答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

その怒り、いったん棚あげしてみない?

2025年02月14日 | ちょっと考えたこと
その怒り、
いったん棚上げしてみたら?

というキャプションを、顔を真赤にして怒るかつての自分の写真につけて、ケータイの待ち受け画面にしたのは、昨年の10月初旬のことでした。
企図したのはアンガーマネジメントです。
いくら「キレてないよ」と抗弁しても、誰がどこからどう見ても「キレてる」としか思えないスキンヘッドのおっさんが、口角泡を飛ばす勢いで眼前の誰かに何かを言っている。それが自分自身だということで羞恥心を呼び起こし、さらにそこへ「棚上げしてみたら?」という揶揄的な提案が重なって、「怒っている」という現実に歯止めをかけようとした。しかもそのフォントは「KFひま字」というふざけた、いやのんびりとしたフォントときているのですから、これはもう効果抜群だろうと、われながら自信満々の企画でした。

「怒る」という感情を抱くのは致し方がない。少なくともぼくの場合は、それを捨て去ることが不可能です。
問題は、その「怒り」に執着する心です。それによって自分で自分をエキサイトさせ、さらなる「怒り」へとエスカレートさせるのは、「怒り」という感情に取り憑かれてしまった自分自身に他ならない。ならばそこへ至らぬような手立てを考えればよいではないか。
その企ては予想どおり、いや想像以上の効果がありました。
もちろん、そうそうすべてが上手くいくはずもありません。激してしまえば、そのようなものは役に立たず、何度見返しても、燃え盛った炎を止めることができない場合もありますが、少なくない割合で「怒りの自家中毒」を抑止することができています。
それを思えば、わたくし史上、近来まれに見る大発明だと言えるでしょう。

つい数日前のことです。その傑作を捨てることにしたのは。
代わってそのポジションについたのは、生後2ヶ月の赤子でした。
その目に映るものをまだ何だとも認識しない眼(まなこ)は、当然意思的でも意識的でもなく、それゆえに初心(うぶ)であり無垢です。
しかも他人ではありません。身内です。孫です。
そのぼやーっとした顔がぼくを見つめて(実際に見つめてはいないのですが)こう言うのです。

その怒り
いったん棚あげしてみない?

少しですが文章を変えています。語尾を「みたら?」から「みない?」に。つまり、「みたら(どう)?」から「みない(ですか)?」にです。フォントも代えました。よりやわらかみを出すためにチョイスしたのは「うずらフォント」です。

以前のそれは、例えていえばイソップ寓話『北風と太陽』における「北風」です。強い刺激を与えた先に成果を得ようとします。今怒っているぼく自身が、かつての怒っているぼく自身を鏡に写った今の己の姿とし、「で、これが恥ずかしくないのかオマエは?」という問いを、自分に向かって投げかけることで、「怒り」という感情をそれ以上昂らせないようにします。その形態は対決です。

今度のそれは「太陽」です。あたたかい光で包みこみ、力業を用いずに穏やかに目的を達成しようとしています。「棚あげしてみない?」と問いかけるのは幼子です。まごうことなき人間ではありますが、人というには相応しくないほど無垢なその眼に見つめられることで、なんだかよくわからないけれど崇高なものに包容されているような気にさせられます。そうこうしているうちに、燃え盛ろうとする「怒り」の炎は、どこかへ消えてなくなるか、または、ちいさなそれに変わるかします。前者を対決とするならば、こちらは対話でしょうか。

「怒り」への執着は、自らの正しさに固執する心でもあります。それが強くなればなるほど「怒り」は激しく大きなものとなります。それを断ち切るために強い刺激を用いるのは、たしかに有効な手段にはちがいないのですが、そうなると、「怒り」と「刺激」の強度の勝負としかなりません。強い「怒り」には、それよりさらに強い「刺激」でなければ太刀打ちできないのですから、終いには、殺るか殺られるか、そこまで行かないと決着をみることができません。

