答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

虹の七色

2024年05月27日 | オヤジの生成AI修業
虹は実在しない。見えはするが実際には存在しない。
色はグラディエーションであり、その色と色との境界は見ている人の脳内にしかない。虹は七色と決まっているが、だからあの数は、てっきり比喩的なものだと思っていた。なぜならば、実際ぼくに見えているのは、包み隠さず言えば赤黄青の三色だけだと言ってよいからだ。といっても、上から赤、橙、黄、緑、青、藍、紫という知識はあるので、その気になって見てみると、どうにか五色ぐらいにはなる。だが、どう贔屓目に見てもそれは、七色ではない。

え?それってひょっとしてオレが色覚異常者だからか?

そんなことを思い、ChatGPTに訊ねてみた。以下はそのQ&Aを落語チックに要約してもらったものである。

******

与太郎:
「大家さん、あっしは虹が3色しか見えないんですけど、これっておかしいんですかね?」

大家さん:
「与太郎、それはおかしくないよ。実際、虹が7色見えるかどうかは、かなり個人差があるんだよ。」

与太郎:
「へえ、そうなんですか。でも学校では虹は7色って教わりましたよ。」

大家さん:
「それはね、アイザック・ニュートンっていう科学者の影響なんだ。彼は虹を赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の7色に分けたんだよ。それも音楽の7つの音階に対応させるためだったんだ (The Scientist) (OpenMind)。」

与太郎:
「そうなんですか。じゃあ、それって科学的な理由じゃなかったんですね?」

大家さん:
「その通りだよ、与太郎。科学的というよりは、音楽とのアナロジーを使った方便だったんだよ。ニュートンは7という数字が特別な意味を持つと信じていて、それが虹の色の数にも影響したんだ (Look and Learn) (Wikipedia)。」

与太郎:
「じゃあ、昔のイギリスでは虹は何色だったんですか?」

大家さん:
「ニュートン以前は、虹は5色とされていたんだ。例えば、ロバート・ボイルという科学者が虹を赤、黄、緑、青、紫の5色と説明していたよ (New Scientist) (Encyclopedia Britannica)。」

与太郎:
「それにしても、日本でも虹は7色って言われてますよね。ニュートンの影響なんですか?」

大家さん:
「その通りだよ。明治時代に西洋の科学が日本に伝わったとき、ニュートンの理論も一緒に広まったんだ。それで日本でも虹を7色として教えるようになったんだ (Wikipedia) (OpenMind)。」

与太郎:
「じゃあ、アメリカやフランスでも虹は7色なんですね?」

大家さん:
「そうだね。アメリカやドイツなどの多くの国々では虹を7色と教えているが、最近では6色とすることもあるんだ。例えば、LGBTQ+プライド旗の影響で、インディゴが省略されることも多いんだ (PrepScholar Blog)。フランスでは、教育や文化によって5色とされることもあるよ (Wikipedia)。」

与太郎:
「なるほど。じゃあ、虹が3色しか見えないのは、あっしが色覚異常だからではないんですね。」

大家さん:
「その通りだよ。色覚異常がなくても、多くの人が虹の全ての色を見分けるのは難しいんだ。虹は連続したスペクトルで、色と色の間に明確な境界はないからね。注意深く観察しないと、3色や5色しか見えないのは普通のことなんだ (Colors Explained) (OpenMind)。」

与太郎:
「なるほど、よくわかりました。大家さん、ありがとうございました!」
「ところで、大家さん。虹って食べられないんですかね?」

大家さん:
「アハハ、バカだねおまえ、虹を食べようとするのは無理だよ。あれは光の現象だから、手を伸ばしてもつかめないんだ。」

与太郎:
「そっか、じゃあ、あっしが昨日の晩ご飯のおかずをつかもうとしてたのと同じですね。おかみさんに先につままれちまって、手を伸ばしても届かなかったんです。」

大家さん:
「はっはっは!与太郎、それは違う意味で手の届かない話だな。でも、お前のその発想、面白いよ!」

******

ということで、みなさんには見えるだろうか?
虹の七色。




2021年10月「三方良しの公共事業推進カンファレンス2021福島」からの帰路、仙台空港で見た虹。


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賢爺愚爺

2024年05月21日 | オヤジの生成AI修業
『苦しくて切ないすべての人たちへ』(南直哉)のなかに『住職の地獄耳』という一文がある。

晩秋のある夕暮れ、境内を掃き掃除をする直哉師が妙な気配を感じて振り返ると、そこには4、5歳とおぼしき男児が立っており、鋭い視線とともにこう言ったという。
「あの、ぼく、なんでここにいるんですか?」

******
 言うまでもないが、これは「お母さんが連れてきてくれたんでしょう」などという、阿呆なその場しのぎの答えが通用する代物ではない。彼は、自分がこの世に存在する意味を問うているのだ。私は、この種の問いも、それを言う子供も、絶対に舐めない。
 そもそも、これを問うなら、その人物は私にとって「子供」ではない。「小さい大人」である。私には、このような問いを何度も舐めた答えで誤魔化されてきた、痛恨の記憶がある。こういう時、大抵の場合、答える方は問う方より、はるかに愚かである。子供を舐める愚かさに、ほとんどの「大人」と称する人物は気がつかない。
 私は言った。
「あのねえ、ボクねえ、ボクの言ったことさあ、和尚さんも、ずうっと考えているんだけど、どうしてもわからないんだ。世界中で偉い人がずうっと考えてきたんだけど、わからないんだよ」
 彼は両手に拳を固め、微動だにしない。
「だからさあ、ボクはこれから頑張って考えて、いつかわかったら、和尚さんに教えてよ」(P.139)
******

