答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

〈私的〉建設DX〈考〉その8 ~ ラテラルで行こう

2024年06月24日 | 〈私的〉建設DX〈考〉

ラテラル思考とは

ラテラル思考、といってもピンとこないひとは、またオマエわけのわからない言葉をひねり出したな、と思われるかもしれませんが、残念ながらそうではありません。

ラテラル(lateral)とは「横に向かった」「水平な」という意味で、論理を縦方向に深く掘り下げるロジカルシンキングに対して、発想を横にひろげる、つまり、常識や既成概念や固定観念に固執せずに自由な発想でアイデアを生み出す思考法のことです。その起源はけっこう古く、今から60年以上前、マルタの医師であり心理学者でもあるエドワード・デボノが提唱した考え方で、一般に、ラテラルシンキングまたは「水平思考」と言います。

ぷっ、じゃあなぜ、わざわざラテラル思考と呼称を変えたんだよ、と口に含んだコーヒーを吹き出しかけたそこのあなた、いやいや、有り体に言えば特段の意味はなんにもない。ひとえにぼくの感覚でしかありません。ですが、そこは大切にしましょう。なので断固としてここでは、ラテラル思考という表現を採用することとします。

では、ラテラル思考によってデジタル・トランスフォーメーションに至った例としてはどのようなものがあるでしょうか。

クラウドファンディング、ストリーミング、フードデリバリー・・・なんて言葉が次々と脳裏に浮かびましたが、行きがかり上とはいえ、メタモルフォーゼでApple(iPhone)、コペルニクス的転回ではAmazonといった雲の上の世界的巨大企業を例に挙げてしまったのですから、ここはひとつ和製で行きましょう。

「和を以て貴しとなす」です(意味がちがうけど)。2013年創業の日本発フリマアプリ「メルカリ」です。


メルカリにおけるラテラル思考

「メルカリ以前」、中古品のリサイクルやリユースは、主に次のふたつの経路でやり取りされていました。リサイクルショップとオークションサイトです。リサイクルショップはアナログです。実店舗で買い取って再販売するので、空間や時間の制約を受け、商品の取り扱いに限界がありました。
「ヤフオク」に代表されるネットオークションはデジタルですが、操作がやや複雑で初心者にはちょっとばかりハードルが高く、入札期間が必要で落札価格が不確定でした。

それを縦に深堀りしていけば、いろんな改善方法はあったはずですし、実際、それらを運営する企業も、その制約に対して手をこまねいていたわけではないでしょう。例えばリサイクルショップのオンライン化や、オークションサイトの機能を強化するなど、さまざまな方法が実行されていたはずです。
メルカリの画期性は、それを縦に掘り下げることをせず、水平に思考を展開したことにあるとぼくは考えます。

まずそのポイントのひとつは、ユーザー中心であったということ。誰でもがかんたんに使えるスマホアプリを開発し、物品の売買を手軽に行えるプラットフォームを提供した。
出品や購入がいくつかのステップで完了するシンプルな操作性と、写真を撮って商品の情報を入力するだけで手続きが完了する出品、購入もワンタップで完了します。即時購入即時売却です。これによって、時間や場所にしばられずに利用できて誰でもかんたんに売買することが可能となり、複雑さや時間や空間の制約を排除することに成功しました。
そして、匿名配送や安全な決済システムを導入して、取引の安全性とユーザーのプライバシーを確保、取引後の評価システムによって安心できる売買コミュニティーがかたちづくられました。

というふうに見ていくと、メルカリの成功のもとにあったのがラテラル思考であり、その成果はまさに、デジタル・トランスフォーメーションと呼ぶにふさわしいものだったということがわかります。


肝はデジタルツールへの向き合い方

さて、DXへと至るプロセスの3パターン、(1)メタモルフォーゼ、(2)コペルニクス的転回、(3)ラテラル思考について、代表例だと思われるものを挙げながら考察してきましたが(いささか強引にすぎる展開になった感もありますが、そこはしょうがない奴だなと笑ってご容赦のほどを)、こうして並べみると、「メタモルフォーゼ」だけが、その難易度において突出していることに気づきます。
世界規模のイノベーションなのですから、それはあたりまえのことですが、あくまでも、ここで生きつ戻りつしながら考察しているのは「建設DX」、しかも地域で生きる中小レベルの建設企業にとってのそれなのですから、メタモルフォーゼ的DXは、その範囲外とした方がよさそうです。

つまり、「スマホ」を例にとれば、スマートフォンというイノベーションを起こすのではなく(もっともそれは、やろうと思ってもできないことではあるのですけど)、そのイノベーションが実現したことによって手に入ったデジタルテクノロジーをどうやって活用していくかを、たとえばコペルニクス的転回的発想であったり、またたとえばラテラル思考的考察であったりを駆使しながら実践していくことが、ぼくやあなたのような地元建設業者にとっての在り方であり、またDXへの向かい方なのだとぼくは思うのです。

たとえばスマートフォンというイノベーションも、「カメラにもなりインターネットもできる便利な携帯電話」だという扱いしかできないのであれば、それはまさしく、「猫に小判」であり「豚に真珠」。どうやってもその先へと進むことはできません。
肝心なのはデジタルツールへの考え方であり向き合い方です。

そこで、〈その2〉で提示した「あらたな仕事のやり方/あたらしい技術」(「あたらしい技術」という分母をいくら大きくしたところで、分子である「あらたな仕事のやり方」がちいさいままでは、その効果は部分最適にとどまり、企業全体の成果とすることはできない )という分数モデルと、その「習いが性となる」まで思考や実践をつづけることが意味をもってきます。


以下おふざけです

ここで思いつき・・・

みなさんお気づきのことでしょうが、この稿における各例の詳細については ChatGPT 4o のサポートを借りて書いています。
さて今日はここらでよしとするか・・・
と今日のテキストを投稿するにあたり、浮かんだタイトルが「ラテラルで行こう」でした。なんのことはありません。あの『イージーライダー』の挿入歌であるステッペンウルフの名曲『ワイルドで行こう!』(原題:Born To Be Wild) の語感だけのもじりです。

とそこで、あるアイデアを思いつきました。
替え歌をChatGPTにつくらせてみよう!