アプローチを変えてみる。
これが対他者ならば、ふつうに思いつくことなのでしょうが、こと自分となるとそう易易とは事が運びません。ついつい正攻法で正面からぶち当たってしまうがゆえに、敵対する自分とそれを崩そうとする自分の双方を傷つけてしまいます。己を御するのは、それほどに困難なものなのです。
だからアプローチを変える。
壁を穿ち叩き壊すのではなく、すっぽりと包みこんでしまうのです。


数日が経ちました。
多くの方のご推察どおり、そこまで思考を巡らせて実行したのではありません。単なる思いつきを後付で言語化し理論を付与して、自らを納得させているにすぎません。
結果はどうなのか。
残念ながらというべきか、幸いにというべきか。未だこの身には、それを必要とする「怒り」が訪れてはおらず、検証する機会そのものがないのが現実です(ひょっとしたら未然に防いでいる可能性もあります、いやホント、そうかもしれない)。
しかし確信があります。これはわたくし史上まれに見る大発明だと。
とはいえぼくの怒りんぼが、それで鎮火してしまうようなやわなものではないことは、当の本人こそが十分承知をしております。
ですから、でき得れば、これが効果を発揮できないような事象に巡り合ったそのときに、水戸黄門の印籠よろしく、ぼくの眼前にその待ち受け画面を差し出す方がいてくだされば、それに越したことはないとお願いを申し上げて、本日の稿を締めくくることといたします。

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受動と能動

2025年02月13日 | ちょっと考えたこと
このひと(あのひと)と巡り会ったことが、その後の仕事や人生において重要な意味をもった。誰しもに、そう思えることがあるのではないだろうか。そして多くのひとは、だからその出会いが自分にとっての必然だったと捉える。
しかしそれは、数多ある他の巡り合いを記憶の彼方に置き去り、その邂逅を残しておくという選択をしたということでもある。
いつの場合でも出会いは偶然でしかない。その偶然を必然たらしめたのは、それぞれの選択ゆえである。

選択はいつの場合でも、究極的には能動だ。もちろん、そうせざるを得なかったという場合はある。苦渋の選択というやつだ。そして、悲しいことに心身をコントロールされてしまい、何がなんだかわからぬうちに選んでしまうということもあるだろう。しかし、最終局面における判断は自らがする。その一点において選択は能動だ。

その一方で、人間はまちがいなく受動的な生き物だ。すべてが受動から始まる。自らの意思でそうしたことも、その元をたどっていけば、必ずどこかの誰かが起こした何かに行き当たるはずだ。これを言ってしまえば身も蓋もないかもしれないが、自分の意思でこの世に生まれ落ちた人間など、古今東西を見渡しても誰一人としていない。まずスタートは受け身。受動を起点とし、何かを感じ何かが動く。

事ほど左様に、人はすべてが受動的だ。
けれど、受動の先には必ず能動がある。
とはいえ、ぼくが意識をして主体的であろうとしてきたのは、そう考えてきたからではない。むしろ逆である。受動からの脱却を企図したがゆえに能動たらんとした。そうすれば受け身から脱することができると信じていた。まちがいない。

しかし、ぼくは今、すべてが受動であることに気づいた。
いやたぶん、ずっと前から漠然とわかっていたはずだ。ぼく起点のものは何もない。今さら気づいたことではない。しかしそれは、ぼくという個人の特性だと思っていた。だから主体的に能動であろうと努めてきた。それに悩み、脱け出そうともがいた。
とはいえ人は受動だ。それは誰も変えることができない設定だ。能動たらんとするのはけっこうなことだが、だからといって受動的であることから脱却することはできない。
それらを踏まえてなお、ぼくは能動的でありたい。それがリ・アクションにすぎなくても、自ら進んでアクションするという態度は捨てたくない。換言すればそれは、言われるがままに受け入れるか否かだ。
受動を起点として何かを感じ何かが動く。そしてその先のすべてに能動がある。その能動を自らのものにするかどうかは、言動の主体である当人次第だ。

