答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

口中にて

2024年09月27日 | 食う(もしくは)呑む

初めて見聞きする、という言葉と出会うことがよくある。
その度に「知らなかった」と己の浅学を嘆くのだが、考えてみれば、SNS全盛の今は、日々あらたな言葉が生み出され、人の目に触れるところとなっているのだから、大方の場合のそれは、別に嘆くことはないし、ぼくの学びが浅いわけでもない。

そんななか、先日聞いたのが「口中丼」だ。
ふむ。初耳ではあるが、意味は容易に想像することができる。
そして実際、そのとおりではあった。

 白飯を主食とし,主菜,副菜,汁から構成される日本の 食事様式は室町時代に完成した(らしい)。その基本的な食べ方は、飯と汁、 飯と菜を交互に食べていくというものだ。つまり、 飯と汁や菜を交互に食べ、口の中に残る汁や菜の味で、味が薄い白飯を食う。 この食べ方を「口中調味」と呼ぶ。いつからそう呼ぶようになったかは定かではない。

定説によればこれは、あくまでも「口の中に残る」味、というのが基本で、口中で飯と汁もしくは菜を混ぜて食す(すなわち、これが「口中丼」の正体なのだが)というのは下品な食べ方だということになっているらしい。

「ホントにそうなのか?」
ぼくは思う。

もし本当にそうだったとしても、それはあくまで「上流」の人たちのなかだけでの「下品」だろうがと、ついつい毒づきたくなった。なぜなら、ぼくら下々では、飯を菜や汁と混ぜて食べるというのは、あえてそれを「丼」などと言わずとも、ごくごくふつうのことであるからだ。
むしろ、家庭におけるそういった食べ方が先にあって、「◯◯丼」という本邦を代表する外食のメニューへとつながった。そう考える方が自然なのではないかだろうか。

いやいやだからといって、けっして「口中丼」が「口中調味」より上位だと言いたいわけではない。それぞれの食材に適した食べ方と、何より人それぞれの好みとがあって、しっかりと混ぜて食べるのが旨いもの、あるいは混ぜはしないが同時に食べると美味いもの、はたまた、ほのかに「口の中に残る」味や香りをおかずとすることによって白飯の味がより引き立つもの、それはもう、どれがよいとかわるいとかという次元の話ではないだろう。

ところが、そんなぼくも、ことそれが「酒」となるとそうはいかない。言っておくが、この場合の「酒」とは、日本酒であり焼酎でありワインであり、食事といっしょに飲むアルコール飲料という意味で、括弧をつけて「酒」と表記している。

ぼくにとって「酒」とは、基本的に酒肴とともにある。つまり、巷間よく言われるところの食中酒がそれだ。
酒肴といっても、いわゆる「酒の肴」的なものとは限らない。それが「おかず」的食品であっても、ぼくが酒肴だと考えればそれは「酒の肴」として存在し得てしまう。
したがって、ぼくが「酒」を飲む際の基本的スタイルは、肴がまず先にあり、その口中に残る味や香りをもって「酒」を飲む、というものになる(宴会ではちがう。そこではもっぱらアルコールのみとなる。よくないが)。そう、まさに口中調味だ。
それに対して、口内丼的な飲み方、すなわち口の中にある食品と「酒」を混ぜ合わせて飲むというのは、断じてNGだ。それこそ下品きわまりない。
ところが一部には、それもまた口内丼と同様に推奨されているらしい。

ずいぶん前になるが、女性がメインキャスターになった「吉田類の酒場放浪記」然としたテレビ番組を見たとき、これをやっていたのを目にして驚いたことがある。
それが何だったかは忘れたが、「口の中にある内に」といって「酒」を含み、いっしょにぐちゃぐちゃとやって、ごくりと喉の奥に流し込んだのを見たとき、その妙齢の姉さんには申し訳ないが、醜悪感さえただよっていて、なんだか見てはいけないものを見てしまったような気になったものだ。

「メシの場合もそれと同じだろうが」という指摘は成立するかもしれない。
しかし、ぼくに言わせればそれとこれとは厳然として区別されなければならない。

考えてもみてほしい。
白飯の上に鰻を乗せて供されるのは鰻丼もしくは鰻重で、同様に、豚カツが乗ったものはカツ重あるいはカツ丼と呼ばれ、ほとんどの日本国民が愛するポピュラーな食べ物だが、日本酒を入れたコップに鰻の蒲焼きを入れることもなければ、ビールを入れたジョッキに豚カツが浮いているのもあり得ない。

