因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

15 MINUTES MADE volume6

2009-06-29 | 舞台
 公式サイトはこちら 池袋シアターグリーンBOX THEATER 28日で終了 
「6つの団体がそれぞれ15分ずつの短編作品を上演するお徳用イベント」(公演チラシより)とのこと。天気予報がはずれた大雨の日曜、ロビーも客席も熱気でいっぱいだ。短編の連作という形式は、ギリギリエリンギアロッタファジャイナでもみたことがあるが、さて今回はどんな舞台になるのだろう?

 演劇批評のセミナーに通っていたときのことを思い出す。最初は400字×5枚、続いて10枚、最後に20枚の課題が与えられた。短いものから初めて力をつけ、長いものに挑戦していくのである。楽ではなかったが、今考えると必要な訓練であったと思う。今回参加した6つの劇団の作家さんは、いずれも長い作品を書く力が既に備わった方々だと思うが、短い戯曲を書き、上演するにはどんな工夫や苦労や楽しさがあるのだろうか。
 
 15分なんてあっと言う間だ、と思っていたら案外と「ある」ものである。パターン、ルーティン的なものが感じられると舞台の空気は冗長になり、台詞が早口過ぎて聞き取れないと、派手な作りや特異なキャラクターの人物をみるしかなく、そうすると15分ですら長く感じられる。凝縮、簡潔、余韻。短い芝居は、もしかしたら長い芝居よりもハードルが高いのでは?

 6つの作品の中では劇団26.25団の『隣人と祝福』(杉田鮎味作・演出)と、劇団掘出者の『パーフェクト』(田川啓介作・演出)が心に残る。前者。ひとり暮らしのアパートに引きこもり、友達も彼氏もいない主人公が、隣室の青年に恋をした。何とか仲良くなろうと部屋を訪れる。若い日々にありがちな自意識過剰で臆病な心が迷ったりぶつかったりする様子が痛々しくもおもしろく、数年が過ぎて母の葬儀の喪服姿だろうか、主人公が実家の片付けものをして両親からのビデオレターをみつけたときに、晴れやかにヘンデルのハレルヤコーラスが聞こえて幕となる。15分という時間が感じられないほど、人物の造形、会話のやりとりも巧みである。主人公が悩みと迷いの日々を通り過ぎて落ち着いた大人になり、幸福を得た姿かもしれないと思わせる。
 後者。こちらにはまさに引きこもりの青年がおり、彼よりも年下の女性が「わたしはあなたの母親だ」と名のって部屋に押し掛けて来る。とあらすじを書くと静かな不条理劇かと思うが、田川啓介は観客をあくまで日常的なところから逃がさない。母親と名のる女性にはストーカーと化した元カレがおり、男が女装しているとしか見えない母親がいる。それぞれの人物の背景や互いの関わりをじっくりと描けば、1時間以上のしっかりした作品になるであろうことを感じさせるが、今回の『パーフェクト』には「敢えて書かない」視点が感じられて、そこが逆に興味をそそり、複雑な余韻を残すものとなった。「抱きしめてよ」と懇願する若者と、「ちょっと待って、やってみるから」と必死になる自称母親の姿が次第に暗くなる舞台に溶けていく。血のつながった家族ですら持て余して、(おそらく)ビジネスで雇った母親に息子を押し付けることの寒々しさ、自信たっぷりに振る舞う自称母親だが、彼女にも一筋縄ではいかない人間関係があり、はっきりした結末を示すことなく、物語は消えていくように幕を閉じる。

 作品の内容が見事に全部異なるため、ひとつ終わるたびにスタッフが舞台装置転換をする。そのスタッフワークの様子が見られることも、今回のおもしろさのひとつだ。途中多少装置や小道具にトラブルが発生する場面もあったが、滞りなく終了。お見事です。願わくは、何か共通するひとつのテーマなりモチーフなりをもって、複数の劇団が腕を競う試みもみたい。
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