*加藤一浩作『雷鳴』、別役実作『眠っちゃいけない子守歌』 公式サイトはこちら 新宿ゴールデン街劇場 29日まで
数か月ぶりの月末劇場だが(1,2,3)、『雷鳴』は先週試演会でみたばかり。『眠っちゃいけない子守歌』は2004年春、相鉄本多劇場で加藤一浩演出の舞台をみたことがあって、そのあと違うカンパニーの舞台もみたが、自分は横浜でみた乾電池の「ベツヤク」がほんのりと心に残る。別役の中でも特に好きな作品で、どこかの劇場で上演があることを知ると、何とか予定を繰り合わせてみたくなる。
2本とも登場するのは男と女の2人だけだ。『雷鳴』は夫婦らしき男女(嶋田健太、阪田志麻)が、現在と過去を行き来するようなしないような微妙に距離をとりながら見つめ合う短い芝居である。『眠っちゃいけない子守歌』は、夫と別れた女(中村真綾)と、母を亡くした男(山肩重夫)が直視できなかった自分自身の過去に向き合おうとする(いやそんな強い意志的なものではないけれど)とする話である。前者からは背筋が冷やりとするような、鋭利なサスペンス性を、後者からはちぐはぐな漫才のようなおかしみを感じた。
『雷鳴』は男女の背景や過去がほぼまったくわからない。相手に向かって話しているが、モノローグのようでもあり、作者が何を伝えようとしているのか、どこを狙っているのかがわからない。しかしそのわからないところが逆に謎めいた魅力を生み、モノクロームのドキュメンタリーフィルムを見ているようであった。
『眠っちゃいけない子守歌』中盤で、女が自分が夫と別れたことを明かしてしまう場面がある。そこで舞台の空気が明らかに変化する(いや、自分の心がそのように操作しているのかしら?)。重たく、ざらつく、冷たくなる、あるいはべたつく等など、演出や俳優の個性によって変化の様子はさまざまだが、今回の中村真綾は、男から「別れたのかい?」と聞かれ、「ええ」とあっさり答えて、そのやりとりがまったく影響ないかのようにどんどん話し続ける。ちょっと驚いたが、こういう方法もあるのか。後半、客席の笑いが多くなったが、台詞のやりとりのおもしろさというより、中村の台詞の言い方が実に素朴で、話している本人がほんとうに混乱しているかのような雰囲気を出していたせいだろう。舞台ぜんたいがやや性急に進んでいくのには困惑したが、思わせぶりな「間」をとらず、必要以上にウェットにしない演出なのだろう。
自分でも戸惑ったのは終演後の心持ちだ。余韻を味わうのを避けるかのように足早に劇場を後にし、すぐに電車に乗り込んだ。何かが恐かった、それから逃げたかったのだ。加藤&別役2本立ての企画にまんまと嵌ってしまったのだろうか。
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