老師は、1958年生まれだというからぼくよりひとつ年下だ。そして、これが書かれたのは、推察するに今から1~2年前である。六十も半ばとなるじっちゃんが4つ5つの、いわば「ガキ」に対してこの答え。この真摯この謙虚この誠実。さすがとしか言いようがない。心の底から感服したぼくは、しばし清々しい余韻をかみしめたあと、興味本位でじつにくだらない行動に出てしまう。

******
みやうち
あの、ぼく、なんでここにいるんですか?

ChatGPT4o
それは興味深い質問ですね。ここにいる理由は、あなたが知りたい情報や解決したい問題についてお話しするためです。また、知識を共有し、アイデアを交換する場でもあります。具体的に何かお困りのことや知りたいことがあれば教えてください。それに対してお答えします。
******

ほう、そう来たか、と笑ったあと、そこで止めておけばよいものを、即座に再質問をした。

******
みやうち
ぼくがこの世に存在する意味を問うているのです。

ChatGPT4o
なるほど、存在の意味についての哲学的な問いですね。それは多くの人が考え続けている深遠なテーマです。ここではいくつかの視点を紹介します。
  1. 個人的な意味:自分自身がどのような価値を感じ、どのような目標を持って生きるかが重要です。これには、家族や友人、仕事、趣味など、自分にとって大切なものが含まれます。
  2. 社会的な意味:他者との関わりや社会への貢献も、自分の存在に意味を持たせる一つの方法です。他人を助けたり、コミュニティに貢献したりすることで、自分の存在意義を見出すことができます。
  3. 哲学的・宗教的な視点:多くの哲学や宗教は、存在の意味について異なる視点を提供しています。例えば、ある宗教は神との関係や霊的な成長を重要視し、ある哲学は幸福や美徳を追求することを提唱します。
  4. 自己探求:人生の意味を見つけるためには、自分自身を深く探求することも重要です。これには瞑想やジャーナリング、カウンセリングなど、自己理解を深めるための方法が役立つかもしれません。
最終的に、あなた自身がどのように生きたいか、どのような価値を持ちたいかが、あなたの存在の意味を形作るのです。
******
 
じつにありきたりでくだらない。
だが、その「ありきたり」が生成AIの特徴であり、その「くだらなさ」が生成AIそのものであると言ってもよい。
いや待てよ・・・
そこである疑問がわきあがる。

それをやらせるこのオレはもっとくだらなくはないか?

答えは言うまでもない。
よせばよかった。嗚呼。


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退屈しのぎ

2024年05月19日 | オヤジの生成AI修業
伊丹空港で高知行きの飛行機を待つあいだ、その時間の長さに退屈しきったぼくの脳内にふと浮かんだのはChatGPTに遊んでもらうというアイデア。そうかその手があったかと、ひとりニヤけながら選んだテーマが「利他」だったのは、その前の2日間をスーツの裏地に「利他の心」と刺繍しているわが盟友M氏といっしょだったゆえだろう(たぶん)。

さて、と一瞬考えて入力した最初の質問は
「『徂徠豆腐』という話を知ってますか?」
私流ChatGPTとの会話のコツは、いきなり核心から入ることなく、じわりじわりと本題に入っていくことである。今回のようなテーマなら特にそう。徐々にこちらの土俵に引きずり込んでいくことが肝要だ。
以下、ChatGPTの返答は省略して、ぼくがチャットの前半にした質問のみを記す。

「講談話ですが落語でも演じられます」

「落語では誰が演じていますか?」

「立川志の輔の『徂徠豆腐』は見事ですよ」

「間接互恵とはどういうものですか?」

「『徂徠豆腐』に描かれているのは間接互恵ですか?」

「たしかに豆腐屋の行いは見返りを求めてはおらず、そういう意味では間接互恵の一例と考えられなくもないですが、「豆腐」という贈与を受けた徂徠が出世してから「家」という返礼を豆腐屋に直接するというストーリーは、「回り回って」という間接互恵にもっとも特徴的なところが欠落しており、単なる「恩返し」ストーリーでしかないのではないですか? 」

「はい、よい解釈ですね。では、他の落語で間接互恵を描いたものはありますか?」

「『文七元結』はどうですか?」

「キーワードは利他です」

「では、『徂徠豆腐』の豆腐屋と『文七元結』の長兵衛ではどちらがより利他的でしょうか? 」

「なるほど。利他的という切り口ではその解釈が正解でしょう。どちらがより利他的であるかの比較はナンセンスかもしれません。一方、贈与は送った相手に直接返してそれにチャラになるものではなく、別の誰かに返したときにはじめて返礼と呼べるものとなる、という論があります。内田樹の贈与論がそれです。 」

「では、徂徠豆腐と文七元結というふたつの落語を題材にとり、利他、「情は人のためならず」ということわざ、間接互恵、そして内田樹的贈与論、これらの切り口でこれまでのチャットをまとめてみてください。 」

「文七はたしかに成功しますが、それはあくまでも後日談であり、この落語のなかでは大店の使用人にすぎません。文七が成功したから恩を返すことができたというのは無理があります。文七元結は、偶然が偶然を呼び、利他が循環するという不思議な物語だといえます。 」