そんなこんなの愚にもつかぬことを考えていたら、無性に飲みたくなってきた。そうそう、昨夜の夕餉に出たマグロの角煮が余っていたはずだ。
あれに辛口の純米酒を冷やで合わせてみようか。
なんといっても、酒には醤油、しかも魚の煮付けが合う。
口中に残る煮付けの味が消えないうちに冷たいのをぐびり。

と、そんなことを想像しながら家に帰ると、魚を焼く匂いがした。
そういえば鯵の干物が冷蔵庫に入っていたはずだ。
なんといっても、酒には塩、しかも焼き魚が合う。
口中に残る塩と海の香りが消えないうちに冷たいのをぐびり。

白玉の歯に染みとおる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり(牧水)

喉がなった。


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箍(たが)

2024年07月18日 | 食う(もしくは)呑む
「たがや」という落語があります。「たが」は箍。主人公は箍をつくる職人。つまり箍屋です。舞台は両国の川びらきに打ちあげられる花火見物客でごった返す橋の上で、ご存知「た~まや~」という掛け声と、「たがや」とをかけたダジャレで終わる地口オチの代表格ともいえる古典です。
箍とは、桶や樽の外側を締める木や鉄でできた輪っかのことです。今では意匠としてしか存在しないものが多いのですが、ぼくがちいさかった頃にはまだ、タガが締まってなければその機能を発揮しない桶や樽が現役のモノとしてありました。そこから派生したのが「タガを締める」や「タガがゆるむ」、あるいは「タガが外れる」といった言葉です。

「タガを締める」。ゆるんだ気持ちや規律を引き締めることを指します。
対して「タガがゆるむ」は、緊張が弛んで締まりがなくなることを言います。
そしてそれが嵩じると、箍によって締めつけられた板が、そのテンションを解くとバラバラになってしまうように「タガが外れる」。そうなると、なかなか元には戻りません。

二十歳そこそこあたりからぼくの酒飲み作法において重要な位置を占めてきたのが、「タガを締める」でした。
そうしようと決めたキッカケは、親戚のおじいさんに法事の宴席で贈られた「ええか、酒は飲んでも飲まれたらいかんぞ」という言葉。今となっては、じつにありふれ、手垢にまみれた言葉ですが、飲むたびに酔いの心地良さに身も心もゆだねていた当時のぼくにとっては、天啓のような響きをもって届きました。
そのころです。カウンターの隅でシュッと背筋を伸ばしてコーヒーを飲むという高倉健の姿を雑誌か何かで目にしたのは。
よし。今日からこれを作法にしよう(といっても、いつもいつでも背筋を伸ばして飲めるはずもなく、あくまでも己を律するための心象としての健さんなのですが)。それ以来、ミーハーでお調子者の青年は、自身の「飲み作法」を「タガを締める」に定めました。

それから45年以上の時がすぎました。
近ごろはさておき、全盛期のぼくが「酒が強い」と皆から言われていたのは、何も絶対指標としての酒量が多かったからではなく、多くの場合で、酔っても「タガがゆるむ」ことがなかったゆえだと自認しています(もちろん、手酷い失敗は何度もありますが、それはそれとして)。

ところがこのごろ、それがどうもあやしくなってきたのです。
先日も、締めの挨拶というやつを頼まれ、あろうことか途中で絶句したことがありました。笑ってアタマを掻き、むりやり一本締めを強制してその場は終わったのですが、あってはならない失態です。原因はといえば、たぶん、ただの偶然でも加齢のせいでもないはずで、酒に身をゆだね、酔いに身を任せたせいにちがいありません。

酒はおそろしい。いくらたのしいからといって、それに身も心もゆだね切ってってしまえば、知らぬまに心と身体が侵され、気がつけばタガは弛み、いつしか外れてしまっている。
酔いに身を任せるのは、妻や子らの、ごくごく近しい間柄の人間の前だけにしておかなければ、とんでもないことになってしまってからでは取り返しがつきません。
そんなこんなを思いつつ、今一度、四十数年前の初心に戻ろうと心に誓う辺境の土木屋66歳なのですが、さて、できるでしょうか。少々不安がないではありません。しかしここはひとつ、タガを締め直してがんばってみたいと思いますので、酒席で雲行きが怪しくなってしまったぼくを見かけたら、こう声をかけていただければ幸いです。

