*フジタタイセイ脚本・演出 公式サイトはこちら シアター風姿花伝 11月1日まで(1,2,3)
昨年秋より「見逃せない劇作家」として強烈に印象づけられた劇団肋骨柑同好会のフジタタイセイの新作である。山合いの村で旅館を経営していた父が亡くなり、5人きょうだいとその連れ合いや子どもたちが、久しぶりに顔をあわせた。そこへ見知らぬ美しい女性が弔問に訪れてから数時間の物語である。
小説の舞台化や古典、近代戯曲の演出ではなく、フジタタイセイオリジナルの作品の観劇は、これがはじめてである。舞台は亡くなった父が経営していた旅館の母屋で、そこに総勢16名の人物が出入りする。当日パンフレットには、登場人物の一覧表が俳優の写真入りで掲載され、餌取家の親族と旅館の従業員、旅館に宿泊していた三流小説家、そして弔問に訪れる謎の女によって繰り広げられる120分である。
葬儀や四十九日に、予期せぬ来客によって一家が大混乱に・・・という流れは珍しくない。本作も、謎の女によって5人きょうだいの兄たち3人の夫婦、子どもたちの秘密が次々に暴露される。アル中や浮気、不妊に(おそらく)セックスレスなどは特異なことではなく、むしろ凡庸である。しかし秘密が明かされる過程や俳優の演技は決して凡庸ではなく、思わず前のめりになるほどであった。
長男夫婦には娘がふたりおり、高校生の次女は相手のわからぬ子を身ごもっている。謎の女はその相手すら知っているようであり、のみならず長男の心の闇にまで踏み込んでいく。このあたりから、舞台である田瓶市沼田町に古くからまつわる道祖神信仰に話が及び、物語の着地点がわからなくなった。謎の女が何ものであり、故人とどのような関係にあったかは最後までわからず、よって一家を掻き乱す目的も不明のままであった。一家の話に割り込んでくる三流小説家が物語を導いているようで混乱させていたり、彼の立ち位置をよく把握できなかった。
男兄弟のなかでたったひとり独身のまま、東京で劇団員をしている四男(フジタタイセイ自身を投影した人物か)が、人間として演劇を作る者として再生を決意することに集約すれば、ぐっとわかりやすい構図になるが、やはりフジタの作劇は一筋縄ではいかないようだ。
終幕は、カーテンコールと見せておいて芝居が続き、一種の「屋台崩し」になだれ込み、まさに圧巻であった。ただし、そのあともさらにもうひとつ場が続くというのはいささか歯切れが悪かったのでは?いずれにしても「見逃せない劇作家」フジタタイセイは、「目を離せない劇作家」として、いよいよその魅力を増したのであった。
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