と、このようなことを考えてみたところで、表面上でドラスティックに変わるものは何もない。能動的であろうとする姿勢も変わらないだろう。ただ、すべてが受け身から始まることを理解しているのといないのとでは、心持ちがずいぶんとちがう。そしてそれはやがて、言葉や行動にもあらわれてくる。
かもしれない。
ような気がする。
たぶん。


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色覚異常隔世遺伝

2025年02月06日 | ちょっと考えたこと
10歳の孫が色覚異常であることが判明した。
少しうれしく思う自分がおかしい。

これまでにも何度か書いてきたように、ぼくは生まれつきの色覚異常者だ。
色覚異常、特定の色を識別する能力が低い状態だ。色のちがいがわかりにくかったり、ひどい場合はちがう色が同じ色に見えたりする。
ぼくの場合はそれが赤と緑。といっても巷間よく言われるように、赤が緑に見えたり、赤色の信号が見えないわけではない。仕事関連でいえばそれは、たとえば岩についた苔の緑に赤いスプレーで書いた文字だとか樹木の葉っぱや下草のなかにある赤いスプレーを塗布した杭だとかが見えにくいことであり、ふだんの暮らしでは、濃紺や濃い緑と黒が区別しにくかったり、グリーン系の衣服がどうやら他人とはちがった見え方をしているらしい(自分ではわからない)ことだったりする。
つまり、仕事をする上、また生きていく上で、まったく支障がないといえば嘘になるが、「それほどのことはない」というのが、大多数の色覚異常者だろう。

「生まれつき」と書いた。大半の色覚異常者は先天性、つまり遺伝によってそうなることがほとんどで、その仕組みはこうだ。

・色覚異常はX染色体に関係する遺伝子によって引き起こされる。
・男にはX染色体が1本しかないため、母親から受け継いだX染色体に色覚異常の遺伝子があれば発症する。
・女はX染色体が2本あるため、片方の染色体に異常の遺伝子があれば保因者となるが発症せず、両方にあれば発症する。
・したがって、男に比べ女の色覚異常者は少ない。
(日本では男性が20人に1人、女性は500人に1人の割合らしい)
・しかし、父親が色覚異常である娘は保因者のため、その子に遺伝子が受け継がれる可能性、つまり隔世遺伝はある。

してみると、色覚異常ではない男と遺伝的保因者の女の組み合わせから生まれる子どもが色覚異常になる確率は、男子で50%ということになる。
そんな単純な計算をアタマのなかでしているぼくに、孫が問いかけた。
「それってどうなの?」

ニヤっと笑ってぼくが答える。
「つまりその、ふつーではないということよ」

すると、なぜだかうれしそうに、孫が笑った。
よし、「ふつー」でないことを悲しまぬその意気やよし。
少々曲がりくねった道程になるかもしれないけれど、水先案内人がここにいる。
うれしくて爺も笑った。

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いられ

2025年02月05日 | ちょっと考えたこと
「いられ」という言葉がある。
Adobe社のソフト、Illustratorの略ではない(そう呼ぶ人も多いけど)。
「いられ」、土佐弁だ。
せっかち。短気。そういった気質をもつひとを指して言う。
つまり、「待てないひと」のことだ。

ぼくには、かつて「いられ」であったという自己認識がある。
「かつて」と表現するからには、今はそうではないという前提があるのだが、自分でそう思うほど他人にはそう感じさせていないのかもしれないし、たぶん根っこのところにはこびりついているのだから、「そうではない」と断定することはできない。
とはいえ、ぼくのなかでのそれは、かつてとは様相が異なっている。