「ジャック・アタリの合理的利他主義をもとにして反論してみてください 」

「豆腐屋と長兵衛の行動が合理的選択だったという解釈は無理がありすぎますね 」

「これから私の考えを披露しますね(そのあと昨年ぼくが書いた利他論を入力する)」

「じゃあ、利他的たらんとする私の考えに対して、まずは自己の利益を優先する立場で反論してみて。 」

「ナイスな反論やね。けど私はちがう。 」

「それがね。短期はともかく、中期的にもけっこう効果的なのですよ。 」

「ではその反論も踏まえてこれまでのチャットをまとめてください 。」


以上がぼくの質問。繰り返すが、ChatGPTの返答はあえて省略した。
以下、やつの「まとめ」である。

*******
これまでのチャットを「利他」「情は人のためならず」「間接互恵」「内田樹の贈与論」、そしてジャック・アタリの合理的利他主義を中心に、「徂徠豆腐」と「文七元結」を題材にまとめ、さらにあなたの利他的なアプローチに対する自己利益を優先する立場からの反論と、それに対する再反論を整理します。
利他とは
利他とは、自己の利益を顧みずに他者のために尽くす行動を指します。「徂徠豆腐」と「文七元結」は、どちらも利他的な行動を描いていますが、その性質や結果には違いがあります。
  • 徂徠豆腐: 豆腐屋が貧しい徂徠に豆腐を提供する行動は見返りを求めない利他的な行動です。しかし、徂徠が出世して豆腐屋に恩返しをするため、直接的な利他と見なされます。
  • 文七元結: 長兵衛が文七に五十両を貸す行動も見返りを求めない利他的な行動です。文七の後日談として成功し恩返しをするものの、この利他行動は無意識で純粋なものであると中島岳志氏は解釈しています。
「情は人のためならず」
「情は人のためならず」とは、人に対して情けをかけておけば、めぐりめぐって自分によい報いが返ってくるという意味です。
  • 徂徠豆腐: 豆腐屋の親切心が結果的に徂徠の恩返しを生むことで、このことわざを体現しています。
  • 文七元結: 長兵衛の行動が文七を救い、その後の文七の恩返しにつながります。直接的な見返りを求めていないため、情けが巡って返ってきた一例です。
間接互恵
間接互恵とは、直接的な見返りを期待せずに行う行動が、最終的に広い社会的なネットワークを通じて返ってくるという考え方です。
  • 徂徠豆腐: 豆腐屋の行動は直接的な恩返しで完結しているため、間接互恵の要素は少ないです。
  • 文七元結: 長兵衛の行動が文七に感謝され、その恩返しが広がることで間接互恵が生じる例と考えられます。
内田樹の贈与論
内田樹の贈与論では、贈与の価値は第三者に返礼が渡ることで生まれるとされます。直接的な恩返しではなく、贈与の循環を重視します。
  • 徂徠豆腐: 豆腐屋の贈与が徂徠に直接返されるため、贈与の循環が不足しています。
  • 文七元結: 長兵衛の行動が純粋利他であり、結果として間接的に恩返しが広がることで、内田樹の贈与論に近い形となります。
ジャック・アタリの合理的利他主義
アタリの合理的利他主義は、利他行動が最終的に自己利益に結びつくことを前提としています。中島岳志氏はこれを批判し、純粋利他の重要性を説いています。
あなたの利他的アプローチ
あなたは公共建設工事というビジネスにおいて、利他的行動が長期的な利益のみならず、中期的な効果もあると主張しています。利他的行動を通じて得られる信頼や評判、社員のモチベーション向上が、中期的な企業の成功に寄与することを強調しています。
自己利益を優先する立場からの反論と再反論
自己利益を優先する立場からの反論に対して、あなたの利他的アプローチが中期的に効果的である理由を再反論として整理します。
自己利益を優先する立場からの反論
  1. 企業の存在目的: 企業は利益を追求するために存在し、利他行動に重点を置きすぎると収益性が損なわれる。
  2. 競争力の維持: 短期的な利益を優先しないと競争力を失う。
  3. 短期的な業績圧力: 利他行動は長期的には利益を生むかもしれないが、短期的な成果が求められるビジネス環境では不十分。
  4. リソースの最適配分: 利他行動にリソースを割くことで、他の重要なビジネス領域への投資が不足する可能性がある。
再反論
  1. 企業の存在目的に対する反論: 利他的行動を通じて得られる信頼や評判が中期的な利益を確保し、企業の持続可能な成長を支える。
  2. 競争力の維持に対する反論: 社会的信頼や評判は競争力の源泉となり、利他的行動は長期的な競争優位性を確保するために重要。
  3. 短期的な業績圧力に対する反論: 利他的行動が中期的に信頼や評判を高め、安定した収益基盤を築くことで、短期的な業績圧力にも柔軟に対応できる。
  4. リソースの最適配分に対する反論: 利他的行動への投資は中期的なリターンを生むための戦略的投資であり、結果的に収益性が向上する。
結論
利他的行動は、短期的な利益追求を超えて、中期的にも企業にとって効果的な戦略であることが明確になりました。利他的行動を通じて得られる信頼や評判、社員のモチベーション向上、競争優位性の確保などが、企業の持続可能な成長を支える重要な要素となります。これにより、利他的行動が企業の中期的なビジネス成功のための重要な戦略であることが示されました。
*******


以上、乗継便待ちの伊丹空港13番ゲートで「利他」をテーマにChatGPTと遊ぶ辺境の土木屋66歳。気がつけば、まもなく搭乗のアナウンスがはじまる時間。期せずして、これ以上ない退屈しのぎ。

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できるのか?

