******おそらく人間社会は同一状態にとどまっていると滅びてしまうのでしょう。ですから、存在し続けるためには、たえず「変化」することが必要なのです。(略)ここでいう「変化」というのは、必ずしも「進歩」とか「刷新」を意味しているわけではありません。もし、生き延びるためにはたえず「進化」していないといけないとしたら、その焦燥とストレスで人類は疲れ切ってしまったでしょう。(現代人はそのせいでけっこう「疲れ切って」いますけれど。)レヴィ=ストロースは、社会システムは「変化」を必須としているが、それは、別に「絶えず新しい状態を作り出す」ことだけを意味しているのではなく、単にいくつかの状態が「ぐるぐる循環する」だけでも十分に「変化」と言える、と考えました。(P.162~163)******
結局のところ何がその差を分けたのか。あらためて見てみると、それを推察できる場合もあるし、まったくわからない場合もある。だが、たとえその理由が容易に推察できたとしても、そのときのジャッジが正解だとは限らない。
なんとなればそれは、その時々の前後左右とのバランスによって決められていることがほとんどだからだ。
インスタグラムにアップロードしている写真のことである。
早いもので、つづけ始めてからかれこれ4年半が経過した。
会社営業日にはほぼ毎日アップロードしてきたのだから、その数はゆうに千枚を超えているはずだ。ということはすなわち、その何倍にもなる数の写真たちがボツとなっていったということである。なかにはもちろん、箸にも棒にもかからないものがあるのだから、それはそれで採用されなくて当然だが、当落線上ギリギリのものが数枚あるときは、それはもう悩む。悩んだあげく決めどころは前後左右の投稿とのバランスか、さもなければエイヤーだ。
かわいそうに、そうやって不採用が決定したものは、時間の経過に埋没し、まず陽の目を見ることがない。
きのう、期せずしてそんななかの一枚に出会った。
iPhoneが、「アンタいついつにこんな写真を撮ってたんだよ」と教えてくれるなかにそれはあった。
わるくないじゃないか。
ひょっとしてアップ済みではないかとインスタグラムのタイムラインをざざっと確認してみたが、使用した形跡はない。
となると、一も二もない。ボツと採用の狭間で消えていった写真たちを代表して、陽の目を見せてあげることにした。
そして決めた。
ボツか採用かを悩んだやつは残しておこう、少なくともエイヤーでボツにするのはやめようと。
で、画像をニュースで紹介したいという地元テレビ局とのやり取りである。
提供表記を「視聴者からの提供」とするのか「(有)礒部組☆みやうち」というツイッター名にするのか、どちらかを選択してくれとアチラが問うてきたのに対して、迷わず「名前で」と答えた。そりゃそうだ。社名を使って行っている情報発信だもの、匿名にする意味はまったくない。
とはいえ、わたしの基準からすると、それほどニュース性があるような画像には思えない。本当に使うのか?半信半疑のまま、やり取りを終えたまま、それがどうなったのかを確かめる気もなく、そのままそのことすらもアタマから抜け落ちてしまっていた。
一本のビデオ通話がかかってきたのはその日の夕方である。通知先を見ると孫1号からだ。
「おじいちゃん、今どこにおるが?」と問うてくる。
「家におるよ」と答えると
「けど、さっきテレビに写っちょったぜ」ときた。
そうか。昼間のやり取りがよみがえった。
「写真やろ?」
「うん、”みやうち”って書いちょった」
娘が顔を見せないまま割り込んできた。
「ニュースをつけたまま、こんな日はおじいちゃんも道路のパトロールに行っちゅうがぜ、って言いよったら写真が出てきて”礒部組みやうちさん提供”って書いちょって、びっくり。あれってお父さんが撮った写真?」
「ちがうちがう。オレ、最近はパトロールとか行かんしね」
「え?おじいちゃん行ってないが」とまた孫が言う。
「うん、今はめったに行かん」
「そうながや・・・」と今度は娘の声。
その後、話題は別へと変わり、ほどなくして電話を切った。
「?」と考えたのはそのあとだ。
「こんな日はおじいちゃんも道路のパトロールに行っちゅうがぜ」という娘の声が耳の奥で聞こえた。
もしかして・・・
と、あることに気づいた。そうか。そうだったのかもしれない。
そのニュースを通じて、娘はわが子に、ふつうの暮らしを支える土木という仕事と、それを生業とする爺ちゃんの姿を伝えたかったのではないか?
