*ウィリアム・シェイクスピア原作 松岡和子翻訳 西沢栄治演出 赤坂レッドシアター 公式サイトはこちら 12日で終了 これまでみた西沢栄治演出の舞台評→1,2,3,4,5,6
『夏の夜の夢』を初めてみたのはシェイクスピアシアターの公演だったと思う。渋谷のジャンジャンだ。友達数人と連れ立ってみにいった。舞台と客席が一緒になって賑やかな飲み会をしたような高揚感はいまだに忘れられない。
悲劇の場合、登場人物の心情をいろいろと考える。マクベス、その夫人、ハムレット、リア王然り。オセローの場合はイアーゴだ。この人はどうしてこんな行動に至ったのか、ほんとうは何を考えていたのか。数百年も前の異国の人とは思えないくらい身近に感じられることもある。それが喜劇になると一気に気楽になってしまう。話の流れも結末もわかっている安心からか、今度の舞台では俳優がどう演じるか、つまり演出家はどんな手腕を奮ってくれるのかに興味が移るのだ。
西沢栄治による『夏の夜の夢』は、いつのまにか自分の固定概念になっていたものを壊す試みがいくつもあった。まず、結婚が間近に迫っているというのに、婚約者シーシアスに対してつれないそぶりのヒポリタの造形である。このカップルには安定感があり、物語の進行役的な役回りで、妖精のオーぺロンとティターニア夫婦と兼ねる趣向ならまだしも、あまり重要ではない印象があったのである。それがまるでマリッジブルーのようなヒポリタなのだ。しかし終幕には喜びに満ちてシーシアスの愛に応える。そのへんの彼女の心象の変化はよくわからなかったが。次に妖精パックだ。身軽ですばしっこいが慌て者。彼の間違いがこの恋の大混乱物語の発端になったといってもいいくらいだ。今回のパックは出演俳優の中では実年齢も高く、フットワークが軽そうには見えない。オーぺロンに叱責されて一応恐縮してみせるが、もしかするとこの人は故意に間違えたのではないか?終盤、疲れ果てて森の中に倒れ込む4人の男女に次々とバケツの水をかけるところ、終幕の口上ではふてぶてしさすら漂わせる。客席に向かってバケツの水をかける瞬間に暗転して終わる趣向にドキッとした。このパックは人間に対して悪意のような感情を抱いているのではないか。
長身でイケメンのボトムにも少し驚いた。座組のなかでもっとも三枚目風の俳優がやるものという思い込みがあったためだ。このように既成概念と予想を裏切りつつ、西沢版『夏の夜の夢』はおよそ1時間30分を全力疾走する。台詞が舌足らずに聞こえる俳優さんがいたり、テンションが高すぎて引いてしまうところも多々あった。俳優さん自身に舞台を楽しむゆとりがほしい。この作品はまだまだおもしろくなるはず。それは現代風の味付けを加えることで生まれるものではないと思う。愚かしくも真剣な恋の大騒ぎをもっと引き込まれて楽しみたいのである。
冒頭のシェイクスピアシアターだが、当時自分は友人といっしょに夢中になって楽しんでいた。それがあるとき友人がこんなことを言ったのだ。「わたしたちが笑ったのは、俳優さんの口調や表情のおもしろさや滑稽なところであって、作品自体を楽しんだわけではないのでは?」途端にわからなくなった。『夏の夜の夢』や『十二夜』の作品そのものの楽しさ、おもしろさ、魅力は何なのだろう。いまだに答がみつからない。それを探して自分はこれからも劇場に通う。そして西沢栄治は繊細で慎重な戯曲の読み込みと大胆な手法、演劇が人間に、社会に必要であるという信念をもってその答を提示できる演出家であると確信している。
『夏の夜の夢』を初めてみたのはシェイクスピアシアターの公演だったと思う。渋谷のジャンジャンだ。友達数人と連れ立ってみにいった。舞台と客席が一緒になって賑やかな飲み会をしたような高揚感はいまだに忘れられない。
悲劇の場合、登場人物の心情をいろいろと考える。マクベス、その夫人、ハムレット、リア王然り。オセローの場合はイアーゴだ。この人はどうしてこんな行動に至ったのか、ほんとうは何を考えていたのか。数百年も前の異国の人とは思えないくらい身近に感じられることもある。それが喜劇になると一気に気楽になってしまう。話の流れも結末もわかっている安心からか、今度の舞台では俳優がどう演じるか、つまり演出家はどんな手腕を奮ってくれるのかに興味が移るのだ。
西沢栄治による『夏の夜の夢』は、いつのまにか自分の固定概念になっていたものを壊す試みがいくつもあった。まず、結婚が間近に迫っているというのに、婚約者シーシアスに対してつれないそぶりのヒポリタの造形である。このカップルには安定感があり、物語の進行役的な役回りで、妖精のオーぺロンとティターニア夫婦と兼ねる趣向ならまだしも、あまり重要ではない印象があったのである。それがまるでマリッジブルーのようなヒポリタなのだ。しかし終幕には喜びに満ちてシーシアスの愛に応える。そのへんの彼女の心象の変化はよくわからなかったが。次に妖精パックだ。身軽ですばしっこいが慌て者。彼の間違いがこの恋の大混乱物語の発端になったといってもいいくらいだ。今回のパックは出演俳優の中では実年齢も高く、フットワークが軽そうには見えない。オーぺロンに叱責されて一応恐縮してみせるが、もしかするとこの人は故意に間違えたのではないか?終盤、疲れ果てて森の中に倒れ込む4人の男女に次々とバケツの水をかけるところ、終幕の口上ではふてぶてしさすら漂わせる。客席に向かってバケツの水をかける瞬間に暗転して終わる趣向にドキッとした。このパックは人間に対して悪意のような感情を抱いているのではないか。
長身でイケメンのボトムにも少し驚いた。座組のなかでもっとも三枚目風の俳優がやるものという思い込みがあったためだ。このように既成概念と予想を裏切りつつ、西沢版『夏の夜の夢』はおよそ1時間30分を全力疾走する。台詞が舌足らずに聞こえる俳優さんがいたり、テンションが高すぎて引いてしまうところも多々あった。俳優さん自身に舞台を楽しむゆとりがほしい。この作品はまだまだおもしろくなるはず。それは現代風の味付けを加えることで生まれるものではないと思う。愚かしくも真剣な恋の大騒ぎをもっと引き込まれて楽しみたいのである。
冒頭のシェイクスピアシアターだが、当時自分は友人といっしょに夢中になって楽しんでいた。それがあるとき友人がこんなことを言ったのだ。「わたしたちが笑ったのは、俳優さんの口調や表情のおもしろさや滑稽なところであって、作品自体を楽しんだわけではないのでは?」途端にわからなくなった。『夏の夜の夢』や『十二夜』の作品そのものの楽しさ、おもしろさ、魅力は何なのだろう。いまだに答がみつからない。それを探して自分はこれからも劇場に通う。そして西沢栄治は繊細で慎重な戯曲の読み込みと大胆な手法、演劇が人間に、社会に必要であるという信念をもってその答を提示できる演出家であると確信している。
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