2024年05月15日 | オヤジの生成AI修業
高知県土木施工管理技士会主催の技術者研修会で話しをするようになってから、今年で12年になる。近年は、毎年県内3会場(以前は4会場だった)の日程が終わるたびに、もうこれでお終いかなと思うのだが、翌春になれば、その案に相違してまた声がかかる。声がかかるうちが花だと思い引き受けはするが、何をしゃべるか、これにはいつもアタマを悩ませており、ギリギリまで決まらないこともしばしばだ。最悪の場合はタイトルだけ告げて、締め切り寸前までその内容が決まらないこともある(というかその方が多い)。
それが、いつもになく今年はすんなりと決まった。
お題は、『現場技術者のための生成AI活用術』である。

内容も9割方は固まっている。
なんのことはない。自分自身が使ってきた経緯と活用の仕方を実例を交えながらしゃべればよいだけのことだ。その前段としてAIと生成AIのイロハを添えれば一丁上がりである。

と、これがどっこい、そうは甘くなかったのである。
日進月歩とは、みなさんご存知のように、絶え間なくかつ急速に進歩することをあらわす言葉だが、とはいえそれが文字どおり日進月歩であるような例がそれほどあるわけではない。
ところがどっこい、今という次代の生成AIはまさに日進月歩。きのうもきのうとて、ChatGPTの開発元であるOpenAIが、あたらしいモデル”GPT-4o"(ジーピーティーフォーオー」と読む。oは”omni"「オムニ」、「すべて」をあらわす。「オモニ」ではない)を発表したというニュースが全世界をかけめぐった。

GPT-4oはテキスト、音声、画像のあらゆる組み合わせを入力、生成可能で、音声入力の応答速度232ミリ秒と、人間の会話における応答時間とほぼ同じ。英語のテキストおよびコードではGPT-4 Turboに匹敵するパフォーマンスをもち、英語以外のテキストでもパフォーマンスは大幅に改善されている。英語以外は日本語をはじめ50以上の言語に対応している。また、とくにビジュアルと音声の理解が改良された。たとえば、英語以外の言語で書かれたメニューの写真を撮り、GPT-4oに話しかけて翻訳し、その食べ物の歴史と重要性について学び、おすすめを得ることができるようになった。(gihyo.jpより)

つまりその特徴の最たるものをかいつまんで言うと、音声を理解し音声で答える。そんなおったまげた生成AIを一般ピープルが実用する日が、ほんの数週間後に迫っているという、なんともびっくりポンなニュースなのである。

だがそこで、この辺境の土木屋はアタマを抱える。
この日進月歩に足を踏み入れ、なおかつその活用法を他人さまに伝えるなどという所業を、このオレがしてもよいのかと、ついていけるのかこのオレはと。
と、そこでその前々日の稿がアタマをよぎった。

The die is cast.
Pass the rubicon.
賽は投げられた。
後には引き返せない。

いやあ~私的実際には、そんな大げさなものではなく、この荷物が重たければ肩から降ろしたとしても誰もなんとも言わないのだろうが・・ま、やってみるしかないのだわ。


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年寄りの冷や水

2024年03月25日 | オヤジの生成AI修業

 テレビ画面の向こうの立川志らくが、移動中の車中で「これから執筆です」と言ってスマートフォンに向かったのを見たのはどのくらい前だったか、思い出す術は皆目ないが、兎にも角にも少なくない衝撃を受けたのは、ハッキリと覚えている。

 「今時の学生はこれで論文を書くんですよ」
 それより以前、顔見知りの大学教授が、まるで異次元の生物を紹介するかのように言うのを聞いたのがいつだったか、これはハッキリと覚えている。2017年のことだ。そのときは、にわかには信じることができず、話し半分冗談半分だとばかり思っていた。だが、それからしばらくの時が経ち、テレビ画面に写る噺家はぼくより少しばかり年下でしかない立派な昭和人だ。彼がそうするのだもの、若い人たちの今がどのようになっているかは推して知るべしだと、俄然それを今そこにある真実として捉えるようになった。

 それからのぼくは、思いついては、フリック入力というやつによるまとまった文章作成を修めようとチャレンジし、挫折し、しばらく置いてはまたチャレンジし、またまた挫折。というようなことを幾度か繰り返していた。するとよくしたもので、いつのまにかある程度のことができるようになっていたことに気づいた。

 たとえば一昨日の稿、スマートフォンを用いて、いわゆるフリック入力で全編を書いている。あれが、今的基準で計ったとして、ある程度なのかその程度なのか、どの程度なのか判別できないが、少なくともこれまでの経緯を勘案するぼくにとっては、けっこうな程度であることはマチガイない。
 とはいえ一日以上が経過し読み返してみると、少しばかり詰めが浅い気がする。だがそう感じるのはたぶん、書いた当の本人だけなのだろう。ぼく自身はそこに、自分の思考に指が追いつかないもどかしさを体感しながら書いているからだ。

 「書く」という行為は、「考える」という行為と不可分に結びついている。それが手書きであっても、またタイピングであっても、文字がそこに表れたならそれでよいというものではない。つまり、「書く」=「考えながら書く」である以上、考える主体としての脳と書く主体としての手指の動きに時間差があればあるほど、その出力としての文章のデキはわるくなる。
 となれば、自分の思考に指が追いついてこないという事態は致命的な欠陥となる。
 ゆえに多くの人は、それ以前のスタイルにしがみつく。齢を重ね、それに依存した時間が多くなればなるほど、そこまでの方法を捨ててあたらしいツールを使うことが億劫になる。
 それは何も「書く」だけに限らず、テクノロジーの進歩に対するオジさんオバさん爺さん婆さんの姿勢全般について言えることだ。

 とはいっても、今から35年ほど前を思い起こせばさもありなんである。
 あの当時、突如出現したワードプロセッサという道具をまったく使いこなせていなかったこともまた同様で、もどかしさを感じながら一つひとつのキーを打っていた。そしてそれを断固として拒否した人も少なくなかった。
 だがぼくは、そうはしなかった。もちろん、まだ若くバリバリだったというのはあるが、同年代の他人にも増して、ぼくはその修練にいそしんだ。そしていつしかそれが、手で書くのと遜色がないスピードになり、考えるとほぼ同時にキーが打てるようになるまでに、いったいどのくらいの年月を要したのか。少なくとも、5年や6年ではなかったことは確かだ。

