12月上旬の昼すぎ、就職活動の反省会が居酒屋松野家で開催された。
寮の親しいマージャン仲間が中心だった。
石田さん、松本さん、江藤くん、大久保くん、前田くん、そして小生だった。
さん付けは留年組、先輩である。
幸いなことに、全員の就職先が決まっていて、その打ち上げが目的だった。
留年組の先輩2人はプレッシャーから解放され、饒舌だった。
特に石田さんは、10社以上に落ちて不本意ながら大手とは言えない会社に決まったようだが、嬉しそうだった。
石田さんが、一人ひとりに聞いた。
「松本、本当はどこに行きたかった?」
松本さんは、食品会社に決まったが、第一希望は明治乳業だったと答えた。
石田さんは「よーし、明日からここにいる全員、明治のチョコレートと牛乳は飲まないように!」
昼間から酔っ払っていた。
明治の牛乳は明治乳業だが、チョコレートは明治製菓だ。が、石田さんには関係ない。
「江藤、お前はどこに行きたかった?」
江藤君はアパレル大手に決まったが、本来は印刷会社希望だった。
「よーし、全員、その会社の印刷物は読まないこと!」と石田さん。
かなり大きな印刷会社なので、不可能だと思うのだが・・・
しかし、みんな笑って盛り上がった。
皆、酔っ払っていた。
大久保君や前田君の第一希望の会社も全員で使わないと約束した。
小生の番になった。
小生の本命は遊技機かケイシュウニュースだったが、これらは話が、ややこしくなりそうなので、NHKが第一志望だったと報告した。
そして、NHKでの試験のことと、その時思い出した議員事務所からの電話のことを披露した。
これには、松本さんが食いついた。
「その電話って、要するに政治家の圧力で就職させてやる。ってことじゃなかったのか?」
小生は、そんな角度で物事を考えたことがなかったので、びっくりした。
皆が「そうだ。そうだよ」と松本論を支持した。
「もったいないから、今からでも、頼んでみろよ」と松本さん。
「えぇー!いいですよ。もう決めましたし」と小生。
石田さんが、言った。
「よーし、明日から全員NHKは見ないように!」
いままでは、石田さんの提案に、全員が笑って同意していたが、これには皆が反対した。
「石田さんだって、NHKの好きな番組見るでしょう」
「そうか・・・?」石田さんは唸った。
そして、何を思ったか、NHKに電話すると言い出した。
石田さんは酔っ払うと、いままで沢山の事件を起こしていた。
皆が止めるのに、松野家の赤電話から、NHKに電話を始めた。
この人が暴れると、ろくなことがないことを全員が知っていた。
通常は、おとなしくて、いい人なのだが・・・
皆から10円玉を集めて、長期戦の構えだ。
NHKに通じたようで、最初は人事課の人と話をしているようだ。
なんだか、小生に合格通知を出すように迫っている。
担当が違ったのか、何回かたらい回しになっても、一生懸命に訴えている。
小生だけが、「石田さん、もういいですよ」というが、みんな面白がって、止めようともしないし、かえってけしかける始末。
電話の向こうの声はほとんど聞こえないので、酔っ払った石田さんが言っている内容で、推測するしかない。
石田さんは時々、どういう人と話をしてるのかを皆に報告する。
しかし、石田さんが思う担当者には、中々つながらなかった。
しばらくして、石田さんは、今度は偉い人に替わってもらった。といったが、話せば話すほど、声が大きくなっていった。
「ふざけるな!」とか「誠実に対応しないのなら、視聴料を払わんぞ」とか言い始めた。
電話の相手は酔っ払いか嫌がらせの人からの電話ととったようだ。そうには違いないが・・・
どうも話の筋がずれて来て、NHKが不誠実なら、視聴料を払わない方向の話になってきている。
石田さんの声が益々大きくなった。
そして、叫ぶように言い始めた。
「皆、証人だぞ。NHK管理課課長の奥野さんが、払うなと言っている。よし、今から言う者は全員一生払わない。工学部化学工学4年の石田、同じく農学部農芸化学科4年の松本、同じく・・・・そして最後に小生の学科と名前を言った」
そして、「奥野さん、ちゃんとメモしましたか?NHKが取りに来てもこの6名は絶対払わないからな!」「奥野さんと約束したから払わないって、集金にきた人にいうからね!」
NHKの奥野課長という人は「はい、はい、あんた達には集金にも行かないよ!」って言っていた。と石田さんが電話を切ったあと、皆に報告した。
ともかく石田さんが暴れることなく、決着してよかった。
この日は最後まで、石田さんは視聴料にこだわり続け、みんなに払わないように言い続けた。
石田さんの武勇伝は、多くの物語が書けるほど、豊富だ。いくつかには小生も加わったり目撃したりした。すごい人だった。
小生はこの問題をよく起こす人が好きだった。純粋な人だった。
翌年、全員が就職して、違う道を歩き始めた。
石田さんとは卒業後、2度ほど会ったが、その後ご無沙汰している。
小生は石田さんとの約束を守った。いや守ろうとした。
当初、NHKの人が視聴料の集金に来ても、奥野課長さんに聞いてくださいと、このときのことを説明した。
NHKの集金担当者が変わるたびに説明した。
皆さん、奥野課長さんと連絡したのか、督促には来なかった。
その後、個人的な事情だが、結婚した。
ある日、わが家の玄関に、NHKのシールが張ってあることに気がついた。
嫁に聞くと、NHKが来たから、普通に払ったという。
嫁に事情を説明した。
石田さんや仲間との「青春の誓い」を熱く語り説明した。
「ふーん・・・」と嫁は関心なさげに聞いていたものの、玄関にシールが張っていないと、近所に体裁が悪いと主張した。
さらに、親戚が訪ねて来た時にNHKのシールがないと、見っともない、という。
たったそれだけの理由で、私の話に対し、聞く耳を持たなかった。
そして、小生と石田さんとの「男の約束」を、くだらないものとして、あっさりと反故にした。
その後、当家の玄関には、ずっとNHKのシールが張ってある。
時々そのシールを眺めて、つぶやく
「石田さん、ごめんなさい・・・」
完
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