因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

グリング第16回公演『ピース』

2008-08-15 | インポート
*青木豪作・演出 下北沢ザ・スズナリ 公式サイトはこちら 11日で終了 外部への書き下ろしを含め、青木豪作品の劇評はこちら→1,2,3,4,5,6
 劇場に入って驚いた。舞台は壁も床も白っぽいグレーで統一されており、ベンチと椅子と吸い殻入れくらい。いつものグリング公演で舞台いっぱいの家具や小物を見慣れている目には一瞬違う劇団かと思うほどであった。外部に書き下ろした旧作と新作合わせて6つの話がオムニバス形式で描かれる。サブタイトルに「短編集のような…」とある通り、小説ならまさに短編集の趣きだ。題名の「ピース」は文字通り「かけら」を指すのだろう。自分は幸か不幸か旧作を見逃しており、既視感なく舞台に臨んだ。

 青木豪の作品には物語の過去に起こったある人の死が、現在を生きている登場人物の人生に影を落としていることが描かれているものがいくつかある。それは子どもだったり妻だったり弟だったりするのだが、ある人がこの世からいなくなることが、その人に関わる人たちひとつひとつの人生にどれだけ深い傷を残してしまうか、自分ひとりではなく、周囲の人たちとの交わりを含めてその人の人生なのだが、悲しみやわだかまりを乗り越えて和解することの難しさが伝わる。しかしテンポのよい会話には笑いも多く、ほとんどの場合温かい心持ちで劇場を後にすることができた。

 今回はこれまでに比べると笑いが少なく、温かみや希望もあるのだがやはり辛かった。題名が「かけら」だけでなく、「平和」と「ピースサイン」の意味をもつことが苦く感じられる。自分にとって最も辛かったのは、舞台上で人を殺す場面があったことだ。舞台の上では何でもアリだし、長塚圭史やマーティン・マクドナーの作品なら殺人も含めて暴力行為は珍しくない。しかし『ピース』でのあの場面は堪えた。多発する無差別殺人、「誰でもよかった」という、少なくとも殺される側には理由がまったくない理不尽な事件の数々が心をよぎったからだろうか。想像を越える事件が次々に起こっている現在、演劇にできることはなにか。心に浮かぶさまざまな「ピース」を掻きあつめ、考えている。
 

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