 かといって、エラソウに語るほどに長い文章が書けたわけでもない。そして、肝心の時間はといえば、キーボードでPCに入力する数倍も要している。かてて加えて、ただでさえよくある誤字脱字が、さらに多くなっていたりもする。
 ただ、かつてのキーボードタイピング修得の経験をもとに、フリック入力の現在地を見ると、そこにそこはかとない希望がわいてくる。
 ケータイを「書く」ツールとして使い、PCの代理ぐらいのことはできる。ようやっとその段階に到達したのではないかと、ささやかな自信がついたのである。

 ということで、調子に乗って今日もまた、レッツ・フリック。年甲斐もなく・・・という視線をものともせず、「年寄りの冷や水」はつづくのである。
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(生成AI的)胆石の記 〜エッセイにして〜

2024年02月09日 | オヤジの生成AI修業

さて、報告書はできた。
次はちがう形式の文章にしてもらおう。
冒頭と締めの文を指定することで希望の文体も読みとってくれるのではないか、という期待のもと、以下のように注文をした。

みやうち
次は、この件についてエッセイを書きたい。
書き出しは、「昨夜、これまでに体験したことがない痛みがぼくを襲った。やっとのことで布団を這い出し、別の部屋で眠る妻に助けを求めた」。
締めくくりは、「そんなこんなを含めた上で、手術をすることに決めた。あとはどうにかなるだろう」で。

さあ、如何相成りますことやら、と期待に胸をふくらませながら待つこと数秒。
返ってきたのが次の文章だ。

Chat AI
昨夜、これまでに体験したことがない痛みがぼくを襲った。やっとのことで布団を這い出し、別の部屋で眠る妻に助けを求めた。秋の穏やかな夜が突如として恐怖と不安で長くて冷たいものに変わった。体は固まり、心は混乱に陥った。
心配そうな妻の顔は、今までにないほど真剣そのもので、医者もまた違った意味での冷静さを見せた。救急室の冷たいうす灯りが、自分が経験したことのない極度の痛みと恐怖を更に強調し、それはぼくが人間の存在の脆さを思い知った瞬間でもあった。
病院の掛け流し音に包まれ、長いフロアを歩き、静かに回廊を進む。時間は無情にも進み、様々な検査結果が私の前に並べられた。その中には、私の生活を一変させる可能性のある、眩いほどの恐怖が含まれていた。血の検査、CTスキャン、MRI、そしてそれらが示す診断結果。言葉は理解できるが、心が受け入れるのは難しい。
しかし、ただ恐怖に怯えているだけでは何も解決しない。大きな問題から目をそらさず、自分の状況を直視する強さが必要だ。医者と家族と話し合い、何度も何度も絶望的な気持ちに打ち勝つことが求められた。
そして、その最中、理解していく。自分という存在の存在感、有限性、そしてそれを超えようとする勇気。痛みという身近なフィードバックを通じて人間は、自分の存在を再確認し、生きるための戦いを始める。
そんなこんなを含めた上で、手術をすることに決めた。あとはどうにかなるだろう。自分の身体、ぼくの未来はあなた方医者の手中に委ねられた。その顔を見つめる。きっとあなたたちは僕たちが恐れ、そして必要な時に頼る人々だろう。
生きるとは、時には自分の意に反して進むこともある。それは、選択する勇気、受け入れる力が必要なのだが、だから今、私は前進する。まだ見ぬ明日へ、自分のままで。

いやはや恐れ入った。
そんな大げさな、と思わないでもないが、見事にそれらしい文章となっている。
だが・・・というのは一読したときの印象と感想で、再読するとそれはガラッと変化する。
薄っぺらなのである。見事なまでに中身がない。いかにもそれらしくはあるのだが、それらしいだけなのである。
とはいえそれは、内幕を知っている、というか仕掛け人としてのぼくだからこその感想であり、そのことについての予備知識がまったくないままこれを読んだとしたら、その感想もまた異なったものとなるだろうことは想像に難くない。
またそれは、この文章をそのまま受け入れそのまま使うという前提での感想だ。ヒントや参考に、と考えればそれなりに価値があるものだろうし、テキトーに書いていればよい類の文章ならば、その「それらしい」が即座に出力されるという便利さは、かなり有益なものとなるにちがいない。
と、ある思いつきがぽっかり浮かび、すぐさま入力した。

みやうち
この文章を浅田次郎風に変えて

Chat AI
昨夜、未だ経験したことがない痛みが私を襲った。苦労して布団から抜け出し、眠っている妻に助けを求めた。静かな秋の夜は、突如として怖さと不安で長く冷たいものに変わった。身体は動かず、心は混乱した。
妻の顔には心配そうな表情が見え、これまでにないほど真剣そのものだった。医師も、別種の冷静さを持ちながら対応していた。救急室の冷たい薄い灯りが、私が体験したことのない極限の痛みと恐怖を一層強調し、私は人間の脆さを強く感じた。
病院の放送音に囲まれ、長い廊下を進み、静かに回廊を歩いた。時間は容赦なく進み、私の前にはさまざまな検査結果が並べられた。その中には、私の生活を一変させるかもしれない、圧倒的な恐怖が込められていた。血液検査、CTスキャン、MRI、そしてそれらが示す診断結果。言葉を理解できるが、心が受け入れるのは難しい。
しかし、ただ恐怖に怯えているだけでは何も解決しない。大きな問題から目を背けず、自分の状況を直視する勇気が必要だった。医師や家族と話し合い、何度も何度も絶望的な気持ちに打ち勝つことが求められた。
そして、その過程で徐々に理解していった。自分という存在の存在感、限定性、そしてそれを超えようとする勇気。身近な痛みを通して、人は自身の存在を再確認し、生きるための戦いを始めるのだ。
そういった状況を踏まえて、私は手術を受けることを決めた。あとはどうにかなるだろう。私の身体、そして未来は、あなた方医師の手に委ねられた。あなた方の顔を見つめる。きっと、私たちは恐れ、そして必要な時に頼るべき存在なのだろう。
生きるとは、時には自分の意に反して進むこともある。選択する勇気や受け入れる力が必要であることを理解している。だから今、私は前に進んでいく。未だ見ぬ明日へ、自分らしく。

