因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

東京乾電池月末劇場『イリーニャの兄弟』

2009-06-30 | インポート
 加藤一浩作 戸辺俊介舞台監督 公式サイトはこちら 新宿ゴールデン街劇場 28日で終了(1,2)
 今回の公演は「月末劇場番外編」と銘打った柄本祐、時生兄弟による二人芝居である。東京乾電池の座長である柄本明の子息二人の共演、題名は『イリーニャの兄弟』。てっきり柄本兄弟が、舞台でも兄弟役を演じるのかと思ったらそうではなかった。作品にははっきりした物語性は感じられなかった。なぜこの二人がこの場にいるのか(逃げ出さずに居続けるのか)という観客の疑問に答を提示することなく、後半のややけたたましい回想(幻想?)場面にちょっと驚かされはするものの、台詞も動作も少なく、情報の少ない展開を見つめるのみ。
 自分は加藤一浩の作品はまだ2度めであり、前回に続きまだ充分に加藤の文体を読み込めず、少ない台詞や長く執拗なト書きが実際に舞台で演じられるときにどんな変化をもたらすかを実感するに至っていない。前回の記事に書いたとおり、本屋にダッシュして「せりふの時代」を買って掲載の『黙読』を読んだのだが(文字通り黙読した)、つかみどころを見つけられず。

 6月の歌舞伎座で、松本幸四郎、染五郎、そして今回初舞台を踏む染五郎の長男金太郎の三世代が勤める舞台をみた。伝統芸能の世界なら、子が親の仕事を継ぐのは普通のことだ。他の道を選ぶことはおそらく極めて少なく、芸の継承は義務と責任と言ってもよいだろう。その仕事で生きていくしかない。一生続けても正解の出ない俳優という職業を運命的に与えられた幼子を、家族はもちろん、周囲の人々、観客も言祝ぎ、応援するのである。
 現代劇やテレビ、映画の世界での二世俳優はこれと同じではない。彼らには伝統芸能の子息に比べれば、他の選択の余地も充分にあったはずだ。しかし二世俳優がなぜこうも次々と生まれるのか。「七光り」のそしりは避けられず、俳優としての力量は常に親と比較される。成功する人もいればせっかく恵まれた環境にいながらパッとしない人も多い。なぜ親と同じ俳優になったのか、どんな仕事をしていきたいのか。決められたレールがなく、伝統芸能のように「まず先達の芸をまねる」手法は取れないだけに、彼らの道はある面でより険しいと察する。

 今回は舞台評にも俳優評にも程遠く、まことに中途半端な記事になってしまった。残念だ。自分の力不足が情けない。この気持ちがいつか何かの言葉に繋がっていくことを願っている。
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