因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

『出口のない海』

2006-10-09 | 映画
*横山秀夫原作「出口のない海」(講談社) 山田洋次、冨川元文脚本 佐々部清監督 公式サイトはこちら
 歌舞伎俳優十一代目市川海老蔵の初主演映画で、太平洋戦争末期に人間魚雷「回天」に乗った青年たちの姿を描いたもの。夢を諦めて自ら志願して回天に乗り込んだ彼らが次々に若い命を散らす物語と予想したが、少し違った印象を受けた点が二つある。まずひとつめ。回天の操縦は非常に複雑で難しく、整備にも時間がかかり、故障も多かったのだそうだ。そのためいざ敵艦を撃沈しようと乗り込んだはいいが、故障のため出撃できないこともある。本人は勿論、周囲も死ぬと決まった人として送り出したのに戻って来てしまうという、何とも居心地の悪い様子が描かれている。主人公の並木浩二(海老蔵)はじめ乗組員は出撃命令が出るや必死の形相で回天に乗り込むのだが、故障して出撃できないとわかると、乗り込むときより打ちひしがれるた表情をみせる。生き恥ということだろうか。生き残ったことを素直に喜べない痛ましさが描かれている点。ふたつめは浩二の父(三浦友和)は良識のある教育者なのだが、浩二は父との会話を通して敵とは何かと考える点である。父は息子に問う。敵とは何か、そもそも敵をみたことがあるのか、敵なら殺しても当然なのかと。浩二の最期は予想に反してあっけなく、それだけに一層痛ましいのだが、「この人は敵を殺さずに済んだじゃないか」と救われる思いがした。しかし敵艦に出撃して戦死した友(柏原収史)のことを考えると、どうにも辛くやりきれなくなるのだった。

 海老蔵には普通の人を淡々と描く佐々部監督の作風とは正反対の演技が身についているため、監督は彼に「芝居をするな」という指示を出したという。海老蔵自身も普通の演技をすることの難しさを実感し、台詞廻しも抑えて普通の会話を大切にしたと語っているが(パンフレット)、スクリーンの彼をみる限り、ものすごく芝居をしている印象がある。歌舞伎座の舞台で曽我五郎の目の覚めるような若武者ぶりや、ニヒルな悪党斧定九郎を演じる海老蔵をみる痛快さ、陶酔感には及ばず、そもそも舞台と映像を安易に比較するのではなく、別な魅力を発揮する場として今後も楽しみにしていたい。

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