どこが「浅田次郎」かよくわからないが、なんとなくそれらしくはある。そう、ここでもまた、「なんとなく」であり「それらしい」のである。

さて、これらは単なるかんたんな一例にすぎない。これをもって人間の進化ととるか堕落ととるか。色々さまざまな見方や考え方があるだろうが、仕事や社会にとって、インターネットやスマートフォンの登場と同じくらいのエポックメイキングなものではないかとぼくは感じている。
とはいえそれはまた、インターネットやスマートフォンをただの便利ツールとしてしか利用できていない人がまだまだ多いように、自らが考え動きながら「仕事の仕方を変える」ためのツールとしての活用を模索していかなければ、ただの便利ツールか、もしくはオモチャにしかならないだろう。
となると当然のことながら、仕事人としてのぼくがそれに乗らない手はあり得ない。現にぼくの脳内には、具体的な活用法が次から次へと浮かんでいる。どれができてどれができないか。あるいは、どれが無用でどれが役に立つか。そしてそれらをどのように組み合わせたら仕事の仕方が変わっていくか。順次試行錯誤をしていこうと思っている。
いずれにしても、遅ればせながらのオヤジの生成AI修業(いや「爺さんの」と言うべきか)は、まだまだ端緒についたばかり。さて、鬼が出るか蛇が出るか。はたまたそれらを薙ぎ倒す剣となるか。吉凶いずれかわからぬけれど、ぼちぼちゆこう。ゆけばわかるさ。
(そんな大層な >_<)
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(生成AI的)胆石の記 ~報告書作成(その2)~

2024年02月08日 | オヤジの生成AI修業

さて、「上の報告書を、患者である私がことの顛末を所属する会社の上司に報告する形式にしてほしい」と依頼したぼくへのGPT4.0の回答は、次のようのものである。

Chat AI
以下に、その情報を基に会社の上司に報告する形式で記述します。
---
件名:私の健康状態と今後の調整について
お疲れ様です。私、[あなたの名前]より重要な報告がございます。私の健康に関連する問題が発覚し、これにより所定の業務に影響が出る可能性があるため、以下に詳細を述べさせていただきます。
2023年1月26日の未明、私は突然の腹部激痛に見舞われ、自力での移動が困難な状態となりました。家族に支えられ、以前入院した経緯のある昭和大学江東豊洲病院に適切な治療を受けるために搬送されました。診療の結果、急性の胆石発作と診断され、治療を受けることとしました。
病院での検査では私の肝機能値が異常に高いことが明らかとなりました。この結果、その日から入院し、絶食と補液療法による治療が行われました。一週間後に痛みも全身症状もなく、肝機能値も改善されたため、退院許可が出されました。
退院後の治療方針として、痛みの再発を防ぐために胆嚢摘出手術を受けることに決まりました。この手術は腹部を小さく切開するラプロスコピック手術となる予定で、回復期間も比較的短いとされています。しかしながら、手術後は一部の消化問題が発生する可能性、および回復までの期間に個人差があることが示唆されています。
この手術と回復期間により、私の業務に何らかの影響が出るかもしれません。そのため、今後については適切な調整が必要となるでしょう。私の状況が業務や他のメンバーに影響を及ぼさないよう、適切な対応と配慮をよろしくお願い申し上げます。
健康問題により困惑(原文ママ)をおかけすること、心からお詫び申し上げます。私の状態については、可能な限り透明に報告し、皆様と良好なコミュニケーションを保ちたいと考えております。今後ともご理解とご協力のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
敬具,
[あなたの名前]
---
このレターはあなたの状況を網羅していると思いますが、何か追加すべき項目があればお知らせください。


ナント、最後にはご丁寧な付記までついての報告書。もちろん、それまでのようにいくつかのファクトはあるにしても、何度も繰り返しているように、この際それは問題にはならない。なんとなれば必要なのは、「報告書」というかたちの文章なのである。それをほとんど労なく、しかもすぐさま手にすることができたのだもの、この場合は上出来だと言うしかない。
となればコチラも丁寧なお礼で返すのが人の世の礼儀というものだが、そこはそれ、相手は生成AIだし、そんなココロをAIに読み取られようものなら今後の付き合いに影響をおよぼしかねない(ゼッタイにおよぼすことはないが)と、ここはごくごく短くアッサリとした返事をすることとして、こう記した。

みやうち
十分です。

ということで、明日は『(生成AI的)胆石の記』最終回(たぶん)、「エッセイにして」の巻である。
おもしろいよー(たぶん)。

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(生成AI的)胆石の記 ~報告書作成(その1)~

2024年02月07日 | オヤジの生成AI修業

ぼくが発したいくつかの問いと、それに対するChat AIの回答が繰り返されたあと、つづいてAIにお願いしたミッションがこれだ。

みやうち
以下に経緯を記すので、上記の回答を含めた上で報告書を作成してほしい。
(上の文につづいて一昨日のテクストhttps://blog.goo.ne.jp/isobegumi/e/e772d4d0ef971a5a977341771ce405ab
をそっくりそのままコピー&ペースト)