「た~がや~」

m(_ _)m

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懴悔

2024年06月03日 | 食う(もしくは)呑む
アナタは酒が強い。
そう言われることがよくあったし、自ら認めてもいた。
過去形なのは、加齢とともにお世辞にもそうとは言えなくなったと自認しているからだ。
しかし、けっして強くはなくなった今でも「弱い」と言われることはない。
どうにかこうにか、かつての体裁を保っているかのように見えているらしいのは、長い年月のうちに身についた酒席のテクニックゆえだろう。
したがって、気を許すとイチコロだ。
そんなものだから、強い酒は極力飲まないようにしているし、努めて酔わないような呑み方をしている。

ところがきのう、泥酔をしてしまった。
何年ぶりだろう。さいわい昼酒、しかも比較的短時間だったので、朝には回復し、無事出勤できたが、それほどに酔った記憶は、この二十年ほどのあいだであと2度しかないほどの大酔いだった。たのしくて気を許したうえに、冷や酒を数杯一気飲みしたのが相まった結果、あえなく轟沈だ。

朝起きて、記憶をたどる脳内に浮かんだ言葉は「ぶざま」。

我昔所造諸悪業
皆由無始貪瞋癡
従身口意之所生
一切我今皆懺悔

読経のはじめに唱える懺悔文が、今朝ほど身に沁みたことはない。
いやはや酒は怖い。


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病院食

2024年03月09日 | 食う(もしくは)呑む

 病院食というと、「不味い」という連想が浮かぶ人は、さほどめずらしくはないのではないか。むしろ、大多数といっても差し支えないかもしれない。思うにその大きな要因となっているのは、その味の薄さゆえだろう。次に思い浮かぶのは、油脂分の少なさゆえか。ましてや、今回のぼくのように、二度の入院時の「胆石食」から三度目の「胆石術後食」に移行した人間ならなおさらだ。
 家ではふだんから「塩分控えめ」を心がけ、揚げ物など脂っこい食事の摂取も、あきらかに他人より少ないと自認しているぼくでさえそうなのだから、健康な若者ならなおさら推して知るべしだ。

 なぜそれがそうなるのか。そうでなければいけないのか。内蔵に負担がかからない食事を指向すればそうなっていると考えるのが妥当だろう。
 身体にやさしいものを食うと不味い。もちろんそれはごく一面的な見方で、手間をかけ、それ相応の技を駆使すれば(既成の出し調味料を使えば手間をかけずともできるという「技」もある)、味が薄く油脂分が少なくても美味しい料理には成り得るが、一般的には、味が薄ければうまくないと感じる。これがふつうだろう。それは、如何に現代日本人が濃く刺激的な味に慣らされているかの証左でもある。

 だがそれは、あくまで一般的な話であって、今回ぼくが3度の絶食後(2度目はなんと4日にも及んだ)に食べたものは、どれも旨いと感じた。さすがに飛び切りとまではいかないにしても、あきらかにうまかった。空腹に勝る美味なし、ということだろう。


 そのときに思い出したことがある。
 子どものころのぼくは、かなりの偏食だった。すべてにおいて厳しい親父が、そのことだけは叱りもせず何にも言わなかったのは、自身が極端な偏食家だったからにちがいない。そのしわ寄せがすべて行き、残飯整理係だと笑いながら残り物を食べてくれていたのがお袋だ。

 長じて今のぼくは、まったくといってよいほど好き嫌いがない。いや、好きと嫌いはあるにはあるが、食べられないものはないといってよい。それが変化したのがいつだったかについては、たしかな記憶がある。学生時代だ。その原因は「飢えた」ことにある。

 ここで両親の名誉のために言っておかなければならないが、「飢え」といっても本格的なそれではない。現に、倹しくさえしていれば十分に生きていくほどの仕送りはしてもらっていた。それなのに、毎月の仕送り数日前には、ほぼ絶食状態に追い込まれていたのは、他ならぬぼく自身の浪費のせいである。それは、アルバイトをし始めても同様だった。要するに、あればあるだけ使ってしまう(飲み代に)という癖が、わが身をそういう羽目に追い込む唯一無二の原因だったのである。

