新しい月がはじまった。新聞紙面やテレビ番組、メールマガジンなどさまざまなものが、それぞれに被災地に対する痛みや今後の生活への不安を持ちつづけながらも、少しずつこれまでのペースを取りもどしはじめた。震災以後いつにも増して読んだのが谷賢一さんのPlay note.netと、劇団キャラメルボックスのプロデューサー加藤昌史さんのCaramel BOX★加藤の今日である。前者の3月24日の「今はもう、上演こそ誠実」のなかの「ビビってる時間は終わった。」のひと言には、「しっかりしようぜ」と軽くどつかれたようで清々しく、後者からは何があっても舞台を客席に届けようとする強靭なフットワークと観客への行き届いた配慮に溢れるプロ魂に励まされた。
そう、ビビってる時間は終わったのだ。みるぞ芝居を。
*シス・カンパニー公演 『トップ・ガールズ』
昨年からこの作品とのご縁が続いている。劇団フライングステージの『トップ・ボーイズ』、ミズキ事務所の『トップガールズ』。
*演劇ユニットてがみ座 第4回公演 『線のほとりに舞う花を』(1)
*新国立劇場小劇場公演 『ゴドーを待ちながら』
*Oi-SCALE+Hi-SPECS 『同じ場所なのに、静かな時間』
*時間堂 『廃墟』 シアターKASSAI提携公演
*味わい堂々 隠し味公演 『毒見』 シンクロ少女の名嘉友美(1)の作品を岸野聡子が演出する。
*KAKUTA 「朗読の夜」#6 『グラデーションの夜』 群青、黒、桃と3つのいろのプログラムで3週間連続公演。(1,2,3)
*売込隊ビーム 充電前最終公演と銘打って『俺のカ―・オブ・ザ・イヤ―』(1)
震災以後公演にいくたびに、上演前の主宰者、劇作家や演出家、プロデューサーからのメッセージがある。まずは来場者への感謝、余震や停電になった場合の避難について。そして必ず「なぜこの時期に演劇をやるのか」についての思いが語られる。「どんなときであっても劇場の灯りを消してはならない」「こんなときだからこそ芝居をやるのだ」という決意が力強く、あるいは控えめに。また「特別なことをするのではない。いつもやっていることをいつも通りにやるだけ」という淡々としたものもあった。自分自身の心身の不調も劇場に身を置いてようやく平常心を取り戻せた実感があり、「こんなときだからこそ、スーパーに買いだめに走るのではなく、劇場に走らねば」という気負いが、「いつもしていることをいつも通り続けよう」と鎮まっていく数週間であった。
大学時代からの友人がある劇団の制作を長く務めており、こんなメールが来た。
「こんな時だから芝居をみてほしいとか、やらなければならないとか周りでは言っているけど、こんな時こそ自分の感覚に素直でありたいと思います。色々な考えで全部正解だと思います。私も正直でありたい。」
幸せなことに、3月にみた舞台のほとんどが「足を運んでよかった」と思えるものであった。しかしそうでないものがあったのも確かで、いくら神妙に「この時期に演劇をやる意味を考えました」と言われても、舞台から明確な手ごたえが得られなければ、いっそう虚しく、日に日に怒りさえ湧いてくる。停電や交通機関などさまざまなハードルをクリアしながら舞台を運営する方々のご苦労は、こちらの想像を超えるものであろう。しかし、舞台そのものが魅力的であってこそ、「震災後のこの時期に上演を行った」ことが、舞台の印象を数倍素晴らしいものにするのであって、逆の場合「震災後のこの時期に上演を行った」ことは、舞台への付加価値にはならない。作り手側の事情や気持ちを思えば非常にきついことを言っているのかもしれないが、これがみる側にいる、いまの自分の正直な気持ちである。
お芝居に正解はない。何でもアリだ。しかしよりいっそう自分の方法を吟味し、ぎりぎりまで問いかけながら、いまできる最上のものをみせてほしい。
同級生のMさん、ありがとう。あなたの正直な気持ちに勇気をもらいました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます