答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

受け売りの継ぎ接ぎ

2023年06月01日 | オヤジのICT修業

 

 

 

 

ルネ・マグリットの『イメージの裏切り』。

わたしは初めて知ったが、とても有名な絵画らしいから見たことがある人も多いだろう。

絵の下に書かれてある文字はフランス語で”Ceci n'est pas une pipe"。直訳すると「これはパイプではない」となる。

ところが、どこからどう見てもこれはパイプだ。いくら、人の感じ方は一様ではなくそれぞれにはそれぞれの見方があると信ずるわたしでも、これがパイプ以外の何かに見える人がいたとしたら「どうかしてるのではないかアナタは?」と言うだろう。

ではなぜ「これはパイプではない」のか。作者の意図はどこにあるのか。マグリットはこう語ったと伝えられている。

******

かの有名なパイプ。こいつのおかげでどれだけいろんな連中から非難されてきたことだろうか。

でも、私のこのパイプに、タバコを詰めることができるかね。できやしない。これは単なる表現だよ、違うかね。だから、もし私がこの絵に〈これはパイプだ〉と書き込んでいたら、私は嘘をついていたことになったはずだ。

******

つまり、彼が描いたのはまぎれもなくパイプだけれど、それはあくまでも絵画という手法を用いて表現されたパイプ、すなわちパイプのイメージに過ぎないのであって本当のパイプではないということらしい。

ナルホド。だから「これはパイプではない」なのか。とあれば仰るとおり。全面的に同意する。

同様の意味をもつ言葉に、「地図は現地ではない」というのがあるらしい。発信者はアルフレッド・コージブスキー。「ある物から派生した抽象またはその物への反応はその物それ自体ではない」という自らの見解を要約して、その言葉を述べたという。

******

地図はそれがあらわす現地そのものではない。

しかし、もし正確であれば、それは現地に似た構造を有しており、そのことがそれの有用性を生み出す。

*****

このふたつから、わたしがすぐさま連想したのはBIM/CIMのことである。

その連想にもとづき、「パイプ」や「地図」を「3Dモデル」もしくは「構造物」と置き換えてみた。

まずマグリットの方からいく。

「私がつくったこの3Dモデルの構造物に、クルマを走らせることができるかね(仮想体験は別、あれはあくまでも疑似体験にすぎません)。できやしない。これは単なる表現だよ。だから、もし私がこの3Dモデルに〈これができあがる構造物だ〉と書き込んでいたら、私は嘘をついていたことになったはずだ」

次にコージブスキーだ。

「3Dモデルはそれがあらわす構造物そのものではない。しかし、もし正確であれば、それはできあがる構造物に似た構造を有したモデルであり、そのことがそれの有用性を生み出す」

ひょんなことから出会った『イメージの裏切り』という絵と、それに関連して知った「地図は現地ではない」という言葉。それをつなげた結果、(わたしが考える)BIM/CIMの本質(のようなもの)と有用性をかなり的確に表現した文章ができあがった。

よいではないか。

そう独り言ちるが、なんてったって受け売りだ。しかも継ぎ接ぎである。エラソウなことを言えた義理ではない。

 

今年もまた、BIM/CIMをテーマにいくつかのセミナー講師を頼まれている。そのなかで、この受け売りのツギハギが重要なピースのひとつとなりそうだ。締めのひと言かもしれない。いや、きっとそうなる。マチガイナイ(たぶん)。

 

 

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ちょっと nova した "Galileo Galilei"

2023年02月17日 | オヤジのICT修業

 

調べ物をするために拙ブログ内を検索(15年もつづけてきた結果、ここは私論とその歩みのデータバンクとなっている)していたら、14年前のきのう2月16日、『367年後に「名誉回復」をしたということ』という小文を見つけた。同じく14年前のその前日2月15日に配信された共同通信の次のようなニュースに触発されて書いたものである。

******

「ローマ法王庁(バチカン)は15日、イタリアの科学者で天文学の父とされるガリレオ・ガリレイ(1564-1642年)をたたえるミサを死後367年たって初めて、ローマのサンタマリアデリアンジェリ教会で行った。」

「ガリレオは望遠鏡を製作し、木星の惑星や月の海を発見。その観測を基にコペルニクスによる地動説を支持したため、宗教裁判によって晩年軟禁生活を送った。死後も名誉は回復されず、カトリック教徒として葬られることも許されなかった。」

