秋で良い天気です。
でもあんまり出かけずに近所のコメダで読書してますけど。
秋というのは
「ヴィオロンのため息の」
ヴェルレーヌの詩ではないですが、ちょっと夏の疲れでセンチメンタルになりやすい…。
父が他界して半年経過しました。
父は35年くらい前まで、事業(書店と教材販売)を営んでいましたが
世間の波に勝てず、4000万円ほどの借金を残しました。
ああ、これが遺産だったらよかったのに(笑)
当然ですが亡くなったらその借金は
親族に降りかかります。
それの相続放棄の申立てをしなくちゃいけない。
それも熊本の家庭裁判所を通してということになります。
まず悲しんでいる場合ではなく
弁護士を通して書類作成、提出
それと並行して、実家の片付けに葬儀、初七日、お墓はどうする初盆は…(バタバタ)
夏はなぜか仕事が立て込んでしまったのもあって
弟の家族や弁護士さんその他のお力添えのお陰で(非力すぎて本当にすまない><)
なんとか乗り切りました。
やっと乗り切った所で新刊も準備、
という時に今度は新型コロナ感染騒ぎでした。
なんかちょっと疲れたな、やれやれ…で
休んでしまうと、今度は「忙しいから」で蓋をしていた
受け止めきれなかったものが表面化してきます;
葬儀の時は親の死って「こんなもんかな」って思ってました。
「うちは浄土真宗だからすぐ成仏」とか言ってたもの。
先日のイベントで、歴史サークルで出ているせいもあって
「うちのおじいちゃんは南満鉄だったんですよ」と言ったら
お隣サークルさんから「お嬢様じゃん!」って言われました^^
祖父はかなりの「役人」「軍人」で厳しかった。
芸術のげの字も無かったような。
むしろ嫌っていた。
それに反抗したかのように、
戦後の高度経済成長期を生きた父はギターを弾き
文学青年であり、ちょっと油絵なんかもやっていた様です。
だから漫画を描いても叱られませんでした。
(今でこそ大学で漫画教えたりするけどね!昔は漫画は不良がやるものだったのよ)
小さい時に、熊本の城下町の、町家を改造して作られた書店の
奥にある在庫の、売れ残った在庫
ヘルマン・ヘッセもあったしポルノもあったw
教育には全くよろしくない所で育ってしまいました。
父は一部の親戚とお金のことで揉めてしまったり、妙な詐欺にも遭ったり
再婚したせいで実母の実家とは疎遠になったり
借金取りの電話に怯えたり、色々ありましたが
「熊本で書店をやる」というのは昭和時代までは
とても大事なことだったんだなと
最近あれこれ研究し出してから感じたことです。
さて時代は進んで、徳富蘇峰らを出した
ジャーナリズムはどこ行ったのか
書物は…
今ではネットでダウンロードです。
いやはや!21世紀だなあ。
父と母はもうこの世にいませんが
本というのは「単なる物販であってはならない」と教わりました。
(まあそんな理想のおかげで商売が上手くいかなかったのかもしれませんが)
読書の秋。
読書週間です^^
時代から時代へ、心のバトンを繋いでいく
人の魂が健全でいられるには
世の「まやかし」に従ってはならないのだと思います。
その眼力は、読書で培われるんではないでしょうか。