いやきっとそうだ。それには、生身の人間としての爺ちゃんの姿がそこにある方が、よりリアルに感じることができるはずだ。
それなのに・・・
「オレ、最近はパトロールとか行かんしね」とは・・・
それに思い当たると、強烈な反省の念が押し寄せてきた。
嘘も方便である。なぜ「行くよ」と言えなかったのか。
あゝ・・・子の心親知らず。
娘よ、すまぬ。まったくもって気の利かない親父ではあるが、懲りずにお付き合いを願いたい。
「国道493号、北川村平鍋で落石。道路の半分をふさいでいます。これから当社の処理チームが現地へ向かいます」
という、落石が道路をふさいだ画像とともにアップしたツイートに地元テレビ局が反応。ダイレクトメッセージでいくつかのやり取りがあり、ニュースで使用したいという申し出を受けた。
さすがツイッターである。その拡散力は数多あるSNSのうちでナンバーワンという定評どおりだ。
とエラそうに言ってはみたが、じつは、またぞろイヤになって半年以上放置していた。いくたびも書いてきたとおり、わたしはツイッターという混沌とした場所がキライである。理由は・・・約7ヶ月前、何度目かの挫折寸前にここに書いた文章を再掲してみる。
******
何がイヤかってアソコには、わたしが目にしたくない情報があふれているからだ。不平不満、悪口雑言、呪詛や怨嗟に愚痴文句、またその逆に、正義の押しつけ、よいこと言いたい症候群、それらすべてが鼻についてたまらない。もちろんそうではないツイートもたくさんあるが、ややもすればネガティブな方がパワフルになりがちなのはWebという媒体にありがちなこと。しかも、ツイッターはほとんどが匿名ときているからなおさらだ。
******
それからほどなくして放置。以来、半年以上見向きもしなかったのを、思うところあって再開したのが今週はじめ。「思うところ」がどんな「ところ」かは、今は述べない。その「思うところ」と、それにもとづいた試行錯誤が、ある一定期間(最低一年以上かな)つづかないことには、いくらなんでも今度ばかりは他人さまに語る資格がないからだ。
「まあ諦めのわるい男だねえ」とか「ホントに懲りないおじさんだねえ」と嘲笑われても、事実そうなのだから仕方がない。
ということで、ツイッター復帰。祝うべきか嘆くべきか。どちらにしてもつづけるしかない。
よかったらのぞいてみてください。
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菅義偉前首相が辞めてから1年半あまりが経った。
なんて書き出しをすると、今まさにこのブログをどこかで読んでくれているアナタが、
「オイオイいったいどうしちまったんだよ〜( ´ ▽ ` )」
と驚かれとしてもムリはない。
飛び込みでふらりと訪れた人はいざ知らず、ある程度の期間お付き合いいただいた方ならば、「政治ネタはあつかわない」というわたしのブログ作法はご存知かと思うからだ。
え?知らない?