「そうはいってもアンタ、顔にはしっかり出ているよ」
と指摘されたら、さもありなんと黙ってアタマを掻くしかないが、とにもかくにも自意識としては、かなり払拭したつもりだ。
なぜマシになったのか。
いつの頃からか、「多分にこれは自分自身が増幅させているものでもあるぞ」と感じ始めたからだ。早口しかり早足しかり舌打ちしかり、また貧乏ゆすりしかり。売り言葉に買い言葉で始まった喧嘩を、感情的になった自らが発した言葉でさらにエスカレートさせてしまうこと、しかり。

それが生来そなわったものか、あるいは、成長していくうちに自ら選択したものかは別として、身についてしまった「いられ」を取り去るのは至難のわざだ。
だから、気性としての「いられ」が発動するのはやむを得ない。
しかし、問題の比重がそのあとの方により大きくあるのを、多くの「いられ」たちは理解せず、起動時とその後をごちゃ混ぜにして、自らの気質が直らないものだと思っている。

そうではないとぼくは思う。
それは「第二の矢」(※)のようなものなのだ。
ある事象が原因で「いられ」が起動した。その「第一の矢」は止めようがない。いや、止められるに越したことはないのだが、困難きわまりない。
しかし、それを引きずったり増幅させたりするのは、自らの思考であり発言であり行動であることを忘れてはならない。早口しかり早足しかり舌打ちしかり、また貧乏ゆすりしかり。売り言葉に買い言葉で始まった喧嘩を、感情的になった自らが発した言葉でさらにエスカレートさせてしまうこと、しかり。
それが「第二の矢」であり、それらの言動は、感情をさらに昂らせるのに十分すぎるほどの効力をもっている。

だったらそれを防ぐようにすればよいではないか。
いつの頃だったかは忘れたがそう思い、爾来、実践するように努めてきた。
繰り返すが、「ずいぶんマシになった」というのは、あくまでも自己認識にすぎず、「どの口が言うか」と笑われれば黙ってアタマを掻くしかない。
とはいえこの方法、けっこう有効だとぼくは思っている。
もちろん、「いられ」を直す気がないひとには、どうでもよいことだろうし、それに留意しながら実践したとて、思いどおりになるほど甘くはないけれど。



※「第二の矢」については、これまで何度も書いてきましたが、もし興味がある方はこのへんをお読みくださればよろしいかと思います。


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一事が万事

2025年01月28日 | ちょっと考えたこと
北条三代。戦国時代、小田原を拠点とし関東一円を支配した北条氏の治世を指してそう呼ぶが、じつは後北条氏は五代までつづいている。
では何故「三代」なのか。それは、滅亡へのトリガーを引いたとされている四代氏政が暗愚の君主であった(諸説あり)ため、彼以降はカウントせず、初代早雲をはじめ、二代氏綱、三代氏康までをもって栄華を誇った北条氏を呼びあらわして「北条三代」、その四代目のエピソードとして有名なのが「汁かけ飯」、氏政が少年時代の話だ。

ある日の食事中、汁を一度メシにかけて食べた氏政少年。しかし、案に相違し、メシの量に比して汁は少なく、もう一度汁をかけ足した。
それを見た父の氏康。
「毎日食事をしておきながら、メシにかける汁の量も測れんとは、北条家もワシの代で終わりか」
と嘆息したという。

いわゆる、「一事が万事」というやつだ。
ひとつの小さな事柄にあらわれるものは、他の大きな事象の場合にも当てはまる。氏康父さんは、一見すると取るに足らない食事中の行いを見て、「汁かけ飯の量も判断できぬ者に領地経営や家臣団の統率が務まるはずはない」と推量した。

たとえばそれが現代日本ならば、そのような些末なことで少年の未来を決めつけてしまう親がいたら非難轟々、あっちからこっちから切り刻まれてしまうにちがいない。ぼくもまた、たとえばそれがわが孫ならば、「未来ある子にそんな可哀想なことを言ってやるな」と親をたしなめるかもしれない。

失敗を繰り返し、その体験を糧にして成長してゆく、それが人間というものならば、些事をもって大事を推し量るなど、大人としてあるまじき行為だというのが現代日本一般での常識だろう。ぼくもまたそれに同意する。