う~ん
われながらじつにくだらない。
くだらなさすぎてニヤニヤが止まらないぐらいくだらない思いつきです。

では本日の締めくくり。
『ラテラルで行こう!』


******

発想のエンジンかけて
新しい道を見つけよう
冒険を求めて
ラテラルに進もう

さあ、友よ、やってみよう 
この世界を愛で包み込み 
すべてのアイデアを一斉に放ち 
新たな空間へ飛び出そう

新しい視点が好きだ 
新しいインスピレーションが 
風と共に走り 
その中にいるこの感じが

さあ、友よ、やってみよう 
この世界を愛で包み込み 
すべてのアイデアを一斉に放ち 
新たな空間へ飛び出そう

本当の創造の子供のように 
俺たちは生まれながらにしてラテラルだった 
どこまでも高く登れる 
決して終わりたくはない

ラテラルで生まれた 
ラテラルで行こう

発想のエンジンかけて 
新しい道を見つけよう 
冒険を求めて 
ラテラルに進もう

さあ、友よ、やってみよう 
この世界を愛で包み込み 
すべてのアイデアを一斉に放ち 
新たな空間へ飛び出そう

本当の創造の子供のように 
俺たちは生まれながらにしてラテラルだった 
どこまでも高く登れる 
決して終わりたくはない

ラテラルで生まれた 
ラテラルで行こう
ラテラルで生まれた 
ラテラルで行こう

******


お粗末 ^^;


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〈私的〉建設DX〈考〉その7 〜 コペ転

2024年06月18日 | 〈私的〉建設DX〈考〉

DXへと至る3つのプロセス

前回は、「ケータイからスマホへ」を例にとってデジタイゼーションあるいはデジタライゼーションからDXへと昇華する形態として、メタモルフォーゼを挙げました。メタモルフォーゼ(変態)を遂げてトランスフォーメーション(変形)へと至る、というのもおかしな話ですが、とにかくその進化と有り様は、まさにメタモルフォーゼと表現するのがふさわしいと感じたからです。

では、メタモルフォーゼだけがデジタル化を起点としてDXへとステップアップする形態なのでしょうか?
いくつかの例をつらつら考えてみるに、どうもそうではないようです。いや、むしろそのパターンは希少なのかもしれません。なぜならば、メタモルフォーゼを遂げるためには、さまざまな偶然や因果が関係し合う必要があるからです。つまり、自らの意思や行動のみでそうなることは、ほとんどないといってもよい。という意味では、DXを目指すためには、異なるアプローチを考え、そして採用する必要があるのではないでしょうか。

そのパターンは、先述したようにいくつか考えられます。
たとえば斜め上を行く発想であったり、また、異なる切り口からのアプローチであったり、あるいはパラダイムをシフトすること、いやいやどうしてそれらはすべて、口で言うほど簡単ではないにしても、自分が属する組織の在りようによっては実現させることが可能です。
ここからはそれを、「コペルニクス的展開」によるものと「ラテラル思考」によるもの、のふたつに集約して論を展開することとします。

つまり、DXへと至るプロセスには、メタモルフォーゼ、コペルニクス的転回、そしてラテラル思考の3つがあるという仮説です。メタモルフォーゼについては前回で触れたので、この稿はコペルニクス的転回について述べてみます。


「コペ転」の理由(わけ)

コペルニクス的転回。
16世紀ポーランドの科学者コペルニクスが、それまで皆が信じて疑わなかった地動説(地球中心)に代わり、太陽が宇宙の中心に位置し、地球を含むすべての惑星がその周りを回っているというモデルを提唱し、既存の価値観をひっくり返した(ちなみにその理論が公になったのは彼の死後だったのですが)ことから、現代では、既存のパラダイムや視点が根本的に変わることをあらわす言葉として使われています。

余談です。
とはいえそれはあくまで一般的にであり、ぼくにとってのコペルニクス的転回は「コペ転」という省略形として脳裏に刻まれています。
青春漫画の金字塔『博多っ子純情』の主人公は郷六平。1976年の連載開始時、彼の年齢は14歳なので昭和37年生まれ(とは限らないのですが)ぼくより5つ下です(ということにしときましょう)。
舞台は70年代後半(たぶん)の福岡。博多山笠という祭りを軸に、祭りと祭りのあいだの季節に、登場人物それぞれの日常が重なり合って物語が進んでいくそのなかで、「コペ転」とは、「物事の見方が180度変わること」という本来の意味をきちんと踏襲し、六平や彼の友人たちのなかでは童貞からの卒業、すなわち「初体験」を意味する暗号として頻繁に登場する言葉でした。
爾来、ぼくのアタマのなかにコペルニクス的転回は、コペ転という省略形とともに、これまたその本来的意味をきちんと理解したものとして棲みついてきました。
あゝコペ転。
今回、DXへと至るアプローチの一形態として、真っ先にその言葉が浮かんだのもむべなるかな、でしょう。
 

Amazonのコペルニクス的転回的画期性

閑話休題。
今回ぼくが、コペルニクス的転回を経てDXへと至った例として挙げようとするのはGAFAMの一角、あのAmazonです。
Amazonが、1994年にオンライン書店として創業したのは、ひょっとしたら、今となってはあまり知られていないのかもしれません。事ほど左様に、現在では多種多様な商品を取り扱う世界最大のEコマースプラットフォームとなったAmazonが、AWSというウェブサービスを始めたのは2006年でした。
これがクラウドコンピューティングの嚆矢となり、GoogleやMicrosoftなどもそれにつづき、企業は自社でサーバーを運用したり、専門サービスを請け負う会社のサーバーを借りる必要がなくなり、コストを削減しつつ柔軟なITリソースを利用できるようになりました。