そうですね。たしかにことさらそれを強調したことは、ここ数年なかった(たぶん)。
では今、あらためて表明しておきます。「政治ネタ」はあつかわない。それがこの場におけるわたしの、長いあいだに渡る原理原則でした。
いやいや、何もその禁を破ろうとしているわけではありません。とはいえ15年もやってきたのですもの、時が経てば人も変わるし状況も変わります。だからまあ、そこらあたりは柔軟でよいのではないかと、近ごろでは思っているのです。
で、あらためて菅元総理である。
退任直後も評価されていたことだが、わずか在任1年ほどのあいだで、さまざまな「仕事」を成した総理大臣だった。
当時の『東洋経済ONLINE』にその一例がある。『去る菅首相がやった仕事「勝手ランキング10選」』という記事だ。次のようなものだ。
1.ワクチン接種体制の構築
2.東京五輪の開催
3.「2050年カーボンニュートラル」の宣言
4.デジタル庁の創設
5.日米豪印による初のクワッド首脳会合等の外交
6.福島第一原子力発電所から出るトリチウム水の処分方法の決定
7.携帯料金の値下げ
8.最低賃金の引き上げ
9.不妊治療への保険適用
10.国民投票法案など過去の積み残し法案の処理
ふむふむたしかに・・・と、こう並べてみるとあらためて納得する方も多いだろう。
ことほど左様に、その是非には賛否両論があるにしても、短期間で多くの「仕事」を成したという意味から言えば、近来では出色の内閣だったと言えるのではないか。
その一方で彼には、在任中から「発信力が欠けている」とか「プレゼン能力に欠けている」という批判があった。かくいうわたしも、その点に対しては、首相就任以前から一貫して「こりゃダメだ」と断じてはいた。
政治の裏側や駆け引きはサッパリわからないが、外見的には、それが命取りになったという見方もできる。
と同時にわたしは、あの人がもつ致命的欠陥は、「発信力が欠けている」とか「伝え方が下手」なことではなく、「発信しようとしなかった」あるいは「伝えようとする気がない」ではなかったかと思っている。
情報発信をする気がない、またそれを軽視もしくは無視する人たちに共通して欠落しているように思えることは、その気(の無さ)が人に伝わってしまうことへの認識だろう。ところがどっこいさにあらず、「伝えようとしている」のが相手に伝わるより以上に、「伝えようとする気がない」のは、その対象となる人たちに容易く伝わるものである。
どちらかといえば人は、「伝え方が上手だ」という能力に対してよりも、「伝えようとする」意図に対して期待をし、信頼を寄せるようになる。「伝えようとする意図」をもつ者が、よしんば「伝え方」という能力に劣っていたとしても、「伝えようとする」意思は伝わり、それが好循環の起点となることは意外なほど多い。
そしてそれは、なにも今にはじまったことではなく、たぶん昔からそうだった。それが無視あるいは軽視できないほどに重視されるようになったのが今というだけで、その対象の広い狭いの差こそあれ、昔からそうだったはずだ。
と、ここまで読むともうおわかりだろうが、そもそもわたしは、菅元総理の「伝えようとする気」の無さを今さら論うつもりだったのではなく、結局のところ、これまで数多く書いてきたり言ってきたりしてきたことを、ちがった題材を例にとって主張しているにすぎない。つまり、政治について論じているつもりはなく、我とわが身とわが環境について語っているだけだ。
で、あらためて表明しておきます。「政治ネタ」はあつかわない。それがこの場におけるわたしの、長いあいだに渡る原理原則でした。そしてこれからもそれは変わりません。とはいえ、15年もやってきたのですもの、時が経てば人も変わるし状況も変わります。だからまあ、そこらあたりは柔軟でよいのではないかと、近ごろでは思っているのです。以上。
ある現場の完成検査でのこと。現地計測をしていると発注者のひとりがおもむろにこう切りだした。
「あの部分って、現場のひとが工夫をしてくれてるんですよね」
「??(*_*) わかります?」
一見しただけでその工夫がわかるとは、オヌシデキルなと目を丸くしてたずねると意外な答えが返ってきた。
「見ましたから」
ハハァ~さては。合点がいった。
「ブログですか?」
「そう。マメですね~」
「え、えぇまあ」
「あれって3日に1回ぐらい更新してるんですか?」
「いや毎日」
今度は彼がビックリする番だ。
「まいにち!!(*_*)」
「そう。土日休みでほぼ毎日。もう15年ぐらいになります」
「じゅ、じゅーごねんー(゚∀゚)」