とはいえ、「一事が万事」ということわざが、すべてにおいて意味を成さないかというと、そうとも言えない。
万事をこなすにおいて必要な力が一事にもあらわれるというのはよくあること。そう、一事には万事に通底するものがあるからこそ、「一事が万事」という言葉が成立する。
「汁かけ飯」という些事に「領地経営」という大事をこなす能力の欠如を喝破した氏康父さんもまた、その習いどおりだったと言えるだろう。

しかし、繰り返すが、若年代の一事をもって万事を評価するべきではない。人は体験から学ぶ生き物、体験から得られた知見を成長の糧とするところは、人が人たる所以であるからだ。

たとえば「汁かけ飯」ひとつとってみても、椀によそった飯の量に応じてそのつど最適な汁の量を判断できる子はまずいない。個によって遅いか早いかのちがいはあっても、どの子でも、体験を繰り返すうちにそれを自らのものとするという、同様の段階を踏むはずだ(この令和の御代に「汁かけ飯」をする子がどれだけいるかは別として)。
往々にして人は、習熟速度の早さや習熟期間の短さを評価の基準とすることが多い。しかし、長いスパンで見た場合には、一概にそうとも言えないのが人間のおもしろさでもある。だとすれば、それをもって将来をどうのこうのと推し量るべきではないだろう。

といっても、いつまでもそれをつづけているとなると、ちょいとばかり事情は変わってくる。そこにはもちろん、育った環境が大きく影響を与えているにちがいない。そのようなムダについて指摘されずに少年時代をすごすと、気づかないまま成長してしまうこともよくあることだ。
一事をもって万事を正しく推量し、その些事が大事に通ずることを教え、言動を修正し、あるべき方向へと導いてやるのも大人の大切な役割ではある。

しかし、究極的には、できるできないは個人の責に帰せられるものだ。すべてを自己責任と断じるつもりはないが、自分の至らなさを親や上司や環境のせいにしてしまう姿勢からは、成長は期待できない。
万事に必要なものが一事にも表出するという理を胸に留めおき、些事だからいいや、という姿勢を排除する。そういった心のもちようが、人間の成長にとって大切なものとなる。

「一事が万事」は、ぼく自身にも、そしてぼくの周辺にも掃いて捨てるほど転がっている。とはいえそれらのすべてを、十把一絡げで「一事が万事」と処理してよいものではないだろう。
他者を推し量るために用いる際には十分な注意が必要。しかし、自らへの戒めとして使うと効果的。これが「一事が万事」というものではないだろうか。

言わずもがなではあるがこれ、けっしてお子様限定の話ではない。
どうかそこんとこヨロシク、なのである。

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負けても腐るな

2025年01月24日 | ちょっと考えたこと
初場所もたけなわ。
大方の予想を裏切り、またもや混戦模様となった本命不在の優勝争いが、それはそれでおもしろい。
そんななか、それに絡むことはできないが、なかなかに存在感を発揮しているのが阿炎。先日の放送では、師匠である先代錣山(現役時代の四股名は寺尾)が彼に宛てたという言葉が紹介されていた。

いわく
「負けても腐るな」

うん、大切なことだ。とうなずくぼくは、皆さんご存知のように「腐る」ひとだ。
負けて腐るのは当然のこと、何かにつけて不貞腐れる。
思えば、そんな自分とたたかい、それを克服しようとすることに、人生に与えられた時間の多くを割いてきたような印象すらあるが、それが実を結んだのかどうかと自分に問うてみても芳しい答えは返ってこない。
事ほど左様に、負けては腐るし、何かといえば不貞腐れる。

いやいやだからこそではないか。
だからこそ、このシンプルな言葉を投げかけつづけなければならないのだよ。
そう自分自身に言い聞かせながら脳内で反芻し、声に出さずに繰り返してみる。