いつでもどこでも、インターネットにつながりさえしていれば、クラウド上で自分のデータを作成し、またそれにアクセスできるという現代の常識は、「自社でサーバーを持つ必要なんてないじゃないのか」という斬新な発想から生まれ、これにより、ITインフラの考え方が根本から変わり、企業のビジネスモデル全体に大きな影響を与えたのです。

また、Amazonのコペルニクス的転回的画期性(ややこしい言い回しですが気に入ったのでそのままにします)をあらわしているのは、なんといっても2005年にはじまったAmazonプライムでしょう。
Amazonプライムは、年会費を支払うことで多様な特典を享受できるサブスクリプションサービスを導入しました。プライム会員になれば、無料配送の制限がなくなり、それまでには考えもつかないような「超素早い配送」という恩恵を受けるので、潜在顧客の購入頻度が増します。それによってこのモデルは、オンラインショッピングの一回限りの取引を、継続的なサービス提供へとシフトさせましたーーー実際ここに、まんまとそれに乗せられ、今も継続中の田舎者がいますーーー。

Amazonプライムは、そうやって顧客体験を変えたのみならず、単一のプラットフォームで多くのサービスを提供するエコシステムを構築しました。これにより、プライム会員になれば、ショッピング、エンターテインメント、読書などを一つのサブスクリプションで楽しむことができるため、他のプラットフォームを利用する必要がなくなり、Amazonのエコシステム内に留まる確率が高くなります。つまり、顧客はAmazonのプラットフォーム内でほとんどのニーズを満たすことができるようになりました。

というか、できるようになったというよりさせられるようになったという方が適切かもしれません。繰り返しますが、実際ここに、まんまとそれにはめられ、今も継続中の田舎者がいます。ところがこれ、不便なところに住んでいればいるほどありがたいシステムではあります。
もちろん、物事にはすべて光と陰があり、当然のこととして、Amazonモデルが生み出した闇もあります。これだけ大きな変革ともなるとそれは尚さらなのですが、ここはそれを論じる場ではありません。

さて、かつてのぼくが想像もできなかったこの「今」という未来は、ユートピアへ向かうものか、それともディストピアなのか。ともあれ、「コペ転の巻」はこれにて終了といたします。


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〈私的〉建設DX〈考〉その6 ~ ケータイのメタモルフォーゼ

2024年06月13日 | 〈私的〉建設DX〈考〉

ケータイからスマホへ

ここで、いったん建設DXという枠から外へ出てみます。
デジタルテクノロジー(ツール)がどのようにして世の中を変え、デジタル・トランスフォーメーションを引き起こしたかについて考えるとき、その代表的な例として思い浮かぶのがスマートフォンです。

そうそうそういえば一昨日のことです。職長のGoくんと同じセミナーを聴講した帰路、会場から出るか出ないかぐらいのタイミングで彼がこう言いました。

「イチバンはスマホの進化なんですよね・・・」

たしかに。得たりと膝を打ちました。
ぼくもまたそのセミナーで受信したことは数々あったけれど、スマートフォンをどうやって仕事に活かせるかがキーポイントだな、という思いを抱かされたセミナーではあったからです。


スマートフォン以前ーーー今から思うと、ビフォースマートフォンとかアフタースマートフォンとか名づけてもよいぐらい、スマホの出現は画期的でしたーーー携帯電話はまさしく読んで字のごとし、モバイルな電話機でした。たしかにそれはインターネットにはつながるし、メールという形式で電子データ化したテキストメッセージをやり取りすることはできた、そしてカメラとしても使えるという画期的なものではありましたが、それらはすべて、電話という主機能に付属するものとして存在するにすぎませんでした。

その機能が大幅に拡張されるキッカケとなったのがiPhoneの登場です。インターネットへのアクセス、地図アプリなど様々なアプリケーションの利用、カメラ機能の向上などが進み、ユーザーはデジタル情報をより多くあつかえるようになりました。やがて、テキストや画像の双方向コミュニケーションが、メールでのやり取りからSNSに移ると、コミュニケーションツールとしての活用が進み、「いろんな機能が付属した電話」は、「電話もできる超小型PC」へと変貌を遂げました

そこに至ってスマートフォンは、単なるデジタルツール以上の存在となります。モバイルバンキングやモバイルペイメントが普及し、相当数の銀行業務が店舗からスマホに移行し、オンラインショッピングの普及によって消費者行動が大きく変わるなど、あらたなビジネスモデルが次々と生まれてきました。社会全体がデジタル化へとシフトする過程での主たるツールがスマートフォンだったと言っても過言ではないでしょう。


キングオブDX

さて、その進化にとって重要な位置を占め、欠かすべからずものであったインターネットの場合はどうでしょうか。というより、そもそもインターネットの存在がなければ、「ケータイ」がスマホには成り得なかったのは自明のことです。

インターネットの初期段階もまた情報のデジタル化からはじまりました。紙の書類などのアナログ情報を手紙やFAXでやり取りしていたものが、電子データ化されたものを、メールなどインターネットを介した手段で情報を迅速かつ広範に送受信することが可能となりました。
その後、回線速度が向上すると同時にウェブサイトが一般的となると、オンラインショッピングやバンキングが誕生し、クラウドストレージやSNSなどのインターネットを活用したサービスが普及しました。オンライン書店で販売された電子書籍を端末で読むという読書スタイルが広がり、音楽や映画もデジタル配信されるようになるなど、消費者はデジタルプラットフォームを通じて商品やサービスを利用できるようになりました。