******

それを受け、51歳のわたしはこう書いている。

「死後367年たって解ってもらえる人もいるんだ、しかも、後世だれでもが常識であると認めたことを唱えたのに尚かつ、である。ひとはどうして解ってくれないんだろう、などとそんな思いをもつのは、ワタシの甘えにしかすぎないのだ。と、思っても所詮凡人にしか過ぎない自分は、367年とまではいかなくても10年20年というサイクルでは考えるようにしたいな、とポジティヴになった。20年先には死んでいるかもしれないが、それはそれ。」

そういえばそうだった。ブログをはじめてまだ一年も経たないこのころは、「ワタシ」という一人称表記をしていたのだ、と少しおかしかったが、それは今日の拙文の内容とはなんの関係もないので置いておく。

話は「ガリレオ」である。じつは昨年9月の松江遠征から、拙講のネタとして「ガリレオ」を使っている。しかもそれは、「自作の望遠鏡で木星の惑星や土星の輪っか」を発見したという歴史的事実をもとにしているものだ。

それを書いたことを失念していたわたしが、たまさかかつての拙稿に遭遇し、「お」と目を見張って「へー」と感心したのもムリはない。

当時ガリレオがつくって観測に使ったのは30倍の望遠鏡で、今では小学生でもつくることができそうなものだ。その程度のもので彼は、イオ、エウロパ、ガニメデ、カリストという衛星を発見するなどの大きな成果をあげることができた。それを元にしたわたしのネタとはこうだ。

 

どうやらガリレオには、木星には衛星があるはずだという仮説があらかじめあったわけではなく、その前年にオランダで発明された望遠鏡という最新技術を使い、おもしろがって(たぶん)天体観測をしていた結果、あたらしい星をハッケンしちゃったらしい。

ポイントは「わかっていた」からやったわけではない、というところだ。「わからない」けど「やった」ことで、あたらしい星を見つけるという成果が生まれたというところである。

「あたらしい星」のことをイタリア語ではnovaと言う。

novaはラテン語で「あたらしい」。

Inovationという語に含まれるnovaがそれである。

ちょっと「あたらしい」ことをやってみた。

ちょっとnovaしてみた。

そしたらnovaをハッケンしちゃった。

そしてInovationが起きた。

まずスタートは「やる」である。「あたらしいことをやる」という行為からはじまっている。それによって生まれた成果は、あらかじめ想定していたことではなく、まして「わかっていた」ことでもない。

まずやってみる。わからなくてもやってみる。肝心要の部分はそこである。

そしてそのあと、サン=テグジュペリが言ったという次の言葉をつづける。

「答えはわからない。必要なのは前に進む力をつくりだすこと。答えはそのあとでついてくる」

 

以上、ちょっとnovaした”Galileo Galilei”。わたしの「BIM/CIM話」の小ネタである(といってもまだ二度しか披露しておらず未だ完成形ではないが)。

いかが?

 

 

 

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あいもかわらぬ

2022年12月11日 | オヤジのICT修業

 

今年一年は、自らの講演テーマがBIM/CIMであることが多かった。ある時は先方の指定で、またある時は自分自身の選択でと、その割合は半々ぐらいであったろうか。とにもかくにも、2022年は「BIM/CIMについて語るひと」だった。

そんな年の暮れ。早くも半年ほど先のオファーがちらほらと届きはじめている。さて来年は・・・と考えていた矢先、ある発注機関から年明けオンラインで、という要請があった。小規模建設業者に向けたDXやi-Construction関連の催しだという。もちろん、ことわる理由はない。

「内容は?」と問うと「お任せです」という。

さて・・・首をひねって考えた。

だが・・・いくら考えたところで、その分野におけるわたしのネタがそうそうあるわけではない。

ということで、BIM/CIM話とすることにした。

なんとなればBIM/CIMは単なる便利ツールなどではなく、建設DXの根幹をなす、いわばプラットフォームのようなものであるのだもの(たぶん)、さまざまなアプローチによる考察がなされてしかるべきだ。そのなかのひとつとして、わたしのような地域の小規模建設業の視点からのそれが重要なのは言うまでもないが、残念ながら、小規模建設業の現場に拠って立ってそれを語ることができる人は、ごくごく少ない。

であれば、やはりわたしはそれを語る。

ま、それしかできないというウワサもあったりするかもしれないのだけれど。

 

 

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トップランナー

2022年12月06日 | オヤジのICT修業

 

ICTトップランナー意見交換会というやつに参加させてもらった。といっても、その模様をオンライン配信するために意見を開陳した6社6名とは異なり、ただの見学者としてである。

だが、そんなわたしの想いを知ってか知らずか、司会者がわたしを指名し意見を求めた。話題がiPhone LiDARの活用法について移ってからである。たぶん、その場に参加していた半数ほどがまったく試していない未知の分野だったゆえの見学者登場だったのだろう。わたしの意思はどうあれ、ライブ配信のビデオが流れている最中だ。断るわけにはいかない。あくまでも現時点でとことわって、私見とわずかばかりの実例を披瀝させてもらった。

