの塾を創立したのは…

福地源一郎です。



ヒャッハー!!😂 


その頃から恨み?があったかね
いや、ハングリーストレイドッグな犬養の前に、
奥儒医の出身福地源一郎。ご子息様からの官僚…

もしかして福地の存在自体が
悔しかったらヴェルサイユへいらっしゃい」に見えていたかも…






↑「雲よ、伝へて!其の三」より

ずっとこれか〜。


「木堂雑誌」から彼の談話を見てると
しっかり「東京日日だけは御用新聞」って書いたりしています。
(正しくは、福地的には御用新聞になれるものならなりたかったけど、井上馨が
こともあろうに福沢諭吉にオファーしてしまった、が正解です)


犬養の部屋には机もなく
持ってきた行李(今ならダンボール箱です…)をひっくり返して使い
蚊帳が無いので風呂敷をかぶって寝たそうです。

(あああ〜学生時代の貧困は自分にも経験があるのでよくわかる…
余談ですが、自分も親の事業が立ち行かなくなっていった頃なので
仕送りがゼロになり、誰も知らない土地にただ一人。
これ、貧苦よりも孤独感と不安感でメンタル病みますね…)

漢学の知識があったので、漢学講師のバイトをしようと思ったものの
断られ、いよいよもうダメかと思った時
路上で偶然、山口正邦という官吏に出会い
窮状を述べると
「知り合いに藤田茂吉というのがいるから会ってみないか」
と言われました。


藤田茂吉。
vol.7で船上にいた人ですw

郵便報知新聞の記者。

慶應義塾を出たところ。藤田さんが郵便報知新聞に入ったのは
福沢諭吉のコネですが。


その藤田さんがまだ下宿住まいをしていたんですが
新たに家を持つことになったので「来ないか」
と言われ、お世話になることに。

「漢学の素質があると聞いたが、何か文章を書けるか」
と犬養に聞いたところで
出された文章(今だとポートフォリオなのかな)
これが気に入られ、そのまま郵便報知で採用になったようです。

「木堂」のペンネームを授けたのは栗本鋤雲主筆。
大河ドラマ「青天を衝け」に出てましたね。


昼は慶應義塾で講義、夜は原稿執筆
士族の多い場所では差別も受けたりで
負けん気の強い犬養は学食でナイフ持って大喧嘩やらかしてます。

また、本人談で「貧苦に喘いだ」割には
「質素が大事」とかいう割に
遊郭に遊びに行って、諭吉に怒られたりしています。
(「遊郭」はフェミ系のあれこれが絡むので注意するところですが
幕末明治のそれを今風な感覚で読むと「地下アイドルのライブ」でいいと思います)

西南戦争の現地取材をする代わりに学費を払ってもらえる約束でしたが
この藤田さんてのが…面倒見は良いんですが
金が絡むとどうしても人間関係厳しくなって
その後、ブラック労働のあり方に疑問を感じ、郵便報知を辞めてます。

慶應義塾もトップと1点差で負けたとかを理由に中退…
自分で「東海経済新報」を創刊。
逆境でも黙ってない、必ず何かはやるのが犬養さんらしいなと思います。
そういう所が好きです。

戦前に「軍縮」を唱えた犬養毅。
その金あるなら教育を充実させろと訴えた。
自らの経験もあるのでしょうね。


↑でもこれ次回「其の九」のフラグなのでおぼえといて下さいw

ーーーーー

 以下、キャラクター制作余談。

最初は主人公を犬養でやろう案はあったのです。
主人公の伝がチビなのはその名残かも…
犬養さんは漫画ではキャラ被るので盛ってしまったけど
リアルでは犬養さん、小さい方です。
あくまで「新人が何も知識の無い目でその世界に飛び込んで取材」
犬養の記事が人気だったのも、そんな部分があったのかも。

「歴史の効用はあたかも読者がその場に飛び込んで
その状況や心情を体験できるようなところにある」
と、福地源一郎が「史論」で語ってます。
また福地か。
いや、そうですよね(^^)と。


犬養さんの
衣装については
熊本に行く前に洋装を拵えたとかで
(ズボンと色が合って無いんだが)



これを意識しつつも「ちゃんと着ないだろうな〜」とか
まああまり「史実はー」をやっても描いてて面白くないので
絵は感覚で描こうと;その分シナリオ、テキスト方面だけはしっかり調べようと思いました。


生涯を通して
ファッションには全く無頓着」

この辺も「着道楽の伊達男」とまで言われた福地桜痴(源一郎)と正反対ですね〜。


その辺で寝れる神経は福地には無い;
(福地はちょっと風邪気味ですら一人称が「僕」に戻ってるからな!😂 )


ーーーーーーーーー
以上、本日は犬養木堂のキャラについて
「雲よ、伝へて!〜明治報道奮戦記〜」シリーズを振り返りながら。

作品詳細はこちら〜^^



12/3 東京ビッグサイト COMITIA146 にも参加予定です!!
新刊はシリーズ其の八ともう1冊なんかあるかも?
犬養さんのシールもおまけグッズで予定しています^^

スペース 1F 西1ホール  L-18a

よろしくお願いします!頑張ります!



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