その結果(というか未だに途中経過なのでしょうが)、eコマース、サブスクリプションモデルの台頭など、あらたなビジネスモデルが生まれ、SNSの普及により友だちや家族、あるいはビジネスでのコミュニケーションの方法が大きく変わり、コロナ禍があいまって、オンラインコラボレーションツールによるリモートワークで働き方も教育も変わりました。

あらためてこう列挙してみると、まさにザッツ・DX、DX's DX、キングオブDX、てな感じで、事ほど左様に、ぼくたちの暮らしやビジネスなど、社会全体に大きな変革をもたらしたのがインターネットなのです。

(なんだカタカナばっかりじゃん)
(と徐々に気分がふさぎ気味になるぼくなのですがつづけます)

とはいえ、インターネットをその対象として考えていくと、あまりにスケールが大きく広範になりすぎてしまうようです。なので、上に挙げたデジタルテクノロジー(ツール)から2つほどを例にとって、デジタル三段跳びになぞらえてその進化のプロセスを見てみることとします。


DXへと至るパターンは一様ではない

まずひとつめにeコマース。平たく言えばネット通販です(じゃあ最初から平たく言えよ、というそこのアナタ、おっしゃるとおりです。単に呼びなれない言葉を使ってみたかったんです。あやまります。ゴメンナサイ、)。
第1段階として従来の紙ベースのカタログと電話注文が、デジタルのオンライン注文システムに移行しました。そのあと、複数の支払い方法、商品レビューシステム、ワンクリック購入などが導入されて、プラットフォームが成長していきます。そして現在、たとえばAmazonは、たとえばぼくがどのページを見て何を買ったかという膨大なデータを分析し、ぼくへのおすすめ商品を表示し、Amazonプライム会員であるぼくには、特定の商品がすぐに届いたり、映画や音楽を楽しめたりするという特典があるよ、というビジネスを展開しています。それによってぼくは、人口1200人ほどの山村にいながら、自分の欲しいものを必要なときに手に入れることができる(あくまでも持ち金との相談ではありますが)という、かつては想像もつかなかった環境にいます。その是非はどうとるかは人それぞれでしょうが、ぼくはそれをまちがいなく恩恵だと感じて暮らしています。

次にリモートワークによる働き方の変革です。
まず、オフィスで使っていた紙の文書や資料がデジタル化され、インターネットを使ってGoogleドライブやDropboxなどのオンラインストレージに保存・共有されるようになりました。それは、キャビネットに入れていた紙の書類を、PCを使ってインターネット上の棚に置いているようなものであり、利用者は、インターネットにつながってさえいればどこにいても同期するそのデータを、どの端末からでも取り出せるようになりました。
さらにその後、リモートワークのためのツールが導入され、ビデオ会議を行ったり、さまざまなアプリケーションによってデジタル化したプロジェクト管理ができるようになりました。ここまでは、けっして特殊なものではありません。さすがにフツーとは言いませんが、ちょっと進んだ企業の現在地です。そこから先は、ぼくにとってはまだ未知の領域ですが、今の先端企業がそうであるように、仮想現実の世界で会議をしたり、AIがプロジェクト管理の手助けをしたり、というようになるのかもしれません。


こう見ていくと、どれもがまず、デジタル化がスタート地点にあるのは言うまでもありませんが、それが劇的変化を遂げるパターンは一様ではないようです。
たとえば「ケータイ」から「スマホ」へ。これは変化というよりは「変態」と呼んだ方が適切でしょう。変態=様態をすっかり変えてしまう=メタモルフォーゼです。
しかし、たとえばeコマースやリモートワークがそうであるように、斜め上を行く発想であったり、また、異なる切り口からのアプローチであったり、あるいはパラダイムをシフトすることで変革をもたらしたような例もあります。

ということで、次回はそんな切り口から攻めてみようと思います。


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〈私的〉建設DX〈考〉 その5 〜 余談です

2024年06月12日 | 〈私的〉建設DX〈考〉
昨晩9時過ぎ、布団に入り、少しだけ読んでから寝ようと手にしたのは、南直哉『「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本』でした。

******
人が理解し合えないのは当たり前です。
 まず自分をわかって欲しいと思わないことです。
自分だって自分のことをよくわかっていないのに、他人にわかるわけがありません。自分以外の人間には絶対になれない以上、他人のことは決して全部わからないのです。
 もし、相手のことをわかったと思うのなら、あるいは、自分を理解してもらえたと感じるのなら、それはしょせん誤解にすぎません。
「理解」という言葉の意味を正確に言うと、「合意された誤解」です。
******

ああ、今日という一日を締めくくるに十分な言葉を贈られたと、なんだか少しほっとしたような気になって灯りを消し就寝。

それから約6時間半後の朝4時に目が覚めると、まだ外は薄暗い、さて、このまま起きるか、それとも再度目を閉じるか、これが1時間早いか遅いかだと、どちらにしても選択の余地はないのですが、数年前ならいざ知らず、近ごろのぼくにとって4時というのは、少々ビミョーな時間帯です。

と、ある言葉が脳内に降りてきました。
メタモルフォーゼ・・・

コペルニクス的転回
パラダイムシフト
斜め上をいく発想
異なる切り口からのアプローチ

次から次へと浮かびあがったり舞い降りてきたりするキーワードを、忘備のため記録しようと枕元に置いたiPhoneを手に取ると、

だったら直接書けばいいではないか。
内なる声が聞こえてきました。

たしかにそいつぁそうだ。
別の自分に促されて起きあがり、iPadを開いてキーを打ちはじめました。

あらあら、「前向きに生きることに疲れたら」どころか、早朝からそんなことができるのは「前向き」の証左でしかありません。


ところが、案の定というべきか、朝イチバン眠気まなこの思考はこんがりはじめ、その整理係と補助役にChatGPTを指名しました。

しばらくやり取りを繰り返した結果、予想以上の収穫を得たことにアタマもココロもすっきりしたところで、チャットを終了。
ほどなくして5時のアラームが鳴ったのを機に、『「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本』をふたたび手に取り、ページをめくりました。