「負けても腐るな」

よい言葉だ。
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不完全であるということ

2025年01月23日 | ちょっと考えたこと
LINEの着信音が鳴った。
知人からだ。
折しも、ある事業が終わったのに伴う事務処理についてやり取りをしていた人だ。
どれどれ、とのぞいてみると、約2時間を要し仕上げていた渾身のテキストが、完成間際になって飛んでしまったのだという。

なんとも言いようがない。
「ご愁傷さまです」
とだけ返した。

と、それから1時間以上が経っただろうか。
ふたたび連絡があった。
己を叱咤激励して再開したものの、また消えたらしい。
今度はかける言葉がない。

かつてはぼくにも、その手の事象がよくあった。
だから気持ちは痛いほどわかる。
しかし、クラウド(主にOneDrive)上で仕事をし、なおかつOffice製品であれば自動保存がオンになっている今のぼくには、ほとんど起こらないことだ。
とはいえ、まったくないかといえばそんなことはなく、現に今、こうやって書いているgooブログでは、年に何回かは、それこそ渾身の一文を雲散霧消させてしまうことがある。
ふたたび書き直すのは、意を決しさえすればさしてむずかしいことではない。前の文が脳内に残っているのだから、むしろ最初よりよいものになることもないではない。しかし、それが二度つづくともうダメだ。
昨今流行りの「心が折れる」という言葉は、あまり使いたくないのだが、まさにそれがピタリと当てはまる心情となる。

それだけではない。
つい先日は、なんの拍子か、クラウドではなくデスクトップで新規作成をしたWord文書を保存し忘れて飛ばしてしまった。しかも作成途中ではない。全部できあがって資料として使用したものが消えていたのだ。
あれ?あれ?あれ?
デスクトップにあるのは、表題だけつけられた中身が真っ白のファイルだけ。どこをどう探してもないその調査報告書は、説明用にプリントアウトして三者に配布しており、内輪でいちばんぼくの恥を飲みこんでくれそうな人に頼んで、紙をPDFにしたものを送ってもらい、それをもとにキーを叩いて復元し、あとの二者に対しては何事もなかったかのようにダンマリを決めこんでいる。

このようなエラーはシステムの不具合である場合もあれば、ヒューマンエラーである場合もある。
いずれにしても、そういったことが起こらないようにするためには、人間の心持ちとか取り組みように頼らず、マシーンやシステムをエラーが起こらないようなものに改変することが最善策だとされている。
もちろん、ぼくとてそれに異論はない。

といっても、それを扱うのは、現状のところはあくまでも人間だ。
だから極力人間を排除していくのだ、という方向は上の文脈からいえば正しい。
しかし、人間の関与がなくなればなくなるほど、その仕事は味気ない。
まったくもってぼく個人だけの意見にすぎないが、人の介在がなくなればなくなるほど、ぼくはその仕事をきらいになってしまう。

だからだろうか。ときとして不完全な自分がかわいらしく見えてくることもある。いや、たぶんそれは甘えなのだろう。できない自分を許すための方便なのだろう。しかしぼくは、そこを捨て去ろうとは思わない。

「不完全であるというのはいいなって。生きていく上で不完全だから進もうとするわけで」

きのう、米国野球殿堂入りしたイチローさんは、「あと一票」で満票を逃したことについて、そうコメントしたという。
よもや、あのイチローとこの辺境の土木屋を比べるつもりもないし、比べようもないほどに彼我の差はある。そして、「だから完全を目指す」のだという彼の文脈は完全無視した勝手な言い草ではあるけれど、なんとはなしに、「不完全」というその言葉が胸に染みた一日だった。

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いやし

2025年01月20日 | ちょっと考えたこと
「いやし」である。
といっても、昨今もてはやされる「癒やし」ではなく、食べ物に執着する、あるいは、食べ物をやたらとほしがる人を指して言うところの「いやし」、つまり、「いやしんぼ(卑しん坊)」の略としての「いやし」である。「卑しい」と「坊」を組み合わせた言葉だから、もちろん、相手を見下げて用いる語句にちがいない。