 それはそれとして、その数年間で、ぼくの偏食がほぼなくなったのは思いがけない効果だった。それもまた「空腹に勝る美味なし」のあらわれだろう。最後に残った納豆が食えるようになったのは、それから数年経って知り合った女房殿のおかげだが、そのころにはすでに、「なんでも食えば食えるのだ」という確固たる信念が身についていた。偏食家転じて、ゲテモノ食いと言っても差し支えないように変化していたのだから、人というものはわからないものだ。


 術後4日目の今朝。それまでの粥がフツーの白米になった。おかずは豆腐の煮物とほうれん草などのおひたし、それと味噌汁に、ヨーグルトがついている。うまかった。あーうまかった!と独りごちたいほどにうまかった。と同時に、この気持ちをいつまでも忘れないでいたいものだ、と思った。だが、喉元すぎれば熱さ忘れるだ。たぶん、一週間もすれば忘れるのだろう。

 とはいえ、折にふれて思い出せばそれでよいのだ。
 病院食、捨てたものでもない。
 (要らんけどね)


 
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「控える」ということ

2023年11月22日 | 食う(もしくは)呑む

 

「呑んでいいですか?」

という問いに対して

「控えてください」あるいは「控えたほうがいいですね」

という答えが返ってくる。

医者と患者の会話としては、よくあるものだろう。

「いや、そもそもそういう問いかけをする人なぞはそうそういるものではないし」

という反論は、この際却下させていただく。

少なくともぼくの場合はよくあるからだ。

つい先日、この件で知人女性とちょっとした論争になった。

 

「呑んだんですか?」

「呑んだよ。やめろ、って言われてないもん」

「じゃあお医者さんはなんて言ったんですか?」

「控えてくださいって」

「”控える”っていうのは、やめろっていうことですよ。知らなかったんですか?」

「ちゃうって。”控える”っていうのは控えめにすることやんか」

「外出を”控える”っていったら外へ出ないことでしょう?」

「そ、それは・・・」

「お医者さんが言う”控える”も同じです」

「いやいや、アルコールを”控える”は量を控えめにするっていうことやって」

 

こうなると決着をつけるには辞書を引くしかない。

以下、デジタル大辞泉より『控える』の意味であるが、この論争に関係のない「控える」の意味については引用せず、関係箇所のみを引いてみる。

******

ア.度を越さないように、分量・度数などを少なめにおさえる。節制する。「酒を―・える」「塩分を―・える」

イ.自制や配慮をして、それをやめておく。見合わせる。「外出を―・える」「発言を―・える」

[補説]ア、イについて、「抜歯後はお酒を控えてください」とあった場合、アの「少なければ飲んでもいい」の意味ではなく、イの「自制して飲まない」の意味ととらえるのが妥当であろう。「アルコールを摂取した場合は運転を控えてください」は、明らかにイの意味である。

******

ナルホド、至極論理的な説明だ。

では今日以降はこうすることとしよう。

「控えてください」と言われれば、その言にしたがって呑まない。だが、あえてコチラからはその是非を問わない。

向こうからの要請がなければ儲けものだ。

「だって言われてないもの」

これで万事上手くいく(たぶん)。

 

 

 

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酒あり飲むべし

2023年11月20日 | 食う(もしくは)呑む

 

比較的きれいな酒呑みだと思う。自分だけではなく、他人からそう評されることも少なくない。自他ともに認めているというやつだ。

といえば、なんだか少し格好をつけすぎなような気もしないではないが、事実そうであるらしいのだからまあよいだろう。

とはいっても、十代後半からの長い酒呑み人生だ。泥酔して前後不覚になったことは何度もあるし(そもそもそんな状態になってしまえばカウントのしようもないが)、九死に一生を得るような体験だってないではない。酒席での失敗なぞは枚挙のいとまもない。

そんなこんなを思い起こせば、齢を重ね歳をとり、ようやっと分別ができたというのが実際のところだろう。

だがそれも、体というハードウェア面から見ると、本当に分別ができたのかどうか怪しくなってくる。齢を重ね歳をとったということは、すなわち、無理が効かなくなってきたということだ。無茶ができなくなったと言ってもいい。