あれ?たしか15年にマチガイないよな?すぐさま脳内で指折り数えてみる。
かんたんな算数だ。瞬時に答えは出た。2023-2008=15。マチガイナイ。そうか、15年にもなるのだ。言ったコッチがおどろいた。
彼が見たというブログとはココではない。『(有)礒部組現場情報~土木のしごと~』の方だ。2年ほど前から、ココのほぼ倍ほどのアクセスが向こうにはあって、それまでの長いあいだとは正反対となっており、わたしが主宰するブログといえばアチラを思い浮かべるひとも多いようだ。しかも会話のなかでその話題がもちあがるのは、今回のように発注者からである場合が圧倒的に多い。幹部クラスの県職員もひとりやふたりではなかった。「地域社会に向けて」という当初の目論見からすれば、これは意外な展開だが、エンドユーザーである住民の手前に一次顧客としての発注者(すなわち役所)がいるというわたしの解釈からいけば、もちろんわるくない。どころかむしろ、諸手を挙げて歓迎したいような展開である。
かつて(約10年ほど前か)、国土交通省本省の幹部職員がわたしの知人に、「キミ、こんなの知ってる?こういうスバラシイ会社もあるんだよ」と言って開いたWebページが『(有)礒部組現場情報』だったという話はあったが、あくまでそれはスポット的なものであり、それがイコール世間的な評価とは結びついていなかったのが現実だった。今になってそれが「見た」とか「見てる」とか。さらに「あしたコレを出すんでしょう?」などと話しかけられるに至っては、長いあいだ晒しの場に身を置きながら、元来がシャイにできているわたしとしては、それはもう、尻がこそばゆく、穴があったら入りたい気分であるけれど、うれしくないはずがない。
石の上にも三年。塵も積もれば山となる。まさか何事かを達成したなどと思っているわけではないが、ちいさなことをコツコツとやりつづけた先に、たまさかちいさな成果があらわれることもある。そのちいさな成功体験を、次につなげるための糧にして、またつづけ始めようと思う。この意外な展開の先にあるものが、「地域社会に向けて現場から情報発信をしていくことから信頼を構築していく」という本来目指したところの実現なのか、あるいはまたちがった展開なのか、それは確とはわからないが、たぶんネガティブなものとはならない(局地的にはともかくトータルに見れば)。なんとなれば、ポジティブな情報を発信するものにはポジティブな情報が集まる。そのことだけは確かだと、この15年が教えてくれているのだから。
昨日一昨日と、十数年慣れ親しんだふだんの文体とは異なる書き方をしました。といっても、はじめはまったく意図したものではなかったのです。たぶん糸井重里さんの口調に、ついついつられてしまったのでしょう。
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白状します。
ぼくも「自分をよく見せる読書」をしていました。
******
ここまで書いて気づいたのですが、そのままそれで押し通したのは、なんだかとても新鮮でおもしろそうだったからです。
そこで大きなハッケンがありました。
文体を変えれば、書いている当人の気分まで変わるということに気づいたのです。
いつものぼくの文章は、ひとつのセンテンスはできるだけ短く、語尾は「だ・である」を用いてきました。それに対して昨日一昨日は、センテンスを短くすることは特に心がけず、語尾には「です・ます」を使うようにしました。
そうそうもうひとつ重大なことがありました。一人称です。ふだんは「わたし」であるところを「ぼく」としたのです。気分的にはこれがもっとも大きかったのかもしれません。ただ、なにぶん慣れぬことですから、自分のなかで若干の行き違いはありました。二日目は、ついつい「わたし」としてしまい、しまったとあとで気づいて「ぼく」に変えました。笑い話です。
そうすると、書いているときの気分があきらかにちがうのです。たぶんそれは、結果としてできあがったものにも結びついているはずだと思います。
そのことを、読んだ人がどう感じたかはわかりませんが、じつを言うと本人は、かなりの手応えを感じています。
スタイルチェンジか?
長くやってきて惰性に陥っているという内的事情もあったりするので、今、真剣に考えています。
ー・ー・ー・ー・ー
というこの一文、一旦はいつものように書いたものを、昨日一昨日と同じ文体を意識して、あとで変えてみたものだ。ひとしきり書いてみて、なんだかちょっと違和感を感じたからである。
たったふたつの小文が、わたしのアタマのなかに起こした波紋は大きい。
はて、この先どうしたものだろうか?
