0が痛みなし、10が最大の痛みとして、 0~10までの11段階に分けて、現在の痛みがどの程度かを指し示す段階的スケールをNRS(Numerical Rating Scale)と呼ぶ。
一般的に用いられている聞き方には2種類あって、1つは、「今まで経験した一番強い痛みを10として今の痛みがどれくらいか」を聞く方法、もう一つは、「初診時や治療を開始する前の痛みを10として、今はどれくらいの痛みか」を聞く方法である。
と、訳知り顔のことを書いたが、以前から知識として備えていたものではない。昨年夏の虫垂炎にはじまり、今年明けの胆石発作から胆嚢摘出手術に至る病院通いで、毎度まいど看護師さんがやって来るそのたびに聞かれるこの質問について、遅ればせながら検索してみると、そのような答えを得られただけのこと、つまり、覚えたてほやほやの知識である。
それによると、「1~3は「軽い痛み」、4~6は「中等度の痛み」、7~10は「強い痛み」というように目安がある」らしいのだが、残念なことに、ぼくが昨年来かかっている医院ではその説明がなく、「最大が10」という基準が提示されただけ。
となると、毎度のことのように首をひねるのはコチラである。
といっても、一日に何度もあるそれを毎日繰り返しているのだから、あらかじめその答えは用意しており、初めての頃のように、質問されてからその場で即答するということはないのだが、だとしても、「さて今は?」と自問自答するときに、「これだ」と断定できるような答えが降りてくることはほとんどない。
特にアタマを悩ませるのが、今回のような場合だ。
術後すぐの質問に対してぼくは、最大である10という基準を最初の胆石発作の痛みにおいて答えた。
「(あれが10ならばこれは半分、というところが妥当かな、ということで)5かな?」
ところが、後になってそれが大きなマチガイだったことに気づく。そのときの痛みが中程度である5ならば、その後はまったく軽い痛みにしかならないはずだ。だが、後から後から押し寄せてくるのは、痛み止めを服用しなければならないほどの、あきらかに中の上か、もしくはそれ以上かもしれない痛み。にもかかわらず、ぼくが下す評価はその5に縛られてしまい、それと同じかもしくは下かという羽目になってしまったのだ。
これでは医療スタッフが正当な判断を下すことができない、と考えたぼくは、ある時期から自分の内での基準であるその5を7に引き上げ、その後の目安として問題を解決しようとしたのだが、そこで思い当たったことがある。
みなさんご存知のM‐1グランプリ、若手漫才師日本一を決める大会である。テレビ中継をされるその決勝大会には7人の審査員がいて、それぞれがそれぞれの演者に点数をつけるのだが、審査に慣れた一部の者はまず最初に演じた者につけた点数を基準として、そのあとの演者については、それと比較して評価をつけるという。アレを思い出したのである。
もちろん、如何に審査員それぞれに、それ相応の知識と実力があるとはいえ、人間がやることである。口には出さずとも、そこにはあきらかな判断ミスもあるだろう。そこらへんの審査員の感情模様がテレビ画面から垣間見えるのも、あの番組のおもしろさの要因であるひとつだろうとぼくは思っているのだが、そのアレを思い出したのである。
そして、次に思いが至ったのが、吾とわが身の環境においてぼくがよく抱く、「思いどおりにならない」という感情についてだ。
ひょっとしてアレもまたそうではないだろうか?そう思った直後、イヤまちがいなくそうにちがいないと確信した。
「思いどおりにならない」
それは、理想と現実とのギャップを嘆く感情や言葉である。
巷間よく使われるし、ぼくもまた、さすがに近ごろでは言葉に出すことが少なくなったが、あいも変わらずその想いが沸きあがるのはしょっちゅうだ。
だがそれは、基準とすべき「思い」をどこに置いているかで、その様相と評価の適否が随分と異なってくるものだ。そしてそれがその都度つど変わるようでは、評価される方はたまったものではないものでもある。
いや、ぼくとてもちろん、それは承知している。
と言ってはみても、以前はその当たり前の道理がわからず、日毎、「なぜ思いどおりにならないのか」と地団駄を踏み、夜毎、「なぜなのだろう」と嘆息しながら酒を飲み、翌朝には、その余韻をひきずりながら「なぜ思いどおりにいかないのか」と切歯扼腕していたのだから、エラそうなことを言えた義理ではない。
だが、少なくとも今のぼくはそうではない。
もちろん、相手に対する過度の忖度は害であるし、必要以上にコチラがベタ引きになることはない。そんなことをしていた日には、成るものも成らない。ときには、キツイ基準設定も必要だ。ただ、それを承知でいてなお思うのと、そのことに無頓着なまま思うのとでは、相手に対する雲泥の差があるはずだ。
と、それもこれもを含めて、自分の「思い」のみを基準にしてしまってはいけないことを、アタマで理解するのみならず腹で承知もしている。
とはいえ、考えてみればそれは、じつに曖昧模糊としたものではある。だとしたら、そこに数値目標のようなものがあってもよいのではないか。
「思いどおりにならないな」というこの「思い」の基準は最大である自分の理想を10点とすれば今は何点に置いている? そしてこの場合、その基準設定は合っている?
そんな問いかけをしてみながら、自分の「思い」を客観視する。いわば、ぼく的NRSがあってもよいのではないか。これまでのぼくのやり方には、まったくといってよいほどに存在していなかった方法ではあるけれど、そんなのもアリなのではないか。
「痛みは?」
看護師さんの問いかけに、「3」と即答しながら、そんなことを考えている術後2日目の朝なのである。
ヘタにいろいろな情報を持っていると、要らぬ迷いが出るモノですネ🤭💦
アタシの場合は、痛み止めが必要なレベルかどうかで分けるでありましょう😌✨
あとの細かいレベル値は、その日の気分次第で😁🎵
何にせよ、少しは痛みも治まりつつあるようで、ヨカッタです🤗💕
シンプル・イズ・ベスト、ですな。
なにせ、色んなことを考えすぎる質でして・・・
良いのやら悪いのやら ^^;