そんなこんなもありつつ、会のさなかにトップランナーという位置づけについて考えてみた。

そもそもわたしとわが組織が、その道のトップランナーという呼称に相応しいかどうかは疑問である。数年前なら、いやいやそれに値するほどのことはしていませんよ、とアタマから否定していたはずだ。だが今はちがう。ひょっとしたらそうなのかもね、などという感覚ではいる。ほんの少しばかり先を走っているようだ、と感じることが多々あるし、そう評されることも多いからだ。

「とりあえずは大きな流れの中で流れ、それ以上のスピードで流れることで独自性を保つ」(川俣正)

桃知さんに教わったその言葉を戦略として採用してから15年近い歳月が流れた。

というと体裁はよいが、そのじつは、いち早く大きな流れを察知するように努め、その流れの中で足掻くことで、そこで泳ぐノウハウを身につけていくというスタイルをとりつづけてきたに過ぎない。その意味から言えば、「それ以上のスピードで流れ」たことがどれほどあるか。「独自性を保つ」に至っては言うもおこがまし。

もしもトップランナーであるとしたら、それはスピードランナーであるがゆえにそこに在るというポジションではなく、いつも早く走りはじめているがゆえにそうなっているに過ぎない。しかもそれはロケットスタートなど夢のまた夢、先ゆく人からはかなり後方というポジションである。それでもなおその後ろには大多数がいるゆえにトップランナーと呼ばれているに過ぎない。

となるとやはり、わたしとわたしの組織はトップランナーという呼称に相応しくはないという結論にならざるを得ない。

もっとも、大切なのは何のために何をやっているのか、また何をやろうとしているのかなのであって、トップランナーであるかないかなど、そもそもどちらでもよいことなのではあるが。

 

 

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スキャンエックスのウェビナーで11月16日(水)16時からしゃべります。

2022年10月28日 | オヤジのICT修業

 

 

 

スキャン・エックスのゲストウェビナー。『小規模建設業でBIM/CIMをたのしむ!』。

10月13日の前編では、「ずっと見てたけどアンタは最後の数分しか出てこなかったじゃないか。金返せ(無料やけど)」と数人の知り合いからクレームが入ったが、後編はみっちり90分、一人舞台でやらせてもらうことになっている。

11月16日(水)、16時から17時30分まで。

お申し込みはコチラから。

↓↓

https://scanx.jp/news/2022octnovwebinar

 

というお知らせでした。

御用とお急ぎでない方はぜひ。

 

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ScanX無料WEBセミナー『小規模建設業でBIM/CIMをたのしむ!』(前編)

2022年10月11日 | オヤジのICT修業

 

間際の告知となってしまい申しわけないが、あさって13日(木)、ScanX無料WEBセミナーにゲストとして参加する。

タイトルは『小規模建設業でBIM/CIMをたのしむ!前編』。「前編」というからにはもちろん「後編」があって、わたしはその後の方を主に担当するのだが、その予告も兼ねて、家入龍太さんがメインスピーカーを務める前編に出演するという段取りだ。

 

 

主催者さんのサイトにある「お知らせ」から、その内容を転載してみる。

******

小規模建設会社でも、楽しみながら3次元計測、点群解析ができます。

無理なくBIM/CIMを取り入れるヒントを、建設ITジャーナリストの家入さん、各講演でも人気の高い高知・礒部組の宮内さんをお招きしてお話いただきます。

******

当日参加できない人には後日動画視聴という方法もあるらしい。

申込みまた詳細は、ScanXさんのサイトから。

https://scanx.jp/news/20220916?fbclid=IwAR3UFAr2WPPWA15YXr_k2ECDpPENbsNgxEhe85zkkyqjy6vZ9ZrBC3BJ3g4

受付はあした(12日)の11時まで。

繰り返すが、間際の告知になって申しわけない。

興味がある方はぜひ!