今でも無理をすれば呑めないことはない。さすがに二十代三十代の若いころのようにはいかないが、その6~7割ぐらいは、やってやれないことはない。だが、それはあくまで無理であり無茶である。宴が終わったあと、またその翌日のことを考えれば、とてもではないが、よほどのことがないとリミッターを外す勇気は出てこない。つまるところ、たいていの場合はセーブをする。

要するに自信がないのである。痛飲する覚悟がないのである。

それもまた分別だといえば言えなくもないが、どうもそうではないような気がする。なんとなれば、多くの場合、もう少しならばよいだろう、あとちょっとならよいかもしれない、でズルズル引き伸ばしている自分がいるからだ。スパッと潔く止める。などということは皆無に等しいからだ。

そう考えると、他人が言うほど、そして自分で思うほどにきれいな酒呑みではなく、分別ができたわけでもなく、その内実はもっとだらだらとしてだらしがないようだ。

もっとも、たとえばぼくの妻のようにまったく飲まない人間からすれば「だらしがなくない」酒呑みなどというものは、そもそも存在しないのかもしれない。

だからぼくは、そのだらしなさを受け止めて呑む。

どう足掻いても、いずれそのうち呑めなくなる日がやってくるだろう。

その日までは、「酒あり飲むべし吾酔うべし」だ。

 

 

 

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ワンカップ大関

2023年05月10日 | 食う(もしくは)呑む

 

親父の命日に姪っ子が仏壇に供えてくれたカップ酒は、わたしが買ってきてくれと頼んだものだったが、たしかに「ワンカップ」とは言ったわたしがそのあとに付け加えた言葉が「タカラ焼酎の」だったのに対し、彼女が買ってきたのは「ワンカップ大関」。見るなり「あらま」と思ったが口には出さなかった。焼酎、しかも甲類が好きだった親父だが、だからといって日本酒を飲まないわけではなく、それほど目くじらを立てることでもないと思ったからだ。それにだいいち、そもそも自分で買いに行けばよいものを、人に頼んだ時点で横着である。文句を言う資格はない。

きのう帰ってみると、そのワンカップ大関が食卓にあった。その他のお供物を下げたのといっしょに、どうせわたしが呑むだろうと妻が置いたものらしい。見るなりちょっとひるんでしまった。近ごろのわたしときたら少しばかり口が驕ってしまい、日本酒を独りで呑むとしたら純米。いわゆる普通酒は呑まないひとになっている。しかも大手メーカーのそれときたら、ちょっと思い出すことができないほど長いあいだ呑んでいない。ましてや食卓に置かれたそれは、あのワンカップ大関だ。はてさていかがしたものか。ちょっとばかり悩んでしまったのもムリはない。

考えてみれば贅沢な話だ。若いころにはあれほどお世話になっておきながら、少しばかり余裕ができたからといって、眼前のカップ酒を呑むか呑むまいかについて悩むなどと。ましてこれは親父の仏前に供えられていたものだ。誰がご相伴にあずかるかはわかりきったことだろう。そう考え始めると、置いておくという選択肢はなくなった。

ほどなくして夕餉の支度が整うと、まずはいつもの350ミリリットルの発泡酒をひと缶。それが済むと、やおらワンカップ大関に手を伸ばし、キャップを外してアルミ箔をとり、またキャップをつけてレンジで50秒。手に取ると、よい澗具合だということがすぐわかる。口から迎えにいく。

あれ?

イケる。

こいつぁ美味いじゃないか。

酒肴がトンカツだったというのもあっただろう。フライ系、なかでもトンカツは燗酒の肴としてはピカイチだというのが、予てよりの持論であるわたしだ。

半分ほどなくなって、かたわらの妻にひと言。

「これ、うまいわ」

「あらそう。そういえばいつもよりピッチがはやいもの」

調子に乗ってもう一杯。といきたいところだが、残念ながらワンカップ大関はひとつしかない。ということで、冷蔵庫に入れておいた愛飲する地元産の特別純米酒を出してきて冷たいやつをグラスに注ぐと、これもまた口から迎えにいく。

あれ?