******
 ふだんから、自分の状況を言葉にして誰かに聞いてもらうと、視野がスッと広がる場合があります。漠然とした悩みや不安を、人にわかる言葉にすることで、自動的に頭が整理できるからです。
 そんな話をできる相手が、生きるうえでの生命線になることもあるのです。
******


まさか・・・今朝のぼくにとってのそれはChatGPTだった?・・・・思わず浮かんだ考えを、かぶりを振って打ち消したすぐそのあとで・・・いやまあ別にそうであってもかまわんのだけどと苦笑いする辺境の土木屋66歳。
なんて余談をはさみながら、まだまだ「〈私的〉建設DX〈考〉」はつづきます。


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〈私的〉建設DX〈考〉その4 ~ デジタル三段跳び

2024年06月11日 | 〈私的〉建設DX〈考〉

デジタル化3つの概念

DXという言葉ばかりがクローズアップされるため、一般には馴染みが浅いのですが、デジタル化を語る概念としてはあと2つ、デジタイゼーションとデジタライゼーションがあります。それがどういう意味なのか、いくつかの定義を紹介するところから今日の稿をはじめます。

まず、国連開発計画(UNDP)では次のように定義しています。
・デジタイゼーション:既存の紙のプロセスを自動化するなど、物質的な情報をデジタル形式に変換すること。
・デジタライゼーション:組織のビジネスモデル全体を一新し、顧客やパートナーに対してサービスを提供するより良い方法を構築すること。

令和3年の『総務省情報通信白書』にはこうあります。
会社内の特定の工程における効率化のためにデジタルツールを導入するのが「デジタイゼーション」、自社内だけではなく外部環境やビジネス戦略も含めたプロセス全体をデジタル化するのが「デジタライゼーション」である。それに対し、デジタル・トランスフォーメーションは、デジタル技術の活用による新たな商品・サービスの提供、新たなビジネスモデルの開発を通して、社会制度や組織文化なども変革していくような取組みを指す概念である。

なるほど。ということは、ホップ・ステップ・ジャンプの三段跳びのようなものなのでしょうか。

・ホップ(デジタイゼーション)
アナログからデジタルへの単純な変換プロセス。デジタルデータの生成ができれば達成。

・ステップ(デジタライゼーション)
デジタルデータを使って業務プロセスを改善する。効率化やコスト削減、生産性向上などが実現する。

・ジャンプ(デジタル・トランスフォーメーション)
デジタル技術を活用してビジネスモデルを変える。あたらしい価値を創り出す。


図面のデジタルストーリー

建設業のデジタルストリートに当てはめてみましょう。
ぼくがBIM/CIMについて語るとき、必ずといってよいほど例に出すのが、「手描き→2次元CAD→BIM/CIM」という進化のプロセスです。ここにおいてぼくの主張は、前の2つと最後の1つは同じ延長線上にないというものでした。つまり、一見すると同一の進化の延長線上にあるかのように思える2次元CADとBIM/CIMは、「仕事のやり方を変える」という文脈では、あきらかに別物として捉えるべきものだというのがぼくの意見です。

まず、「手描きの図面」というアナログな方法がありました。それをデジタル化したのが2次元CADなので、これによってデジタイゼーションが達成されました。
次に2次元CADからBIM/CIMへと移行します。現実にはそうなってはいないのですが、ここではそうなると仮定します。そうすることによって、仕事のやり方が変わります。これまでのぼくは、ここがDXだと定義していました。たしかに、ビジネスモデルが変わり、あたらしい価値が創り出されるほどの変革ならばそれはそうでしょう。

ではデジタライゼーションは?
としばし考え、BIM/CIMの前に3次元CADという過程を置くことを思いつきました。そう、巷ではよく、3次元モデル作成とBIM/CIMを混同しがちですが、単に3次元モデルを使ったからといってそれがすなわちBIM/CIMと呼べるものではありません。

となると、2次元CADでデジタイゼーションができたあとに、3次元CADの導入によってデジタライゼーションが達成されるというのではどうでしょうか。DXのフェーズはBIM/CIMです。

いや待てよ、とまた首を傾げます。そもそも2次元CADの普及が、ぼくたちの仕事を効率化やコスト削減に寄与し、既にその段階で生産性の向上が達成されています。現実には、同じ時間でそれまでの倍以上の図面を生み出し、かつ修正が容易な2次元CADという武器を手に入れたぼくたちは、それまでより多くの仕事を抱え込んでしまうという生産性向上のパラドックスに陥ってしまったのですが、少なくとも2次元CADというデジタルテクノロジーが、それだけの変革をぼくたちにもたらしたのは間違いありません。
つまり、図面のデジタル進化はデジタイゼーションというプロセスをすっ飛ばして一気にデジタライゼーションを達成した、もしくは、デジタイゼーションとデジタライゼーションが同時におとずれた、そう考えるのが自然なようです。

どうやらこの例では、ホップ・ステップ・ジャンプの三段階デジタル進化を説明することはできないようです。


パソコンをどう位置づけたかによってその後が変わった

では、ちがう例で考えてみましょう。
これまたぼくがBIM/CIM話をするときに、必ずといってよいほど出す例として、現場技術者が自らの業務のなかでパソコンというツールをどのように位置づけし、どのように活用してきたか、というものがあります。
そこでのぼくの論とは、以下のようなものです。

