先日の高知新聞にあった「球児監督 粋な振る舞い」という記事は、安芸球場で秋季キャンプ中の阪神タイガース藤川球児監督(高知市出身)が、地元企業や飲食店の協力を得て、選手や球団スタッフ、報道陣らに高知県地場産のごちそうを提供しているという内容で、その意図について「人をおもてなしする高知の文化は、僕も大切にしているところ。メディアの方々には少しでも楽しんでもらいたいし、選手やスタッフには癒やしの時間になってくれればうれしい」という藤川監督の言葉が紹介されていました。
それ自体はじつにけっこうなことで、文句をつける筋合いのものではないどころか、むしろ拍手をもって称えるべきものでしょう。
ところがぼくは、思わず「?」となってしまった。その原因は記事中、某スポーツ紙記者が言ったというこの言葉です。
「監督のいごっそうな心意気を感じますし、距離感も縮まったように思います」
ソレハイゴッソウデワナイゾ。
思わずそうツッコんでしまったぼくは、ここにおける藤川氏の言葉や行動のどこをどう捉えたら「いごっそうな心意気」となるのか、まったく理解ができません。いや、県外の人である記者さんがそう言ったことについては、単なる理解不足であり、その揚げ足をとって詰めるほどのことではないでしょう。問題は、その談話をチョイスして紙面に載せた記者、あるいは高知新聞の方にあります。
ということで、「いごっそう」について、一文したためてみることとします。
(といっても、別に怒っているわけでもなんでもないので、気軽に読んでください。ま、いわば話のタネとして)
さて、まずは定石どおり、「いごっそう」の定義から始めましょう。わかっているようでわかっていない。少なくとも、どのような概念が通り相場なのか、ひょっとしたら高知県民の多数がよく理解していないのかもしれません。
手当たり次第アトランダムにWEBを探し回ったなかで、見解が似通っているのは、このふたつでした。
「快男児」「酒豪」「頑固で気骨のある男」など。異骨相(いごっそう)。ならびに高知県男性の県民性を指す言葉。
このタイプの人の性格
快男児で頑固で気骨のある男で酒豪=いごっそう。あなたはまさに高知県男性の特長そのものです。自分を大きく見せてしまう傾向があるため時に誤解されることもありますが、弱きを助け強きをくじくシンプルな価値判断と、物怖じしないのびのびとしたその性格のおかげで、結局「憎めない奴だなぁ」で済んでしまうのは、あなたが周囲から愛されている証拠です。
両者とも非常に好意的で、「高知男性の典型」として捉えています。多くの県外人が抱く「いごっそう」のイメージも、概ねこのようなものではないでしょうか。
しかし、昭和32年生まれのぼくは、それに真っ向から異を唱えます。
なんとなればぼくには、かつて、ぼくがまだ小さかったころの「いごっそう」は、決して褒め言葉として存在していたのではなかったという、確かな記憶があるからです。少なくとも、「憎めない」とか「愛されている」というキャラクターでないことは確実です。
どこかに否定的な表記はないだろうか。探してみると、メジャーなサイトにそれはありました。他でもない。何かとその内容の信憑性についての疑義が呈されることが多いウィキペディアです。
いごっそう(異骨相)とは、「快男児」「進歩主義」「頑固で気骨のある男」などを意味する土佐弁。ならびに高知県男性の県民性。
ここまでは多くのサイトと同じ。現代における代表的いごっそう像です。ところが、そのあとにつづく表記は、ちょいとばかり趣が異なってきます。
津軽じょっぱり、肥後もっこすと共に、日本三大頑固のひとつに数えられている。肥後もっこすがやや否定的な意味合いを持つのに対し、いごっそうは、そのように称される本人が威勢を張ることのできる呼称とされる。但し高知市内では想像以上に侮蔑的でネガティブなニュアンスで使われる事が多いため使用には注意を要する。
後半部分に着目してください。
まさに、ぼくの確かな記憶はそこなのです。高知市内だけではありません。ぼくが生まれ育った県東部でも、侮蔑的まではいかなくとも、否定的でネガティブなニュアンスをもった言葉であったことはまちがいないありません。と同時に、その一方では肯定的でポジティブなニュアンスを込めて語られることも多い。これが「いごっそう」という言葉や存在そのものの特徴的なところです。
ここで、日本三大頑固として挙げられている「肥後もっこす」は、1979年に西日本新聞が熊本市に限定して行った調査で、4割程度の人が誇りに思っていると同時に、否定的な回答も同程度あったといいます。わが「土佐のいごっそう」も同様なのではないか、というのがぼくの認識です。
ウィキペディアからの引用をつづけます。
弱者に対して優しく、行動は大胆不敵にして豪快で、己の主義信念を貫くためには時として、自己より優位の権力を持つ者とも係争する反骨精神を有する一方で、気乗りしないことは行動に移さない。
