更新は 私が「元気で自遊人」している写真記録の便りです
行雲流水旧イギリス領事館⑥夜の函ぶら探訪・中尾仁彦案内人
函館市・箱館歴史散歩の会・主宰 中尾仁彦さん案内の「西部地区ライトアップ建造物巡り」
中尾案内人は80歳を超えてますが健脚です
毎回2時間30分の案内で話されることは 活字にすると膨大な字数です
長い間かけて調査研究した内容は 時間も労力も大変な苦労をされていると推察します
高齢になった今も継続し 惜しげもなく教えてくれることに驚きを覚える私です
中尾案内人の探訪主旨
函館山からの夜景は 香港 ナポリとともに「世界三大夜景」のひとつとされています 函館山からの夜景の素晴らしさは必見ですが 麓の西部地区の元町教会群や函館ベイエリアのライトアップされた歴史的建造物のナイトウォッチングも昼間とは違った幻想的な魅力にあふれ もう一つの函館の顔をのぞかせます やさしく照らし出される「灯」に誘われてロマンチックな風景を間近に見る散策に出かけて見ませんか
コロナ前は130人を超えた参加者でしたが 今は30~40人ほどに制限しての気遣い案内です
連載 第206回西部地区ライトアップ建造物巡り
連載⑥ 旧イギリス領事館(現開港記念館)
戦前に最後まであった領事館 函館市旧イギリス領事館(現開港記念館)
元町公園から基坂を下ってすぐ右手には、旧イギリス領事館があります。瓦葺きの屋根をもち、薄クリーム色のモルタル壁に青い窓枠が映える瀟洒な建物は、見た目に木造のようですがレンガ造りです。
函館におけるイギリス領事館は、アメリカ、ロシアに続く3番目の領事館であり、安政 6 (1859)年、まずは称名寺(現在の弥生小学校あたり)に仮領事館が置かれます。文久3(1863)年には、現在の遺愛幼稚園あたりに初代領事館が建てられますが、自火により焼失します。その後、ほぼ現在地に移転し、大正2(1913)年にこの建物が完成しました。昭和9(1934)年に閉鎖となるまで、戦前の函館で最後まで残った領事館でもありました。
幕末の開港後、函館では 16 カ国が外交業務を開始しますが、実際に本国が領事館の建物を建設し、外交官を派遣することとなるのはロシアとイギリスと清(中国)だけでした。他の国々は貿易商や宣教師などが領事の代理をするか、あるいは第三国の領事館に任務を委任するかにとどまり、中にはスペインのような函館に何ら活動の痕跡を残さない国もありました。
領事館といっても、当時はすべての国に共通して適用される規定がなく、領事などの職名ついても、各国がさまざまに定めていました。最初に領事館を設置したアメリカにしても、貿易事務官という肩書きのライス(貿易代理人とも言われる)が領事の役割を兼ねただけで、ライスの身分には各国の領事も不審を抱いていたといいます。
函館は諸外国の中でもイギリスとロシアとの関係が深かったのですが、遠く離れたイギリスがまず函館を重視したのは、クリミア戦争で戦ったロシアに対する牽制の意味がありました。当初、ロシアが日本に国交を求めたのは、貿易ではなく軍事的意味が大きく、当初函館に入港したロシア船もほとんどが軍艦だったため、イギリスとしてはそれを無視できなかったのです。
さらに時代が下る中でも、圧倒的な力を誇り、極東における列強の 力関係を支配したというイギリス東洋艦隊にとって、津軽海峡に面した函館は位置的にも都合がよく、保養地としても適していました。函館には、イギリス系のキリスト教会である聖公会や信頼できる病院、娯楽施設、西洋料理を提供するレストラン、外国人墓地など、開港以来のさまざまな蓄積があった上に、明治も後年になると、艦船のメンテナンスのできるドックが完成します。函館に入港するイギリス艦隊は、多いときは 10 隻、上陸する乗組員も合計2千人以上、滞在期間も長け れば2か月半にもわたり、商店やサービス業にとっては大歓迎でした。
多種多様な産品が供給でき、大きな市場ともなりうる後背地がなかったため、本州の大都市に比べ貿易港としての魅力に劣る函館から、次第に外国人が流失し、各国の領事館が廃止される中でも、イギリスが長らく領事館を存続させたのは、海産物を大量に輸入している中国人商人と組むことで、函館での貿易も少なからず維持できたという背景もあります。一方、中国人商人たちも、イギリスの庇護下で行う貿易により、函館での経済的地位を高めていきました。
函館のイギリス領事館は昭和9年に閉鎖されますが、昭和 10 年、ロシア人 ながらイギリス人の血をひくデンビー商会2代目のA・デンビーが名誉領事に任命され、太平洋戦争に突入するまでの数年間はその任務を継承しました。
領事館の建物は昭和 15 年に函館市が買収し、当時はこの向かいにあ った市立函館病院の看護婦寄宿舎や看護学生寮として、戦時下で憲兵隊が建物を接収した一時期を除き、昭和 45 年まで使用されました。
昭和 54 年に函館市の有形文化財に指定され、平成4(1992)年 には、市制施行 70 周年を記念して本格的な復元工事が行われるととも に、開港記念館として一般公開が始まりました。館内にはイギリス式のティールームがあり、庭園はバラの名所として知られています。
夜間は閉門なので ライトアップされていても全容は見えずらいです
バラ庭園が市民にも観光客にも人気があります
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