 

 

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かわいくないヤツ

2022年10月03日 | オヤジのICT修業

 

モネの庭で測量をしていた。

 

 

 

 

 

iPhoneLiDARで地形をスキャンし、取得した点群データ上で面積を測ったり必要な断面を抽出したりするのである。従来型の呼称を当てはめれば、スキャンが測量で点群データ化以降は設計というところだろう。

スキャニングしたデータがふたつに分かれているのは、一回で取ろうとしてデータ容量がオーバーになったためだが、PC上でこれを合体させればよいだけのこと。なんの問題もない。

ちなみに、これが帰ってソフトの上で合体させたデータである。

 

 

 

 

場所はといえば、水の庭である。

園路と園路のあいだには池があり、池には睡蓮が咲いている。

先週末に打合せで行ったときは夕方であり、その前は台風通過から4日後。睡蓮たちは、ほとんどその姿を見せてはいなかった。

ところがどっこい、今日はまったくちがっていた。

空は澄み渡り、といってもその半分近くは白い雲が占めているが、こと池を愛でるという行為においては、それが絶好のロケーションとなる。そう水鏡だ。そして空の青と雲の白が反射すると、睡蓮の色自体がじつに明るく華やかなものとなる。

だが・・・カメラがない。

そう・・・Myカメラを持ってきていない。

もちろん、iPhoneで撮るという選択肢はある。

しかし・・・iPhoneか・・・わたしはあの鮮明すぎる色合いを、諸手を挙げて好きになれない人なのだ。

だがまあよいか。せっかくだから何枚か撮っておこう。

すべての作業が終わってから、おもむろにiPhoneを池へと向け、一枚一枚また一枚。

 

 

 

 

 

ほ~・・・そうかそうか。

撮り方さえ気をつければ、これはこれでけっこう使い途があるのだ。

今さらわかったことではない。

とうにわかっていたことなのだが、こと睡蓮に限っては、iPhoneというチョイスをしたくなかっただけである。

 

これひとつでほとんどのことが出来るようになるのがこれからの土木施工管理だ、なんてことをわたしが言い始めたのはいつ頃からだったろうか。それほど前ではないはずだ。

そんなわたしの近ごろときたら、その手にはいつもiPhoneが握られている。

と、思わず知らず、その重宝さとは裏腹な心が持ちあがった。

 

チッ、なんでも出来てかわいくないヤツだ。

池の前で独りごちた。

 

 

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老年ライダー

2022年07月27日 | オヤジのICT修業

 

砂防工事現場にて、取り合わせというかすり合わせというか、工事の主たる構造物である砂防ダムではない箇所の構造物の変更を提案するために、現況地形を iPhone LiDAR でスキャニングした。すでに、着手前あるいは施工中に幾度も、地上レーザー型スキャナで点群データを取得しているのだが、さらに細かい地形を拾いたいため、小回りが利く LiDAR に目をつけたというわけである。ことほど左様にぼちぼちと、オヤジの LiDAR修業はつづいている。

ふと思い立ち調べてみると、仮面ライダーの最初のシリーズ、いわゆる「初代」の放送がはじまったのは1971年の4月だという。既に中学生だったわたしは、とたんに人気沸騰したそのテレビドラマを見るには見たが、さほど夢中になるでなく、ましてや、当時子どもたちの間で大流行した「ヘンシン」などというポーズなどやるはずもなかった。そう、「世代」ではないのである。したがって、仮面ライダーという言葉の響きに懐かしい思いを抱くこともない。

だが、それから51年が経った今、何を勘違いしたのか、ライダーになろうとしているわたしがいる。もちろん仮面ライダーにではない。さしずめそれは、老年LiDAR とでも呼べばよいか。

何故 LiDAR なのか。発注者の意向がどうのこうのと言うものではない。杜の都のわが盟友ヒゲブチョーの言葉を借りると、それは「ICT、使い方ぐらい自分で決めようぜ」の一環だ。オカミが推奨する手法やツールを使えば成果があがるのではない。だいいち彼らは、それによって成果が上がるか上がらないかについて承知しているわけではないし、一部の優秀な人たちはそのことを十分把握してもいる。それなのに未だに多くの施工者は、正解が上から降りてくるという思い込みを持ちつづけている。

考えてもみてほしい。どんな機械でもどんなツールでもどんな手法でも、成果が上がる上がらないは、それを使ったこと自体に起因するのではなく、ツールを上手に使ったという事実が成果に結びつくのである。勘違いしてはならないのが、その「上手」はけっして技術や技能というテクニカルな意味での「上手」ではないということだ。いや、テクニカルな優劣は確かに存在するし、それがまったく意味をなさないかというとそうではなく、テクニックを習得しなければ壁を超えられないこともざらにある。ここでわたしが言いたいのは、本質はそこにはないということだ。人真似や他人からの受け売りを、それぞれちがった自らの環境や目的にフィットする方法に翻訳することができるという意味での「上手」、つまり、自分のアタマで考えたことを自分の手足を使って実施し、その結果をまたアタマにフィードバックして考え行動するという繰り返しのなかから、自分の組織に落とし込んでいく。ここで言うところの「上手」はそういう意味である。

