いつものことだが、ひねくれていて申しわけない。
とことわった上で書き始める。
某月某日、といってもそれほど前のことではない。
「写真、上手いよねえ」
眼前に立つ人を褒めようとして出た言葉だったが、思わず口をついて出たその言葉に違和感を覚えてしまったのも無理はない。何のことはない、そう感じたぼく自身が、他人にそう言われても素直に褒め言葉だと受け取れないからだ。
ぼくにとって「写真が上手」というのは、「小手先の見栄えがよい」と同義である。だから、「上手い」とか「上手」という表現を、どうしても褒め言葉と受け取ることができない。
幸いにして、眼前にいる妙齢の女性は、まことに素直に「ありがとうございます」と答えてくれた。しかも、心底そう感じているような顔をしてだ。
ほっとした。
救われたような気がした。
些細な言い回しにこだわり、屁理屈をこねまわしているとそうなる。そういうのを、策士策に溺れるに倣い名づけると、屁理屈野郎屁に溺れる、となるのだろう。
大切なものはたぶん、言葉づらや言葉の端々やらではなく、それを発する人の心の内にある。
わかってはいるのだが・・・
困ったものだね、どうも。
でも、心からそう思って発せられた言葉は、けっこう素直に感じてもらえるような気がする😊🎵
だから、なんとかひねり出した言葉でも、心を込めて発すれば、それなりにホンモノとして受け取ってもらえるかも…🤔
要は…演技力か…😜✨✨
どちらかといえば「演技しない力」ではないでしょうか (^_-)-☆