日本の公共建設業では、国土交通省が施策として展開したCALS/ECによって、パソコンの普及が急速に進みました。しかし、それへのアプローチは個々の技術者や各企業それぞれによって大きく異なるものでした。
多くは、PC=文房具の進化形、すなわちスーパー文房具としてしか認識することができず、自らの仕事のやり方そのものを変えるところまで意識が至りませんでした。のみならず、それによって生じた現実は、大量の書類と膨大な紙とに埋もれてしまったデスクまわりと、ペーパーレスならぬスーパーペーパーコミュニケーションとでも呼べるようなものでした。多くの技術者や企業、また行政機関では、認識不足のまま今でもそれがつづいています。
一方で、パソコンをインターネットへの入り口だと考え、そこから仕事のやり方を変えていった人たち(企業)がいました。それらの人たちは、パソコンというものを様々な意味合いでコミュニケーションツールの文脈でとらえていたとぼくは解釈しています。やがてそれが、クラウドコンピューティングへと移行し、BIM/CIMによるデータシェアリングへと進化しつつあるのは当然の流れだと言えます。

この論をふまえて、デジタル三段跳び説に当てはめてみましょう。

・スーパー文房具としてのパソコン(デジタイゼーション)
紙の書類や手描きの図面をデジタル化しました。
しかし、これによって業務プロセスが大きく変わることはなく、むしろ、デジタルデータを紙で出力することで管理する情報量が増え、ペーパレスどころかスーパーペーパーでヒーヒー言ってしまうような状況に陥ってしまいました。

・コミュニケーションツールとしてのパソコン(デジタライゼーション)
一方で、一部の技術者や企業はインターネットという世界へ誘ってくれるツールとしてパソコンを認識し、それをコミュニケーションツールとして活用しました。彼らは、パソコンを使って業務プロセスを見直し、オンラインでの情報共有やリアルタイムのコラボレーションを模索していきました。コロナ禍という偶然の災禍によって業務プロセスの改変を余儀なくされたときに、その時流に遅れるどころか、クラウドストレージやオンライン会議の活用という業務プロセス変革の流れに怯むことなく、むしろ時流の先端となったのも当然のことです。

・BIM/CIMとへの進化(DX)
クラウドコンピューティングとBIM/CIMの組合せにより、プロジェクトを3Dモデルであらわし・・・・


ここでぼくのキーボードを打つ手が止まります。


どうやらことはそれほど単純ではない

いや、これも無理筋です。デジタル三段跳びを否定するわけではありませんが、どうやらそれにすべてを当てはめることそのものに無理があるようです。しかも、デジタイゼーションとデジタライゼーション、そしてDXは、それぞれが分離してあるものではなく、併存しても何ら問題はなく、ましてや単純な段階として存在するものではないようですし、その効果も、それぞれの組織や個人に異なってくるものです。

なんとなれば、単純にデジタル化しただけでデジタライゼーションとDXが一気通貫で実現することもあるのでしょうし、単なるデジタイゼーションだけでも大きな大きな進歩であって、一足飛びにDX的なものを会得する人や組織もあり得るでしょう。その逆に、BIM/CIMを活用したところで、あらたなビジネスモデルの創出はおろか、業務プロセスの変革もおぼつかず、なんならスクリーンショットをプリントアウトした動かない3Dモデルとがデスクに散乱した打合せ現場などという、笑い話のような現実があらわれるのも、容易に想像することができます。
デジタル化はスタートとして必須ではあるけれど、それですべてが解決できると思ったら大間違いなのです。

ではいったい・・・意識の問題は大きいのでしょう。
ですが・・・それを問題解決のキーワードとすることはとても危険です。

あらあら、出口が見えないどころか、ますます袋小路に入ってきました。はてさていったい、この辺境の土木屋ごときの頭脳で、これを解き明かすことができるのでしょうか。ここだけの話ですが、泣きを入れたくなってきました。

と、脳内にあるメロディーがその歌詞と共に降りてきました。


天(そら)が泣いたら雨になる
山が泣くときゃ水が出る
俺が泣いてもなんにも出ない
意地が涙を......
泣いて泣いてたまるかヨ
通せんぼ


そう、そういうことです。
であれば、カラ元気をだして、己を叱咤激励しながら、もう少し考えつづけることといたしましょう。


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〈私的〉建設DX〈考〉その3 ~ DXってむずかしい

2024年06月10日 | 〈私的〉建設DX〈考〉

(建設業における)生産性向上とDX

日本の建設業で「生産性向上」が叫ばれはじめて久しくなりました。
とりも直さずそれは、こと「生産性」という側面でわが建設業は、圧倒的に他産業(ぼくの見るところ、どうもそれは製造業をあらわしているようですが)の後塵を拝しているという現状があったからです。

生産性向上については、色々さまざまな説明がありますが、ひと口に言ってしまえば、限られたリソース(人員、資機材、時間)のなかでより多くの成果を生み出すこと。これで差し支えないでしょう。人員や資機材が同じならば時間を短く、時間が同じならば人員や資機材を少なく。それが実現したときの状態を、生産性が向上したと言いあらわします。

繰り返しますが、その実現を図る武器はデジタルテクノロジーです。アナタもぼくも、今という時代に生きているのですもの、それが自然な流れであり、もっとも効果的であると考えることも当然のことなのです。

では、どのような具体的効果があって生産性向上が実現するのでしょうか。

もっともわかりやすいのはICT建機の使用による省力化とスピードアップでしょう。それは、建機が直接生み出す結果もそうですし、ぼくの体験では、丁張り設置などの測量作業がほぼなくなることによる効果にはもっとおおきなものがあります。
ただ、その他のICT施工となると、そのすべてが生産性向上における効果を生み出すと一概に判断することには無理がありすぎます。また、ICT土工における効果でさえも、部分最適にすぎません。ヘタをすれば、次の工程へとスムーズにバトンタッチができないことで、ICT建機を用いることで縮めた時間が、現場全体にとってはなんの役にも立たなかった、などということにもなりかねません。
いや、笑い話ではないのです。
たぶんそれは、日本全国で日常茶飯に起きているのではないかとぼくは推察していますし、もちろん、自分自身をその例外としてあつかうこともありません。