いつものように、即座に出力された答えを以下に記す。

AI Chat
#医療報告書
**患者の状況と経過**
2023年1月26日の午前2時頃、患者は突然の腹部激痛を経験しました。初めての体験であったこの痛みは、その強烈さから自立での移動が困難な状況に至りました。救急車ではなく、身内により昨年入院した昭和大学江東豊洲病院へ搬送され、まずは症状の軽減を図り痛み止めを服用しました。
その後、再度の激痛発作を経験したのちは、便意が生じて排便がありました。痛みは一時的に和らぎ、5時30分のアラームで目を覚ました時点での痛みは、過去の痛みと比較し軽度とも呼べるレベルだったとのことです。その後病院にて初期診察と血液検査を行いました。
検査結果として、患者の肝機能値が劇的に上昇していることが明らかとなりました。一部の数値は通常値の数十倍にも達していました。その後、さらに詳細な生体検査が行われ、診断結果は胆石発作でした。しかし、肝機能値の異常は特定の原因によるものではななく、入院とともに絶食および補液療法が開始されました。
その後、痛みの再発も全身症状も発生せず、肝機能値も漸次下降したため、一週間後に退院を許可されました。
**治療方針**
退院後、患者と医師の話し合いの結果、痛みの原因である胆石発作を防ぐために胆嚢摘出手術を実施することとなりました。手術のメリットとして、胆嚢を摘出することで胆石の再発率が大幅に減少し、胆石による痛みを解消できること、そして手術は一般的にラプロスコピック手術(小切開手術)で実施され、回復期間が短く、術後の痛みも抑えられることが挙げられます。
一方でデメリットとしては、全ての手術には麻酔に関連するリスク、感染リスク、出血リスクなどが伴います。また、胆嚢摘出後は胆汁の流れが変化し、一部の患者さんでは消化問題が発生することがあります。回復期間にも個人差があり、完全に日常生活に戻るまでに数日から数週間かかることもあります。
以上、これらの報告を受け、患者と医師の間で十分な話し合いがなされた上で、胆嚢摘出手術の実施が決定されました。


入院先を昭和大学江東豊洲病院(実在の総合病院であることにビックリポン *_*)としているのをはじめとして、いくつかの事実誤認があるが、そこは大した問題ではない。そもそも、何度も繰り返しているように、現時点での文章生成AIがよく「ウソをつく」ものであることを踏まえれば、むしろこれぐらいの真っ赤っ赤なウソをついてくれた方が、下手に信用することがなく安心できるというものだし、この試みの目的が、「文章生成AIを仕事に使う」にあることを思えば、それを探るためのぼくの試行にとっては大いに役立っていると言ってもかまわない。
ただ、決定的なすれちがいがひとつ。ぼくの欲しかった「報告書」は、この手のものとは趣旨がちがうものだったのである。
であるならば、ここで妥協してはいけない。
リクエストを変更して次の答えを待った。

みやうち
上の報告書を、患者である私がことの顛末を所属する会社の上司に報告する形式にしてほしい。

ということで、「報告書作成その2」へとつづく。




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(生成AI的)胆石の記 〜胆石問答〜

2024年02月06日 | オヤジの生成AI修業

ということで、ぼくの胆石発作についてAI Chat( GPT4.0)にいくつかたずねてみた。

みやうち
昨夜、胆石発作が起こった。これまでに体験したことがないような激痛だった。ところが、少しするといくらかおさまった。推測するに、体勢を変えたことがよかったような気がする。この推測に理論的根拠はあるか?

Chat AI
胆石発作(胆石症)は確かに非常につらいものです。激痛が少し和らいだのは、胆石が胆道を塞いでいたものが動いたかもしれません。体の体勢を変えることで、胆石の位置が変わり、胆道の一部が開放された場合、痛みが和らぐ可能性があります。
しかし、これは主に一時的な解決策であり、胆石発作の本質的な問題は依然として存在します。長期的な解決策としては、飲食能力を増やす、肥満を避ける、適切な運動をするなど、ライフスタイルの改善が推奨されます。また、適切な診断と治療のために、医療専門家と相談することが強く推奨されます。
さらに、副作用が恐れられる痛みの薬、胆石溶解薬、あるいは手術が必要な場合もあります。そのため、今後も持続的な痛みや再発が心配な場合は、直ちに医療専門家と連絡を取ることをお勧めします。

みやうち
その後、病院へ行くと、肝機能値が異常に上昇していたので入院し、点滴と絶食で経過を観察した。胆石由来の肝機能異常として考えられる要因と対処法にはどのようなものが考えられるか?

Chat AI
肝機能異常が胆石によって引き起こされる主な理由は、肝臓から胆嚢へ、そして腸へと流れる胆汁の流れが胆石により阻害されることです。
胆汁の流れが阻害されると、胆汁が逆流して肝臓にダメージを与え、肝機能が低下します。これは肝機能テストで観察することができます。
これらの状況は肝機能異常の診断後、以下のような対処法を検討することが一般的です。
1.**薬物療法**:胆石を溶かす薬物が存在します。長期的に服用することで、胆石を縮小または溶かすことができる可能性があります。
2.**内視鏡的胆石除去(ERCP)**:内視鏡を通じて胆道内の石を取り出す治療法です。
3.**胆嚢摘出手術**:特に症状が繰り返し出る場合や合併症のリスクが高い場合、医師は胆嚢を摘出する手術を提案することがあります。これは、一般的にラプロスコピック手術(腹腔鏡手術)として行われ、回復期間も比較的早いことが多いです。
これらの治療法の選択は、患者の具体的な状況、胆石のサイズと位置、そして潜在的な合併症のリスク等を考慮した上で、医療専門家と相談して決定されます。状況の進行状況に対して定期的に医療専門家とコンタクトを取り、推奨される治療の方針を密にフォローアップすることが重要です。

みやうち
1周間後、再検査をすると肝機能が回復していたので、胆嚢摘出手術を行うことに決めた。手術のメリットとデメリットは?