それほどじゃない。

昨夜のわたしの軍配は、あきらかにワンカップ大関の方に上がった。

まこと日本酒とはおもしろいものである。何がよくて何が美味いかの判断は一様ではない。その場その時のふんいき、あるいは酒肴との相性、自からの体調、それらがごちゃまぜになってそれが決まる。少なくともわたしの場合はそういうものだ。たしかにそれは、他のアルコール類にも当てはまることだが、日本酒の場合は特にそれが顕著である。それなのに・・食卓に置かれたワンカップ大関にひるんでしまうとは・・・酒飲みの風上にも置けないやつだとおのれを恥じた。

 

親父殿、おこぼれ美味しくちょうだいいたしました。

来年は「タカラカップ」にいたしますゆえ、どうか今年はこれでお許しください。

では。

 

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思い出の味

2023年02月13日 | 食う(もしくは)呑む

 

週明けの朝は小雨。フェイスブックを開いてみる。

フェイスブックには、その日の過去投稿を知らせてくれる機能があり、それを見ると、時に「ああそうだったのね」とタイムスリップしてしまうことがある。なかには、頻繁にそれをシェアするひともいるが、わたしは滅多なことでないとそうまではしない。なんというかその、過去に引きずり込まれたくないのである。

といっても、あくまでそれは原則としてであり、たまにはそれを外れることもあったりする。今朝がそうだった。

まずそのなかで目を引いたのは、2017年にココへもアップした笑い話だ。

→『2017年のバレンタイン

よほど気に入ったのだろう。翌2018年にも同じネタをアップしている。

当時小学校低学年だったあの娘らも、今年は中学3年生。時の流れの速さを感じるには、子どもの成長をそのモノサシとすればイチバンだとプチ感慨にふけりながらスクロールすると、見覚えのある銀色の鍋が目に飛び込んできた。2012年とあるから、今をさかのぼること11年前だ。

鍋のなかには刻んだ油あげとほうれん草、それに斜め薄切りにした高知名物「すまき」のピンクが彩りをそえ、朝めしを食ったあとだというのに、なんとも食欲がそそられる。画像からはそうと判別できないが、その下にはうどんがある。鍋の横には黒く光る椀がよっつ重ねて置かれている。2012年2月13日、先代社長夫人がこさえてくれた残業食だ。

少食であるわたしは、いつも用意してくれる残業食を、ふだんはめったに口にしなかった。腹がくちると晩酌がうまくないという、ごくごく個人的なワガママ極まりない理由からである。であるがゆえに、わたしひとりの分量は若い者の誰かの胃袋に収まるのが常だったが、そのときは、そのビジュアルに脳がやられ、「食いたい」という衝動を止められなかったことをはっきりと覚えている。そういう事情もあってだろう、11年が経った今だが、その素朴な醤油味を思い出すのは容易かった。

つくってくれたひとのみならず、その連れ合いであったひともまた既に鬼籍にある。窓の外でそぼ降る雨に目をやり、その味の思い出とともに今は亡き、いつも仲睦まじかった夫妻の顔を思い浮かべる月曜の朝。あのうどんが無性に食いたくなったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

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令和四年一月四日のオムライス

2023年01月18日 | 食う(もしくは)呑む

 

三が日も終わった翌日、わが家から客人の姿が消えた日のことである。

当日は折しも晴天。妻と帰省中の娘と3人で、海岸線ドライブをたのしみながら県境のまちまでポンカンを買いに行こうと出発したのは昼前だった。

さて、どこかで正月料理にくちくなった腹に負担をかけないぐらいの軽食を、と立ち寄ったのが国道沿いのドライブイン。閑散とした駐車場に車を停め、なかに入ると先客がひと組。その脇を通って道路沿いのテーブルへと腰をおろす。陽光がさんさんと降りそそぐ席だ。メニューを見るなり、わたしのオーダーは決まった。

オムライス。

少食のわたしにとっては、けっして軽食と呼べるほどのものではないが、ドライブインとオムライスが脳内でシンクロナイズしたとたん、それは是が非でも食わなければならないものとなった。

ほどなくして、3人のうちもっとも早くわたしのオーダーが到着。

「あーこの影がえいね」

娘が言う。

あらためて見てみると、プレートの道路側に光が差し込み、もう一方は影。

ん?なぜ?と天井を仰ぎ見ると照明がついていない。

ナルホド。

たしかに、照明の必要がないほどに室内は明るい。が、それにしても、営業中の飲食店の一角のライトが消されているとは・・。

イイじゃないか。

ほくそ笑みながらケータイを取り出し、オムライスを国道の方に少し寄せ、中央部に陽光が当たるようにしてパチリ。完成品を確認し、もう少し位置を変えてまたパチリ。

 