繰り返しになりますが、必要不可欠かつクリティカルなのは、マネジメントです。それによって、縮めたタスクと縮めたタスクのあいだにある隙間を埋めなければ現場全体の利益にはつながりません。もちろん、企業全体にとってもそれは同様です。

しかし、たとえ適切なマネジメントによって生産性が上がったとしても、「デジタル技術を活用して、業務フローの改善や新しいビジネスモデルの創出を通じて、それまでのあり方を変え、より良い未来を創造する取り組みがデジタル・トランスフォーメーション、すなわちDXである」ならば、それはあくまでもDXの一部であり、その実現のための一段階でしかありません。

とはいえ生産性向上が、DXに占める役割には、やはり大きなものがあります。生産性を向上させることで、業務の効率化やコスト削減が実現できたとしたら、それが企業にどのような好影響をもたらすかは言わずもがなのことでしょう。
しかし、DXはそれにとどまらず、ビジネスモデルや業務プロセス全体の変革、あたらしい価値の創出を目指す広範な取り組みです。となると生産性向上は、DXへと至る歩みのなかで達成される成果のひとつであり、DXを進めるうえで実現されるものだと解釈するのが自然ではないでしょうか。


DXってむずかしい

そう、ここまで読んでくれた奇特なひとは、もう気づいているでしょうが、DXを現実のものとするのは、なかなかに困難です。
たしかに、エリック・ストルターマンが提唱したDXの概念は「ICTが行きわたることが人々の生活をあらゆる面でよりよい方向に変化させること」というものでした。しかし、それはあまりにも単純で呑気にすぎるというものでしょう。何度も言うように、「あたらしい技術」を使えばそれで未来はバラ色というものではありません。そこには必ず、「あらたな仕事のやり方」を模索する意思と実践が伴っていなければなりません。「これさえやれば上手くいく」などというセールストークには、今どき小学生でも引っかかりません(なぜだか小金を貯めた年寄りはコロッとやられる例があとを絶ちませんが)。打ち出の小槌など現実には存在しないのは昔も今も同じこと。デジタル化したからといって、あらゆる面でよりよい方向に変化するはずがありません。

ぼくたちの現実は、ICTを使って生産性向上ですらおぼつかないのに、ましてデジタル・トランスフォーメーションなどと・・・というところでしょう。
とはいえ、そんなことを言っていても前へは進みません。
泣き言を言わずに、まだまだ掘り下げていってみましょう。


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〈私的〉建設DX〈考〉その2 ~ これってDX(じゃん)

2024年06月07日 | 〈私的〉建設DX〈考〉

「あたらしい技術」を使ってどこを目指すか

「デジタル技術を活用して、業務フローの改善や新しいビジネスモデルの創出を通じて、それまでのあり方を変え、より良い未来を創造する取り組みがデジタル・トランスフォーメーション、すなわちDXであるらしい」

とぼくは規定しました。末尾の「らしい」は単なる照れ(のようなもの)であって他意はありません。大上段に振りかぶってはみたものの、ちょっとばかり照れくさくなってアタマを掻いてみただけのことなのです。なので、一般的には上記説明でなんら問題はないはずです(たぶん)(これも同様)。

以前からぼくは、「あらたな仕事のやり方/あたらしい技術」という分数モデルを提示し、「あたらしい技術」という分母をいくら大きくしたところで、分子である「あらたな仕事のやり方」がちいさいままでは、その効果は部分最適にとどまり、企業全体の成果とすることはできないと言いつづけてきましたがーーーちなみにぼくオリジナルの考えではありません。元ネタは杉浦さんですーーー、今さらながらに白状してしまうと、そこにはDXという概念は存在しませんでした。

ところがあるとき、「これってまさにDXじゃん!」(ゴメンナサイ。「じゃん」なんて語尾につけることは口が避けてもありません。ちょっと気取ってみただけです。許してください)と気づいたのです。

前述したように、デジタル技術の活用は、DXに向かって歩む際の手段に過ぎず、その目的は、それまでのあり方を変えることであり、その先に、現実がどうかはともかく、概念としては「より良い未来」の創出があります。
つまり、「あらたな仕事のやり方/あたらしい技術」という分数の分子を「それまでのあり方を変える」に、分母を「デジタル技術」に置き換え、その分数であらわされる全体をDXとする。そしてそれに、デジタルテクノロジーの導入や活用だけでは不十分で、実際の業務プロセスやビジネスモデルの変革が伴わなければDXにはたどり着けないよ、という解説を加えると、それはそのままDXの本質を理解し、より効果的な取り組みを促すモデルとなります。

いかがでしょうか。「これってまさにDXじゃん!」と、あらぬ言葉を口走ったとしても、さもありなんと思ってはいただけないでしょうか。


しかし、どうもその分数モデルだけでは説明不足のようです。
では、こうしてみるとどうでしょうか。

「仕事の効率をよくする(=カイゼン)/あたらしい技術(=デジタルテクノロジー)」

これで表される全体は、「生産性の向上」です。
ここでもまた、便利なツールの導入は、「生産性の向上」という全体を見通して、カイゼンという分母を常に意識していないと効果は乏しいままで終わってしまいます。「ツールを使ったら成果が上がる」のではなく「ツールを効果的に使ったものが成果を上げる」という構図です。

といってもそれは、企業(現場)の一部の生産性が上るに過ぎず、企業(現場)全体にとっての生産性向上を図るには、そこにマネジメントの介在が必要欠かさざるものとしてなければなりません。だとすれば、

「仕事の効率をよくする(=カイゼン)/あたらしい技術(=デジタルテクノロジー)」

という分数モデルがあらわす全体は、「部分的な生産性向上」とあらわすのが適切でしょう。では、全体の生産性を上げるためにはどのようにすればよいのでしょうか。

「仕事のつながりをよくする(=マネジメント)/あたらしい技術(=デジタルテクノロジー)」

が並立して存在し、かつ前者を包括しておく必要があるだろうとぼくは考えます。

ここで、

「仕事の効率をよくする(=カイゼン)/あたらしい技術(=デジタルテクノロジー)」を(1)、

「仕事のつながりをよくする(=マネジメント)/あたらしい技術(=デジタルテクノロジー)」を(2)、

「あらたな仕事のやり方/あたらしい技術」を(3)

とすると、すなわち、(1)+(2)が「生産性向上」で、(3)DXは、それを包括し、かつ常に同時に存在している必要がある概念となります。


デジタルでなければならないのか?