とはいえそんなことを言うと、ぼくを知っている人なら十中八九が首をかしげるにちがいない。そう。それほどにぼくは食が細い。一般の成人男性と比べると、半分は大げさにしても、けっこうな割合で少食だ。いや、若者が相手だと半分ほどかもしれない。昨今流行りの「大食い」に毒された人ならば、それこそ月とスッポン、比較の対象にもならない。

そうはいっても、少食と卑しん坊が並立できないわけではない。別に完全対立をした概念ではないから、立派に同居ができる。ただただ、わが身が欲するほどには食べ物を摂取することができないだけのことだ。したがって、「いやし」でありながら少食である身は少々悲しい。

とはいえ元来が少食だったわけではない。若いころなら、食堂に入っても、麺類を単独で食することはほぼなく、必ずといってよいほど丼ものがセットだったし、呑んだあとのシメのラーメンはもちろん必須、なんならシメの焼肉がマイブームだった時期もある。事ほど左様に、人並みには食っていたはずだ。
そんなぼくの今ここにある食の細さは、自らのぞんだ節制が習慣化して身に着いたものと、いつからか棲み着いた胃弱が絡みあってそうなったものとの合作としてある。

そうそうそういえば、母はよく、「いやしは料理が上手になる条件」と言っていた。たしかに、そう言われてみれば思い当たる人は多い。
「いやしならば料理上手である」と「料理上手ならばいやしである」は同時に成り立たないが、「いやし」が料理上手になる蓋然性は高い。その本質は「欲」だろう。
それを踏まえて亡母の言葉を言い換えると、「料理が上手になるには欲をもつ必要がある」となる。こう表現するとほとんどの人に異論はあるまい。食欲がある一線を超えると「いやし」になると同時に、あの味を再現させて口にしたい、また、誰かに食べさせたいたい、そしてさらにそれをアレンジして向上させたい、という欲が料理上手を生み出す。

「食いたい」と「向上したい」、両者に通底する共通項は「欲」である。
つまり、「いやし」は欲深さが具現したものとしてある。
考えてみればぼくの場合の「いやし」も、食に関することだけではない。何につけても「いやしんぼ」、これがぼくという男の本質だ。
そう、ぼくの「いやし」もまた、生来の欲深さの発現としてある。

それがよいのかわるいのか。これはどちらとも言えない。時と場合によるとしか言いようがない。少食は「器」であり、「いやし」は「心」だ。欲深さを、器のちいさい身のうちに抱え70年近い歳月をすごしてきてみれば、いささか持て余し気味で鬱陶しいときもある。

たとえば、
「オヤジ、そりゃちょいとばかり欲が深すぎやしないかい?」
そう問いかける別のぼくがいると
「バーカ、これが向上心というやつぢゃないか」
と即答するぼくがいる。
どちらに軍配が挙がるか。それはその時々の体調や気分等々。あくまでも自らの身の内にある。どちらにも偏ることなく、折り合いをつけながら平衡を保つのも自分次第だ。しかし、多くの場合では「欲」が勝ることとなる。
近ごろもまた、その例に漏れず、やたらと食い気に走る自分がいる。
すぐに器が満杯になることを承知して上手に使えば、モティベーションアップのためにこの上ない良薬となるが、さて・・・。

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おせっかい

2025年01月17日 | ちょっと考えたこと
十年来の知己が緊急入院したというのを知ったのは、彼が退院後にアップロードしたSNSからである。さっそく、ダイレクトメッセージで近況を問うてみると、思いのほか上々らしく、ほっと胸をなでおろした。