 

 

 

そうこうしているうちに娘が頼んだラーメンがやって来た。

「あー、この湯気がまた、いかにも湯気っぽくてええわ」

 

 

 

 

 

またまたナルホド。

陽光と、その自然の光が生み出すやさしい影があいまって湯気を湯気たらしめているこの光景は、街のおしゃれなレストランでお目にかかれるものではない。

いずれも、気づいたのは娘である。わたしは気づかなかった。

というより気に留めなかったというべきか。

ひとは、目に映るもののすべてを認識できているわけではない。そして、ひとりの人間の感性や能力は、その人「一人きり」のものでしかない。おのれの感性やちからのみに頼っていると、ある光景やある物体が見えているにもかかわらず、その良さやその特性を認識できずに終わってしまうことがある。

1月4日、そんなことなどを考えながら、国道ぶちのドライブインでオムライスを食った。

脳内を流れる歌声は、なぜだかユーミン。

 

カーテンを開いて静かな木漏れ日の

やさしさに包まれたならきっと

目に映る全てのことはメッセージ

 

目に映るものが自らへのメッセージとなる可能性を広げることができるかどうか。

それはたぶん、わたし自身が他人の言葉に耳をかたむけられるかどうかにかかっている。

 

 

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朝めし前の

2023年01月11日 | 食う(もしくは)呑む

 

わたしが会社のインスタグラムを更新するのは、だいたいのところ朝食前だ。もちろん家にいる。

何時、と決めているわけではないが6時前後が多い。朝めし前のインスタグラムである。

ところがその「朝めし前」が、近ごろちょっと困ったことを引き起こしている。

インスタグラムに写真をアップロードするためには、当然のことながらインスタグラムを開かなければならない。すると、否が応でもわたしがフォローしているアカウントの投稿が目に入る。そこでは、自分自身が目を通す頻度が高いアカウントのそれが上位に出てくる。ホントにそうなのかどうかはわからないが、なんとなくそういう仕組みになっているような気がする。

「朝めし前」の困ったこととは、例えばコレである。

 

 

 

 

いや、いわゆるグルメ系の画像は、その手のアカウントをほとんどフォローしていないわたしでも珍しくない。しかしそれらには、ほとんど心を動かされることがない。

なのに、コレには魂をゆさぶられてしまうのである。

 

 

 

 

発信元は奈半利町にある葉牡丹。

高知県で葉牡丹といえば、高知市堺町、電車通り沿いにあるそれを指す。昭和27年創業の老舗居酒屋だ。のんべで知らない人はいない。知らなければモグリだと言ってもいい。しかし安芸郡中芸地区ではそうではない。

市内の葉牡丹とは縁もゆかりもない(たぶん)わが葉牡丹は、昭和46年創業。今年で51年になる。古さではアチラに負けるが、コチラもなかなかのものである。

葉牡丹といえば手羽先。手羽先といえば中芸地方を代表するB級グルメだ。

世に手羽先を揚げたものは多くあるが、ここ中芸のそれが特徴的なのは、衣をつけずに素揚げをしているところである。揚げたばかりの手羽先に塩コショウをふりかけて食す。熱々ならよし。翌朝冷めて塩味が馴染んだのもまたよし。

想像してみてほしい。そのソウルフードが「朝めし前」の眼前に出現するのである。文字どおり「魂」をゆさぶられたとして、誰がわたしを責められようか。

それも毎日手羽先の画像ならば、慣れるということもあろう。しかし、その姿が出てくるのは毎日ではない。

 

こんなのも(せせりの唐揚げ)。

 

こんなのも。

 

食品そのものズバリとも限らない(というかそのものズバリではないことの方が多い)。

いろんな発信パターンがあるなかで、ある日突然コレである。

 

 

 

 

 

 

朝めし前にコレはキツイ。

 

 

 

 

 

奈半利町葉牡丹。

国道55号と国道493号の分岐から北へ向かって約80メートル。

右側にある「手羽先」「焼肉」という幟旗が目印である。

 

 

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