これで何度目だろうと指折り数えてみる。
たぶん三度目だ。いや四度目かもしれない。だが、3であろうと4であろうと、その数字のちがいに大した差はないはずだ。
またぞろツイッターがイヤになったのである。
6月末に意を決して復帰して以来4ヶ月、すでにひと月前にはヤル気をなくしていたのだから、実質は100日もつづけることができていない。
何がイヤかってアソコには、わたしが目にしたくない情報があふれているからだ。不平不満、悪口雑言、呪詛や怨嗟に愚痴文句、またその逆に、正義の押しつけ、よいこと言いたい症候群、それらすべてが鼻についてたまらない。もちろんそうではないツイートもたくさんあるが、ややもすればネガティブな方がパワフルになりがちなのはWebという媒体にありがちなこと。しかも、ツイッターはほとんどが匿名ときているからなおさらだ。
良質なツイ友を選ぶことによってそれは回避できるのよ、とある人に教えられ、そのとおりにやってはみたものの、どうも上手くいかない。では読まなければよいのだが、そこがわたしの弱いところで、目に入るとついつい読んでしまう。すると、それに応じてその種のツイートが次第に増えてくる。とどのつまり、自分で自分を守るためにはシャットダウン、そこから離脱するしかないという結論に達しかけているという状態、つまり、挫折一歩手前である。
だがこれまでとちがうのは、まだ「オイラいちぬけた」とはなっていないところだ。
今少し様子をみてみよう。離脱しようと思えばいつでもできる。今はまだその時期ではない。そう思いつつ約ひと月。
今日、町内でイベントがあり、久々に投稿してみた。
どっこい生きているてなもんだ(挫折前だけど)。
一週間前に開かれた「三方良しの公共事業推進カンファレンス2022高知」。今朝、『(有)礒部組現場情報』で終了の報告をしてなかったことに気づいた。さんざん宣伝をして参加をお願いしておきながら、終わればしらんぷりでは片手落ちもよいところだが、どうもわたしにはそういう癖がある。常に前を向いているためか、終わったことはそこでプツリとちょん切ってしまうという、まっとうな社会人としてはあるまじき傾向だ。
あ、またやってしまった。
少しく反省しながら、まだまだ遅きに失するということはないだろうと書き始めた。
******
去る10月7日
高知市において
「三方良しの公共事業推進カンファレンス2022高知」が開催されました。
『地域で考え地域で実践する担い手づくり』と題し
四国各地で独自に取り組む事例を発表してもらい
地域建設業にとって今も未来も深刻な課題である「担い手確保」問題を考えていく場としたい
という想いをもとに全体のプログラムやメンバーを構成しました。
もとより
この場だけで問題が解決するはずもありませんし
ひょっとしたら
問題解決の確かな方向性すら示すに至らなかったのかもしれませんが
その場その時でクローズすることなくその先へその外へと
時間と空間を飛び越えてひらけていくようなヒントが提示できたのではないかと・・・・
******
あらあら。これではいつもの色とはちがってしまうぞ。自らでそう警告を発したがキーボードを打つ手は止まらない。
えぇい、ままよ。流れにまかせて言葉をつなげていった。
おもしろいもので、うんうん唸ってもアタマをがりがり掻きむしっても、センテンスのひとつたりとも出てこないことはよくあるのに、こういう時にかぎって次から次へと言葉が湧いてくる。
ここいらでそろそろ締めよう。
ブログを書くという行為において、途中の論理の展開もさることながら、もっともアタマを悩ますのは締めくくりである。たいがいの場合、いくらスラスラと言葉を紡げたとしても、締めではかなり高い確率で悩む。
ところが今朝は、そこさえもちがった。
******
であれば
やることはひとつ。
一人ひとりが自分の持ち場で笑顔でたたかえエブリバディ!
みなさん
がんばりましょう
ボチボチと。
******
そう締めくくり、思わず笑った。
これまで何度繰り返したかわからないそのフレーズは、ココで使いこそすれアッチではたぶん用いたことがない。しかもその内容も、これまでならココで書くべきだと考え実行してきたものである。
だが、笑ったのはそこではない。
場所が変われば色合いが変わる。けっして努めて変えたわけではない。長いことつづける過程で、いつのまにか、ココで書く自分とアッチで書く自分をすんなりと切り替えることができる脳になっているのである。
それがおもしろかった。
ふむ。たまにはこんなのもいいわな。そんなこんなを繰り返し、「たまには」の回数が徐々に増え、どう見ても「たまには」とは呼べなくなり、コチラがアチラに吸収合併されたとしても、それはそれでおもしろいのではないか。そう思った。それもまた流れであり成り行きならば、力づくで止めることでもないのだもの。
参考までに。
こんなんです。
↓↓
『「三方良しの公共事業推進カンファレンス2022高知』終了』