令和5年の「お弓祭り」がつつがなく終了。
といっても開催の有無については紆余曲折がありました。
北川村木積星神社の「お弓祭り」は、醍醐天皇の親政が行われたことにより歴史に名を残す延喜の御代より数えて千百有余年つづく神事で、2年に一度行われますが、前回はコロナ禍の諸事情をかんがみ、やむなく中止。4年ぶりの開催となった今回は、折からのコロナ第8波を考慮し、参加者は必要最小限のごくごく少数にして、あえておおっぴらな告知はせず、「おきゃく」(宴会)はやらない、全員飲酒禁止、設えも簡素なものに、弓引きさんは経験者のみ、などなどという、従来に比べるとかなり大幅な簡素型となりました。兎にも角にもつづけよう、つづけなければならない。そのためには今回も取り止めとするとダメージが大きい。そういった意思の発露として考えると、なによりも開催することそのものに意義があった回だといえるでしょう。
そんななか、ここ十数回は、弓引き、後見、親、おじさん、先生、地区の代表者などなどと、色々さまざま種類は変わったものの、服喪期間をのぞいては何らかの形で必ず参加してきたわたしはといえば、今回は久しぶりに、本当に久しぶりに、的を差配するスタッフとしてその場に連なりました。
そういった経験を踏まえ、いつもの賑わいを知る身としては、やはり一抹の寂しさを感じたのもたしかです。
とはいえ、何よりも第一義に考えなければならないのは、つづけること。「千年」という時の重さと、その間、連綿とつづいてきた伝統という名の贈与のパス&レシーブを、たかだかそのなかの80年ほどしか生きることがないわたしたちが軽々にあつかうことはできません。
そういえば先日、こんなことがありました。村のとあるイベントを開催するか否かを問う会があり、参加者全員が是とするなか、別に天邪鬼を決めこんだわけでもないのですが、気づいてみれば反対意見を述べていたのはわたし独りだったのです。その理由と内訳はここでは書きませんが、とにかく「やめるべきだ」とハッキリ意思表示をしました。結果、見事なまでの少数意見だったのには苦笑いするしかなかったのですが。
世の中にはやめてもよいものと、つづけなければならないものがあります。少なくともストップすることを軽々に判断するべきではないもの、と言い換えてもよいかもしれません。その理由は、その場その時それぞれで変わってはくるのでしょうが、ひとつの判断基準を示すならばそれは、伝統であるか否かではないかと思うのです。
先日、開催の是非を問われたイベントは、はじまってから十年ちょっとの催しでした。自分たちが始めたもの、あるいは、そうではなくてもその歴史が比較的浅いものは、やるかやらないか、つづけた方がよいのかどうかのジャッジメントを常に心に留めながら実行していくべきではないでしょうか。惰性でつづけることよりも、勇気を持って取りやめることの方が、よほど適切だと思えることも多くあります。もちろんその判断も軽々になされてよいというものではありませんが、その重さは、長い歴史と先人たちの積み重ねがあるものと比べれば、おのずからちがってくるはずです。
その判断基準のもとでは、「お弓祭り」はあきらかに、「つづけなければならない」という類に入るものでしょう。将来的には(それも近い未来という意味の将来)、やむなく取り止めという時が来るのかもしれません。どう足掻いても抗しきれない事態に陥ってしまうという可能性は、客観的に考えるときわめて高いと言わざるを得ません。
それでも、精一杯つづけるためにはどうすればよいのか。
祭り(神事)の存続が危機的状況となって久しい今だからこそ、抗いきれない未来を予想するからこそ、真剣に考え、実行に移さなければならないと思います。
そういう意味から言えば今回の簡素型は、今後の方向性のひとつを指し示す例として大きな意義がありました。ひょっとしたら、後々、あれがエポックメイキングだったなと振り返られるものだったのかもしれません。
トカナントカ、さまざな思いを抱えながら令和5年の「お弓祭り」終了。その簡素さに「一抹の寂しさ」を覚えたのは事実ですが、なんとはなしにゆったりとした優しい空気が漂っていたような気もします。
ともあれ皆さん、おつかれさまでした。
また2年後。がんばりましょう。