世間では3連休、今日はその最終日。
私は昨日は仕事だったので飛び石連休。
最近、少しですが明るくなるのが早くなり、暗くなるのも遅くなって来ました。
a.m6:13~6:30です。
このオレンジの空を見る度「あぁ、今日も早起きして良かった
」と思います
昨日、ちょっと遅めに起きてお散歩に行きました。
楽しそうに走り回る一徹クン。
やはりノーリードの開放感は格別のようですね...
今日は
ゴキゲンの休日だったので洗濯機を2回廻して、午後からお散歩へ出かけました。
バイクに乗ってる時は風が冷たいけど、公園ではもうコートが要らないくらいポカポカでした
連休最後ということもあってか、結構な人出です。
近くにサーカスも来ていて、そちらの方が大賑わいでした。
駐車場も満車でバーが上がらない状態です
やはりこんな時は一徹クンは繋いどかないと... ね。
いつもとちょっと違うコースへ行きました。
県内の農業高校の生徒が植えたそうです。
今日の天気(空の青と海の緑)によく映えていました
キレイ
一徹クンも海と屋島をバックにはい、いいお顔
って、あらら...
風が強いとすぐ止まってしまう噴水も今日は見られました
日差しの中に水たちがキラキラと... とってもキレイでした
実はこの4~5日の間に悲しいことが2件も有りました。
1件は...
沖縄・座間味島に住む友達の犬が死んでしまいました。
私が初めて座間味島に行った時、他のゲスト達と港の堤防でビールを飲んでいたらいつの間にか人懐っこい、褐色の毛がフッカフカのワンちゃんが参加してる
犬好きな男の子がプロレスの技をかけたり抱っこしたり... でもゴキゲンで参加してる
次にそのワンちゃんを見たのは女の子のスクーターの足元に乗っかってるところ。
思わず声をかけて...
そのワンちゃんの名前は‘グー’。
真ん丸な真っ黒い瞳が飼い主の女の子とそっくりで可愛い
男の子。
『マリリンに会いたい』という実話の映画が一昔前、流行りました。
私は何度も何度も、何度も見て泣きました。
未だに脳裏に焼きついてるシーンが何カットも有ります。
グーはその、マリリンの末裔だそうです。
女の子とはそれから友達に。そう、グーが取り持ってくれた縁です。
今でこそ滅多に行けなくなりましたが、6~7年前迄は年間に3回は行っていました。
島の知らないおじさん達に「また来てるのぉ」と声をかけられるほど
その度に彼女の家に遊びに行き、グーと遊び...。
やがて彼女も結婚し、子供にも恵まれて、それでも島へ行く度遊びに行き、グーと遊び...。
何ヶ月、いや、2年位空いても必ず私を覚えてくれてて、再会の度に体中で大喜びしてくれていたグー。
2月6日、大好きなお散歩中に道端に撒かれてた農薬入りのツナ缶を食べてしまい、水を飲ませたり吐かせたり、家族の懸命な措置も虚しくお散歩からたった15分で逝ってしまったそうです...。
彼女からのメールを読んで、私は胸が張り裂けそうでした。
会社の更衣室で大泣きしてしまいました。
2件目は...
これもまた、座間味島で出会って今に到る大切な友達のワンちゃんが亡くなってしまいました。
その子の名前はルディ。愛称は‘るーたん’。
ポメラニアンの男の子、16歳。
一徹クンの大・大先輩です。
16年もの間、家族の一員として誰かがつらい時、みんなが楽しい時、癒しのオーラを出し続けていたるーたん。
また、みんなの愛情を一身に受けていたるーたん。
なにも、ママとお姉様がいない時に逝かなくても...
るーたんが大好きなママとお姉様がまさに、座間味島に入った日に逝ってしまったのでした。
人間で換算すると98歳だそうです。
眠るように逝ったそうで、まさに大往生です。
家族の心にポッカリ空いてしまったるーたんの穴。
埋まるまでには相当な年月が必要かと... いや、埋めるなんて無理かと思います。
ブログで写真を見た時、私は声を上げて泣いてしまいました。
何故か、
15年前に癌の為、病院で1人ぼっちで死んで行ったゴロのことを思い出していました。
シェルティの男の子、12歳でした。
私が高校生の時に母が衝動買いした、当時はまだ珍しい犬種でした。
当時、実家はまだ建ててから浅く、悪戯するからと急に外に出され、家の中に入りたくて幾晩も泣き続けていました。
やがて私は短大のある高松へ引越し、だんだん疎遠に...。
それでも犬って、会うと本当に喜んでくれるんですよね。
決して忘れないんですよ。
いつの頃からかゴロは歩けないほどに弱ってしまい、それでも私が帰ると必死で喜んでくれて...。
父に何度か病院へ連れて行って欲しいと言ったのですが「年だから...」と。
確かに、車でフェリーに乗せて行くのは大変なので、面倒を見られない私はそれ以上は言えませんでした。
歩くことも、ごはんを食べることも出来なくなってから両親はやっと病院へ連れて行きました。
ゴロの15kgの体内には5kgもの癌の腫瘍が有りました。
獣医が言うには「手術は成功したけど、年なので回復出来る体力が問題です」とのこと。
それからすぐに逝ってしまいました...。
暑い夏でした。
訃報を聞いて私も、東京に住んでいる兄も飛んで帰りました。
未だにその動物病院に私は許せない思いが有ります。
それはゴロを死なせたことではなく、1人ぼっちで死んで行ったゴロをすぐにでも抱きしめたかったのに
「病院の皆で海水浴だから明日にして下さい。」と、この対応です。
翌日、冷たく硬く変わり果てたゴロはダンボールの箱に入れられていました。
大好きだった父・母・兄そして私の、誰にも看取られることなく冷たい病院で1人ぼっちで逝ってしまったゴロ。
私は箱を抱いて、名前を呼びながら泣いていました。
ゴロは、元気だった頃からの首輪を付けたまま葬られました。
15年経ってもこの悲しみは癒えません。
未だに(今も)思い出して涙が出ます...。
今回、2人の大切な友達が愛犬を見送るという悲しみに直面しました。
一徹がいつまで私の側に居てくれるかは分かりません。
これから私は岡山通勤になると、更にお留守番の時間が長くなります。
一徹と過ごす時間が少しでも増やせるよう、努力するのが課題です。
後悔したくないので...。
今日はすっごい長編になってしまいました。
一徹クンは、洗ったばかりの絨毯の上で
中ですが起こして夜のお散歩に行って来ます