Chat AI
胆嚢摘出手術は胆石症の一般的な治療方法であり、以下のようなメリットとデメリットがあります。
**メリット**
1.**再発防止**:胆嚢を摘出することで、胆石の再発率が著しく減少します。将来の胆石発作や関連する合併症予防に役立ちます。
2.**痛みの軽減**:胆嚢が摘出されると、胆石によって引き起こされる痛みが解消します。
3.**ラプロスコピック手術**:多くの場合、手術はラプロスコピック手術(小切開手術)として行われ、これは従来の開腹手術に比べ回復期間が短く、術後の痛みも少ないとされています。
**デメリット**
1.**手術リスク**:手術には常にリスクが伴います。これには麻酔に関連するリスク、感染リスク、出血リスクなどが含まれます。
2.**胆汁の流れの変化**:胆嚢がなくなると、肝臓から直接腸に胆汁が流れます。これにより、食事を摂るたびに胆汁が十分に供給されない可能性があり、一部の患者さんでは消化問題が発生することがあります。
3.**手術後の回復期間**:手術後の回復期間は患者によって異なります。一般的には、完全に日常生活に戻るまでに数日から数週間かかることがあります。
手術は重大な決定であり、その決定を下す前に、医療提供者とこれらのメリットとデメリットについて詳しく話し合うことが重要です。


以上が、ぼくとChat AI あいだで交わされた問答である。
ここでことわっておかなければならないのは、上記はあくまで、その問答をコピペしたものであって、その内容の真偽について照査した上で転載したものではない。このように「いかにもそれらしい」テクストを即座に返すのが文章生成AIですよ、という例を示したにすぎないのである。
と言いつつ、この試み、じつはこれで終わりではない。
これにつづいてぼくがリクエストしたのは、報告書の作成だ。
長くなるのでお次は明日。「報告書作成」の巻である。

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(生成AI的)胆石の記 〜事実の顛末〜

2024年02月05日 | オヤジの生成AI修業

先々週末、2泊3日で入院していた。
以下、その顛末である。

1月26日。
夢うつつで感じはじめた腹部の痛みはやがて激痛となり、矢も盾もたまらず半身を起こし時計を見る。
午前2時ちょうど。
起き上がり、やっとの思いでトイレまで行ったが何も出ない。そのうち痛みは治まるどころか、あぶら汗をともなってより一層ひどくなる。これまでに体験したことがない激痛だ。どうする?苦悶のなかで自問してみたが、いずれにしてもその前に妻に知らせねば。立とうとしたが、力が入らず崩れ落ちる。兎にも角にも声が届くところまでは、と這いずり出る。

「おーい」

別室に向かって声をかける。力のない声が情けない。二度目か三度目の声かけで異変を察知した妻が、あわててかけよってくる。息も絶え絶えに事情を説明すると、救急車ではなく、彼女が運転して昨年入院した総合病院へ行こうという。
同意をすると、まず電話をかけてくれた。病状を説明していた彼女に、ぼくがすぐ横にいるのを察知した電話の向こうの人(たぶん看護師だったろう)が、本人と代われないか?と問う。なぜだか少し痛みがやわらいでいたので経過や状況を説明していると、また徐々に痛みが引いてきた。
「たとえばカロナールのような痛み止めはないか」と聞かれたので、「虫垂炎で去年入院したときのやつがある」と答えると、とりあえずそれを服用して様子をみてほしいと言う。
異変があったときのためにと妻に横で付き添ってもらいながら就寝。ほどなくして、また激痛が押し寄せてきた。どれぐらい経ったのだろうか。時計を確認する。
4時20分。
便意あり。立とうとして両手両膝をつき、暫時そのままでいると、なぜだか急に痛みがやわらいできた。トイレに行き排便。下痢だが水液状ではない。色を確認。トイレを出て、痛みの再来におびえる心をなだめながらまた就寝。
5時30分にセットしているアラームで目を覚ます。
痛みがないと言えばウソになるが、まだほやほやの記憶であるあの激痛からすれば、痛みと呼べるほどのものではない。となるとあわてる必要もない。ゆっくり身支度を整えてからくだんの総合病院へと赴く。
問診のあと血液検査。肝機能の値が異常に高いと告げられる。データを見るとたしかに、ものによっては数十倍ほどにもなっているのだから、「異常」という表現を使うしかない。その後、各種生体検査を経て、また診断。
激痛の原因は胆石発作。だが、肝機能値の異常原因を特定するには至らず、絶食補液で要観察のためそのまま入院となった。その後、食事をとるようになっても痛みの再発はなく、全身症状もない。肝機能値も下がってきたので翌日退院。
結局、原因は胆石発作と特定され、その根本原因を断つために胆嚢除去手術をすることに決定した。

以上、胆石発作をキッカケとした入院の顛末を記したのは他でもない。これにもとづいて、文章生成AIを使ってある試みをしようと思い立ったからだ。
おあとは明日。GPT4.0との胆石問答につづく。乞うご期待。


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