因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

風琴工房 おるがん選集秋編

2009-11-23 | 舞台

 俳優が選んだ一編を詩森ろばが脚色する試みの第1回。横光利一原作『春は馬車に乗って』 選者・松木美路子 鷺沢萌原作『痩せた背中』 選者・小川待子 本駒込ギャラリー日月 公式サイトはこちら 29日まで(1,2,3,4,5,6,7,8)

 ほとんど馴染みのない本駒込の住宅街の中の、普通の民家で行われる公演。日曜夜開いているのはコンビニくらい、用心のために少し早目に出向いたのが災いして、チラシ掲載の「路地の入り口に人がおりますのでそれを目印に」の人もまだ立っておらず、路地を曲がって明かりが見えたときはほっとした。しかしそこからどう進めばよいのかわからない。ポツリぽつりやってくる人もこれから観劇の方と思われるのだが、声をかけるのも憚られ。昼間に訪れたらだいぶ違う印象を持つだろう。めったにない体験が始まる予感。

 玄関で靴を脱ぎ、右手の部屋に入る。10畳くらいの広さだろうか、部屋の前半分には女優が横たわったベッドが置かれ、それでほぼいっぱい。後ろ部分が客席で、座布団、丸椅子、背もたれつきの椅子が3列ほど。ほんとうに家のお芝居、劇場というより部屋にお邪魔している雰囲気だ。もう長くは生きられない妻と看病に明け暮れる夫の日々を描いた『春は~』からは外界と遮断され、夫婦ふたりだけの息苦しさの中で、夫は逃げ出したいと思いながらも妻を失う絶望に崩れそうになり、妻は夫を自由にさせたいと思いつつも、それについていけない病身を恨む。結論の出ない堂々巡りのやりきれない会話が続く。

『痩せた背中』は少々わかりにくい設定だ。父親の葬儀のために実家に帰った青年と、晩年の父と暮らした女性が、現在と過去を行き来しつつ会話し、青年が恋人と暮らす部屋という別空間も同じく存在する。

 ここ数年風琴工房の公演はほとんど見ているかもしれない。チラシのデザインやそこに書かれた詩森ろばの文章にとても惹きつけられるのだ。劇団から送られてくるチケットには出演俳優直筆の手紙が同封されていたり、優先予約のノベルティグッズは毎回楽しみで、今回のように一風変わった場所での公演もある。いろいろな面にとても細やかで優しい心づかいが感じられる。演劇に対する志が清らかで真っ直ぐなのだろう。
 詩森ろばの文章で背筋が伸び、手作りのグッズに優しく温かい気持ちになれる。

 しかし正直にいうと、舞台をみて自分の心にしっくりこないもどかしさがいつもあるのである。それが何なのか、なぜなのか、毎回考えている。今回の2本についても、カセットコンロに鍋がかけられ、実際に鳥の臓物を似たり、夫が窓の外に飛び降りてほんものの鮟鱇や鯵を手にして魚屋のまねごとをしはじめたときにはびっくりした。身も蓋もない表現になるが、どうしてそこまで生ものを出すのだろうと思うのだ。無対象の所作だけではだめなのか。普通の民家で演劇を上演すること、というよりよその家庭に他人が同時に存在している違和感を出したいのか、それとも舞台と客席を同化させたいのか。作り手側がどういうものを目指しているのか、そして自分は風琴工房に何を求めているのかがわからないのだ。

 上演台本がお土産で手渡される。とても嬉しく、帰りの電車で一気に読む。しっくりこないこと、もどかしく感じること。それらを自分の言葉で逃げずに書き記したい。そう思った。

 

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