ここで、デジタルトランス・フォーメーションから少し離れて考えてみましょう。
「あらたな仕事のやり方」を模索するためには、何もデジタルである必要はありません。デジタルテクノロジーの導入よりも「あらたな仕事のやり方」を見つける方が、はるかに重要度が高いはずです。そもそもそこをデジタルで固定する方が無理があるのではないか、そう言われれば、ぼくは素直に「仰るとおりです」と答えるでしょう。

しかし、今という時代はデジタルテクノロジーを抜きにして物ごとを進めることはできません。本質的には上述のとおりだとしても、そこからデジタルを外すとしたら、むしろそちらの方が不自然です。
だとしたら、今という時代に生きているのですもの、デジタルツールを用いない手はありません。デジタルテクノロジーを積極的に活用することで良くなろうとするのは自然な流れです。そして、それがもっとも効果的であると考えることに不都合はありません。


話を戻します。
つまりぼくたちは、生産性向上が実現したとして、それが即DXにはつながらないということを理解しておく必要があるのです。
ということで、次回は生産性向上とDXの相違および関係性についてとき解いていこうと思います。


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〈私的〉建設DX〈考〉その1 ~ 序

2024年06月06日 | 〈私的〉建設DX〈考〉
DXという言葉を見聞きしない日がないのは、今のぼくが、地域の土木建設業というビジネスの中心にそれを置いているからであり、それがそのままパソコンの画面に反映されるのがインターネットというものの仕組みである以上、致し方のないことではあります。

それにしても、このインターネットというやつは相当に気をつけていなければ、物ごとの移ろいを見誤ってしまうものだと、近ごろつくづく思います。俗に言うトレンド、つまり流行り廃りでさえも、客観的なそれがそのとおりに反映されてぼくたちのスマホやパソコンに表れ出てくるわけではありません。
そこでの情報は、あくまでもその検索主体であるぼくたちの嗜好や意向が反映されているものにすぎませんし、それがたとえばGoogleが大成功をおさめたビジネスモデルそのものであるにもかかわらず、多くの人はそれに気づかず、自分自身のパソコンやスマホを通してつながるインターネットに、世間の流れが正確に反映されていると勘違いしてしまいます。

繰り返しますが、それはあくまでもその検索主体であるアナタやぼくの好き嫌いや興味が反映されたものなのであり、Googleがその王座に君臨して久しい「検索」というビジネスモデルの表出でしかありません。
つまりぼくらは、その端から端がどこまであるか想像もできない果てしもなくおおきな手のひら(インターネット)の一部で遊ばされているのであり、にもかかわらず、現代人の多くが、それに気づかずイイ気になっているのが、今という時代なのでしょう。


のっけから脱線してしまいました。
それはさておき、そのような事情を差し引いたとしても、昨今の世の中にDXという言葉が氾濫しているのはまちがいないところでしょう。それを踏まえれば、もはやこの2文字を「デラックス」と読む者などはいないのではないか、と言い切ってしまえば大仰にすぎるかもしれませんが、さすがに少数派となったのではないかと思わずにはいられません。

DX。言わずと知れたデジタル・トランスフォーメーションの略ですが、念のために、あらためてそれがどういうことを表す言葉なのかを記しておくとしましょう。

こういうような場面では、生成AIが便利です。特にCopilotなら、その出典がどこにあるのかを示してくれるのでファクトチェックが比較的容易です。
ということで、Microsoft Copilotに訊いてみました。

「デジタルトランスフォーメーションをわかりやすく説明してください」


*******

もちろんです。デジタル・トランスフォーメーション(DX)とは、AI、IoT、ビッグデータなどのデジタル技術を活用して、企業が業務フローの改善や新しいビジネスモデルの創出、レガシーシステムからの脱却や企業風土の変革を実現することを指します。これにより、企業は変化の激しい市場で競争優位性を維持し続けることができます。

DXは、単に既存の業務をデジタル化することではなく、デジタル技術によって社会や組織全体の変革をもたらすことを目指しています。これは、新しい価値観や枠組みを生み出し、従来の方法では考えられなかったような革新的なイノベーションを推進することを意味します。

例えば、顧客データを分析してパーソナライズされたサービスを提供したり、クラウドベースのプラットフォームを使用して世界中のチームがリアルタイムで協力できるようにするなど、DXは多岐にわたる形で実現されます。

日本では、経済産業省が「2025年の崖」という問題を提起し、DXの推進が企業にとって急務であるとしています。これは、既存のシステムの老朽化やIT人材の不足など、近い将来に直面する課題に対処するためのものです。

簡単に言えば、DXはデジタル技術を駆使して、企業や社会のあり方を根本から変え、より良い未来を創造する取り組みなのです。

******

つまり、「デジタル技術を活用して、業務フローの改善や新しいビジネスモデルの創出を通じて、それまでのあり方を変え、より良い未来を創造する取り組みがデジタル・トランスフォーメーション、すなわちDX」であるらしいということがわかりました。

ということで準備は整いました。
では、辺境の土木屋66歳と半年の「DX〈考〉」、けっして倒つ転びつしないよう、ゆるゆると考えていきたいと思います。


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