周囲の意見に傾聴せず独断専行し、自説が間違っているとされても考えを改めず議論のための機会を探るといった、議論のための議論を好む傾向にある。自分が考えるように他人が考えたり行動しないと気が済まず、目上の者への気配り、配慮に欠けるという。些末なことは気にせず物事を大きく捉えるため、人間の度量が大きく常識に囚われることもない反面、自分を実際よりもよく見せようとする傾向があると考えられている。
物事を曖昧なままにしておくことを嫌い、白黒をはっきりさせたがる傾向にあり、祖父江孝男著『県民性 - 文化人類学的考察』には、その性質は明治維新における過激な尊皇攘夷運動などにつながったといった指摘がある。
このくだりには、ぼくの「いごっそう」像にかなり近いものがあります。
その像を理解するためのキーワードを文中からチョイスして列記すると、「主義信念を貫く」「反骨精神」「独断専行」「議論のための議論を好む」「白黒をはっきりさせたがる」といったところでしょうか。ただ、「人間の度量が大きく」という表記は、ぼくの抱く像とは正反対で、むしろその心の狭量さが「いごっそう」の特徴だとぼくは考えているのですが。
高知県の県民性は、男性がいごっそう、女性がはちきんという言葉でよく表される。いごっそうが表す県民性をまとめてみると、行動は大胆不敵にして豪快。はなはだしく頑固、強情で妥協しない。物事を曖昧なままにしておくことを嫌い、白黒をはっきりつけたがる。このような気質が昔からよく言われている。『新・人国記』(朝日新聞社)によると、「がんこで、一徹で、一度こう思いこんだら、はたからなんと言われようとも、金輪際耳をかそうとしない。土佐人の代表的な性格」とある。他に思いつくままに挙げると、わがまま、負けず嫌い、つむじ曲がり、片意地、偏屈、傲岸不遜、大酒飲みなどの特徴がある。
わがまま、負けず嫌い、つむじ曲がり、片意地、偏屈、傲岸不遜、大酒飲み・・・そう、まさにそこです。
あいつは「いごっそう」やネヤ。
あいつは「いごっそう」やキニ。
かつて「いごっそう」は、そのような表現で用いられることが多くありました。
それはすなわち、どちらかといえば異物あるいは異端もしくは異形の人を指す言葉だったろうとぼくは考えます。多数派、あるいは一般的な人ならば、特別にそのような表現を用いずともよいはずですから。
確かに、いかにも土佐人的な者ではあったでしょう。だからそこに、毀誉褒貶が相半ばすることとなります。「ああ在りたい」という憧憬の念に近い感情と、「ああであってはいけない」と侮りにも似た感情がない混ざって「いごっそう」人格への評価があった。それはけっして、今のように持て囃されていたわけではなく、「快男児」とかいう言葉で表されるような単純なものでもありませんでした。ゆえに、それをもって土佐人気質を代表させるのには無理があります。
そうそう、そういえば、20年以上も前のことです。
ぼくの住む村で、小中学生の男性保護者を募って、「いごっそう」を冠した会ができ、その後数年間にわたって様々な活動をしたことがありました。その初回会合、いわゆる顔合わせの席でのことです。会の締めくくり近く、皆を前にして、司会(主謀者)が、こう問うたのです。
「このメンバーのなかで誰がもっとも”いごっそう”と呼ぶに相応しい人かを投票します」
結果は・・・そう、こういう展開となれば読者諸氏は容易に推察できたでしょう。
他ならぬこのぼくでした。
わがまま、負けず嫌い、つむじ曲がり、片意地、偏屈、傲岸不遜、大酒飲み・・・皆の目にそう写っているのかオレは・・・たしかに言えなくもない・・・が、しかし・・・外見はともかく内面では軟弱極まりないこのオレが、よくもわるくもそう呼ばれるのに値するか?
けっしてありがたくはなく、まして誇らしいはずもなく、どちらかといえば「なんだかなぁ」な結果を突きつけられ、しかしその反面で、少しだけ鼻が高くなっているぼくが、そう自問自答しているのを、他の参加者は当然誰も気がつかなかったはずです。
つまるところ、「いごっそう」は昭和後期の土佐人においてマイノリティであった。いかにその存在がいわゆる土佐人的であったにせよ、マジョリティではなかった。だからこそ、どこかしら畏敬の念をもってその存在が認められていた。言い方を換えれば、気質としての「いごっそう」は多くの土佐人男性に内在しているのですが、正面切ってその名乗りをあげられるほど「いごっそう」の価値は低くない。したがって、揶揄や嫌悪、場合によっては侮蔑といったネガティブな反応をすることはあっても、心底で否定的ではない。そんなこんなの感情を含みながら、やがてそれが好漢としてのイメージとなり、ある意味で理想の土佐人像として定着した。これが、いささか強引にすぎるきらいはありますが、ぼくの体験的仮説であり推測です。
ともあれ、されど「いごっそう」。
ある年齢以上の土佐人男性にとって、特別な言葉にはちがいないのです。