ルネ・マグリットの『イメージの裏切り』。
わたしは初めて知ったが、とても有名な絵画らしいから見たことがある人も多いだろう。
絵の下に書かれてある文字はフランス語で”Ceci n'est pas une pipe"。直訳すると「これはパイプではない」となる。
ところが、どこからどう見てもこれはパイプだ。いくら、人の感じ方は一様ではなくそれぞれにはそれぞれの見方があると信ずるわたしでも、これがパイプ以外の何かに見える人がいたとしたら「どうかしてるのではないかアナタは?」と言うだろう。
ではなぜ「これはパイプではない」のか。作者の意図はどこにあるのか。マグリットはこう語ったと伝えられている。
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かの有名なパイプ。こいつのおかげでどれだけいろんな連中から非難されてきたことだろうか。
でも、私のこのパイプに、タバコを詰めることができるかね。できやしない。これは単なる表現だよ、違うかね。だから、もし私がこの絵に〈これはパイプだ〉と書き込んでいたら、私は嘘をついていたことになったはずだ。
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つまり、彼が描いたのはまぎれもなくパイプだけれど、それはあくまでも絵画という手法を用いて表現されたパイプ、すなわちパイプのイメージに過ぎないのであって本当のパイプではないということらしい。
ナルホド。だから「これはパイプではない」なのか。とあれば仰るとおり。全面的に同意する。
同様の意味をもつ言葉に、「地図は現地ではない」というのがあるらしい。発信者はアルフレッド・コージブスキー。「ある物から派生した抽象またはその物への反応はその物それ自体ではない」という自らの見解を要約して、その言葉を述べたという。
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地図はそれがあらわす現地そのものではない。
しかし、もし正確であれば、それは現地に似た構造を有しており、そのことがそれの有用性を生み出す。
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このふたつから、わたしがすぐさま連想したのはBIM/CIMのことである。
その連想にもとづき、「パイプ」や「地図」を「3Dモデル」もしくは「構造物」と置き換えてみた。
まずマグリットの方からいく。
「私がつくったこの3Dモデルの構造物に、クルマを走らせることができるかね(仮想体験は別、あれはあくまでも疑似体験にすぎません)。できやしない。これは単なる表現だよ。だから、もし私がこの3Dモデルに〈これができあがる構造物だ〉と書き込んでいたら、私は嘘をついていたことになったはずだ」
次にコージブスキーだ。
「3Dモデルはそれがあらわす構造物そのものではない。しかし、もし正確であれば、それはできあがる構造物に似た構造を有したモデルであり、そのことがそれの有用性を生み出す」
ひょんなことから出会った『イメージの裏切り』という絵と、それに関連して知った「地図は現地ではない」という言葉。それをつなげた結果、(わたしが考える)BIM/CIMの本質(のようなもの)と有用性をかなり的確に表現した文章ができあがった。
よいではないか。
そう独り言ちるが、なんてったって受け売りだ。しかも継ぎ接ぎである。エラソウなことを言えた義理ではない。
今年もまた、BIM/CIMをテーマにいくつかのセミナー講師を頼まれている。そのなかで、この受け売りのツギハギが重要なピースのひとつとなりそうだ。締めのひと言かもしれない。いや、きっとそうなる。マチガイナイ(たぶん)。