そういう文脈において、LiDARは一例に過ぎない。だいいち、LiDARにどれほどの可能性があるか、わたしにはわからない。ただわたしの経験と勘が、コイツは使えるんじゃないかと囁いているに過ぎない。しかもそういった囁きの類が外れたことはゴマンとある。

だがやってみようと思っている。まずやってみようとしている。この稿を書こうとした発端が、仮面ライダーとLiDARの単なる語呂合わせ、つまりオヤジギャグだとしても、そしてそれが毎度まいどのわるい癖で、大げさになってしまったというのが事実ではあるが、それを差し引いてもなお「老年LiDAR」、わるい思いつきではない。

 

 

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牛の歩みの

2022年06月07日 | オヤジのICT修業

 

きのうお知らせした『北海道土木・建築ICT促進展』で話すシナリオが固まった。といっても、たぶん直前まで修正を繰り返すのだろうが、とりあえず決まった。

お題は『中小零細建設業でBIM/CIMをたのしむ』だ。案内には「CIMをたのしむ」とあるが、BIM/CIMに変更した。たしか以前にも書いたが、わたしはBIM/CIMという呼称があまり好きではない。したがって、たいていの場合は、CIMで通している。ではなぜ今回はBIM/CIMなのか。口に出してみるとそっちの方が語呂がよかったからである。

「CIMをたのしむ」と「BIM/CIMをたのしむ」。つまり、「しむ」と「たのしむ」とをかけ合わせただけよりも、「びむしむ」と「たのしむ」を対比させた方が韻を踏んで語呂がよい。そんな駄ジャレでタイトルを変えてしまうのだから、このオヤジ、あいかわらず大したことはない。

話のメニューは、大まかに2つ。まず前半を「たのCIM概論~なぜBIM/CIMが必要なのか~」、後半には「たのCIM実践編~12年の牛の歩み~」と名づけた。

「牛の歩み」とは、やらなければと気づいた12年前から今に至るノロノロとしたわたし(たち)の軌跡のことである。

それについては、ほんのこの前まで「亀」と自称していた。たぶん、先月末の幕張メッセでもこんなふうに言ったはずだ。

「10年以上もやってこの程度でしかない。亀のような歩みです」と。

しかし、あのあとすぐ、「亀」ではないなと気づき、「牛」にすることにした。停滞、つまり歩みを止めていた時期がけっこうあるからだ。歩いては止まり、止まってはまた歩きはじめを繰り返してきたことを思い起こせば、それはどちらかといえば「牛」の方が適当だろうと考えたのである。

それについては、もうひとつの理由がある。

ご存知の方も多いだろうが、時に牛は走る。本気で走ると、トップスピードは時速24kmほどにもなるという説もあるほどだ。100メートル走換算なら15秒。小学生ならけっこう速い(たぶん)。はて、今のわたしがそのタイムで100メートルを走り抜くことができるかと考えると、なおさらである。

そう、「やるときゃやるぜ」の想いを「牛」という比喩に込めた。

とはいえ、ひょっとしたら、ずっとトップスピードでは走らないままなのかもしれない。いや、その蓋然性はかなり高い。しかし、可能性がないではない。

それが「亀」であっては、可能性がゼロだ。夢も希望もない。だから「牛」である。

さて、いかような話になるのか。自分でもたのしみだ。

わるくないのではないか。秘かにそうも思っている。

(といって自分でハードルを上げる無謀なオヤジ)

 

 

 

 

 

 

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夢の中

2022年06月06日 | オヤジのICT修業

 

今週9日、札幌で一席務めることになっている。

自宅でその資料づくりに勤しんでいたきのう、朝、部落総出で行った県道の草刈りの疲れが出たのか、知らぬ間に落ちて、20分ほどとろとろと眠ってしまっていた。

といっても、まどろみながらもストーリーをずっと考えていた当の本人には、眠ってしまった感覚がない。

その夢の中、よいフレーズが降りてきた。

これだ。

目があいた。

夢か。

ここでようやく眠りに落ちていた自分に気がつき、すぐにキーボードに手を伸ばした。

だが・・

出てこない。

うんうん唸っても出てこない。

いくら待っても出てこない。

待ち疲れても出てこない。

一夜明けても未練はたらたら、また挑んでみたが出てこない。

嗚呼、なんてこったと地団駄踏むが、そもそも縁がなかったのだとあきらめた。

果たして、逃した魚は大きかったのか、そうでもなかったのか。

そもそも手がかりすら思い出せないのだもの、想像することもできない。

みんな夢の中、である。

 

 

 

 

 

 

 

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