私の現在の食習慣の原型は、生まれてから高校卒業するまで18年間住んだ金沢での食習慣であるだろう。
で、私が「金沢出身です」と言うと、大抵の人は、兼六園を話題にすると共に「日本海の魚や蟹、海老が美味しいのですよね」と言う。確かにそのとおりだが、動物性蛋白質として魚系統だけでなく、肉も食べていた。天狗中田という有名な肉屋があって、今も天狗中田製の「ソーセージ」を近商・高の原の肉屋で買うことが出来る。
天狗中田本店は、新竪町と竪町の「つなぎ目」辺りにあったが、支店は金沢市内のあちこちにあり、近所の寺町三丁目にもあった。私は、何時もそこに「使い」に行ったが、その「使い」は好きだった。帰ったら美味しい肉が食べられるということの他、肉のスライスなど見ているだけで面白かった。当時は肉の等級が、細切れ、中肉、上肉とあって、大抵は細切れ、たまに中肉があった。今は100g単位で買うが、当時は百「もんめ」単位だった。牛肉が殆どで豚肉はたま、鶏肉は殆ど食べなかった。
肉料理は、大抵は「すき焼き」だった。だから今でもたまに食べたいと言うのは「すき焼き」である。当時、肉は健康に良い、と素朴に信じていた。ただ、魚に比べて高いので、そんなに頻繁には食べられないという感じだった。
その後、祖父、母がなくなった後、祖母が80歳を越えて生きたが、60歳頃から、健康に良いと信じて、何時も肉を食べている感じだったが、75歳を過ぎる頃から殆ど食べなくなった。経験から、肉を多食すると体の調子が変になる、と気づいたせいであると思う。足の関節が痛くなり歩くにくくなったりしていた。
そういう姿も見ているので、私は、魚中心で「ま(豆)・ご(胡麻)・こ(米)・は(若布)・や(野菜)・さ(魚)・し(椎茸)・い(芋)・ヨ(ヨーグルト)」になっている。私は「ヨ」を除いては金沢時代から好きである。金沢市民全体としては当時も今も魚中心であろう。実際、寺町通りには、肉屋一軒に対して魚屋が三軒もあったのである。
で、私が「金沢出身です」と言うと、大抵の人は、兼六園を話題にすると共に「日本海の魚や蟹、海老が美味しいのですよね」と言う。確かにそのとおりだが、動物性蛋白質として魚系統だけでなく、肉も食べていた。天狗中田という有名な肉屋があって、今も天狗中田製の「ソーセージ」を近商・高の原の肉屋で買うことが出来る。
天狗中田本店は、新竪町と竪町の「つなぎ目」辺りにあったが、支店は金沢市内のあちこちにあり、近所の寺町三丁目にもあった。私は、何時もそこに「使い」に行ったが、その「使い」は好きだった。帰ったら美味しい肉が食べられるということの他、肉のスライスなど見ているだけで面白かった。当時は肉の等級が、細切れ、中肉、上肉とあって、大抵は細切れ、たまに中肉があった。今は100g単位で買うが、当時は百「もんめ」単位だった。牛肉が殆どで豚肉はたま、鶏肉は殆ど食べなかった。
肉料理は、大抵は「すき焼き」だった。だから今でもたまに食べたいと言うのは「すき焼き」である。当時、肉は健康に良い、と素朴に信じていた。ただ、魚に比べて高いので、そんなに頻繁には食べられないという感じだった。
その後、祖父、母がなくなった後、祖母が80歳を越えて生きたが、60歳頃から、健康に良いと信じて、何時も肉を食べている感じだったが、75歳を過ぎる頃から殆ど食べなくなった。経験から、肉を多食すると体の調子が変になる、と気づいたせいであると思う。足の関節が痛くなり歩くにくくなったりしていた。
そういう姿も見ているので、私は、魚中心で「ま(豆)・ご(胡麻)・こ(米)・は(若布)・や(野菜)・さ(魚)・し(椎茸)・い(芋)・ヨ(ヨーグルト)」になっている。私は「ヨ」を除いては金沢時代から好きである。金沢市民全体としては当時も今も魚中心であろう。実際、寺町通りには、肉屋一軒に対して魚屋が三軒もあったのである。