そのやり取りのなかで彼が書いてきたあるできごとに驚いた。
なんと、ぼくが夢の中に何度も出てきたと言うのだ。
その文字を見るなり、いやはやまったく・・と苦笑する。
いくらおせっかいの質だとはいえ、遠く離れた病床、しかも一時は死をも覚悟したというところにまで顔を出すとは、いくらなんでも度が過ぎるというものだ。苦笑いするしかないではないか。
と同時に思い浮かんだのが、若いころ読んだ詩の一節だった。

夢の中まで追いかけてきて
いったい君はぼくにどうしてほしいのか

うろ覚えだが、そんなふうな言葉だったと思う。
あれはたしか山之口貘・・いやいや金子光晴だったか・・・と、ひとしきり検索してみたがヒットしない。
とはいえあれは、恋の詩、つまり詩人が恋人に向けて書いたものだったはずだ。恋人なら大歓迎だろうが、この禿頭に出てこられたのではたまったものではない。
という旨の返信を送ると、いやいやそうではないと彼いわく、「なんだかんだと高知弁ですごく励ましてくれた」らしいのだ。

高知弁か・・・これまたやけにリアルである。しかも一度ならず何度もとは。
当然ぼくなら願い下げだが、彼の文面からは、そういった雰囲気は微塵も感じられない。ありがたいことだ。

ということで、期せずして発覚した令和7年巳年初めのおせっかい。
思えば母も祖母もおせっかいで、その血を受けたぼくもまた、小さいころからのおせっかいが、数え年で六十と八を迎えてもおさまりそうにない。


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HUBとして

2024年12月27日 | ちょっと考えたこと
師が亡くなった。
といっても不肖の弟子だったぼくに、彼のことを師と呼ぶ資格があるかどうかに少々の疑念がないわけではないが、そのような想いを別にすると、赤の他人の目からは、どこからどう見ても師匠だったはずだ。

「よく叱られたねえ」

葬儀の席で隣りに座った三十年来の鼓友はそう言うが、思い起こしてみても、ぼくにはそのような記憶がない。ついでに、技術的な指導に関して記憶をたどってみたが、片手の指で余るほどしか思い出せない。
たぶんぼくの態度が彼をしてそうさせていたのだろう。
人と人との関係は鏡のようなもの。相手は自分を映す鏡であり、相手にとっての自分もまた同様だ。

師弟関係というものは、弟子となる者が師に対して「先生はえらい」と思い定め決意しなければ、真の意味で成立しないものだ。
それにもかかわらず、ぼくには、彼のみならず誰に対しても、「教えを乞う」とか「信じてついていく」という、弟子にとって必要とされる純な心持ちがなく、多くの場合で懐疑心を底に抱き人と接するぼくには、そもそも誰かの弟子となる素質がないのかもしれない。

そういう意味から言えば、やはり師と呼ぶ資格はないのかもしれないが、それでもなお、まちがいなく師であると深く認識したのは、これもまた隣に座る妻の言葉からだった。

「わたしたちの太鼓にかかわることすべては先生がつなげてくれたものだからね」

なるほど。まちがいない。幾人かの顔や幾つかの出来事が思い起こされ、それらすべての「つながり」や「縁」の中心に存在していたのが彼だったことにあらためて気づいた。

つづけて妻が言う。

「太鼓に出会えたこと、太鼓を通じていろんな人と出会えたこと、今も太鼓を叩いていること、孫と太鼓が叩けること、太鼓にかかわるすべてを先生に感謝したい」

そうか、ハブだったのだ。
IT用語としてのHUBは、ネットワークやシステムにおいて情報やデータの集約や配信を行う中心部分を指す。複数の機器や端末を集約する装置であり、通信やデータの受け渡しを円滑に行う役割をもっているものだ。もともとは車輪やプロペラの中心部のことをそう言い、そこから転じて、ものごとの中心や中核、あるいはネットワークの結節点として機能する存在をハブと呼ぶ。

人や情報、心や技術が、そこを経由して分散していく場所として彼の存在があったことに思いが至り、やはり師以外の何者でもなかったのだと思った。感謝。合掌。


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