昨日19:19 実家から
半分涙声の母。
「はなが... 死んだ... もう、息しよらんのよぉ...」
私は「何を言ってんの
悪い冗談は...」でも、そんな冗談言うわけない。
父に代わり、心臓マッサージととにかく大きく体を揺さぶってショックを与えるよう指示、明日朝帰ると伝え切った。
時計を見ると最終便の高速艇にまだ間に合う。
頭がまわらない... とにかく、
と防寒コートと、一徹。すぐにタクシーを呼び港へ、実家に帰りました。
玄関の門に着くと一徹はいつものように興奮してワンワンワンッ
だけど中からはなの返事はない...。
うそ。 うそ。 うそであって欲しい...。
はなの部屋、いつもソファーに横たわっている... そこにはいず、絨毯の上に毛布を敷き、上からも毛布を掛けられて横たわっている... 動かない...。
「はな、どうしたの
はぁな、起きなさい
はな、〇子よ、帰って来たよ...」
もう冷たくなって来ている唇、紫に変色した舌、足先、肉球... 私を見てくれない眼...。
受け入れることが出来ないままはなの体をさすり耳、頭、マズルに頬ずりしながら大声で泣いた... はなの顔の毛が濡れるほど涙があふれた...。
どうして... どうして?? どうして!!
2週間前には元気にお散歩行ったじゃない...。
両親の話では、昨日も何んの変化もなくいつも通りに過ごしてたそうです。
お散歩、ごはん、お昼寝と... 夕ごはんをあげる時もいつもと変わらず...。
喰いしんぼうのはなは、ごはんの時「よし
」が出たらすごい勢いでがっついて食べます。
あっと言う間に器は空っぽ
昨日の夕飯もその勢いだったのですが暫くして母が通った時、廊下でうつ伏せで動かなかったそう。よく見るとごはんも残してる...。
「はな、こんなとこで寝んと自分の部屋に行きなさい」と声をかけ、また暫くして戻ると同じ状態。
異変に気付くまでのタイムラグが命取りになったかも... でも、普段通りに元気だったので無理もないとも思う。
かかりつけの獣医(岡山)に電話をしている最中にはなの脚は痙攣し始めたそう。
病院は「すぐに連れて来て下さい」と言ったそうだが、ここが
島のつらいところ、船がない。
どのくらい過ぎただろう... 家族3人ではなの葬儀の話になった。
どんどん冷たく硬くなって行くはなの脚、顔、尻尾に現実を受け入れなければならなくなって来た。
父はタウンページで‘ペットの葬儀社’を探し出し、私は予約の電話を入れた... でも父も私もまだ諦めがつかずにいた。
朝までずっとはなの傍にいようと思っていたが母が二階に布団を敷いてくれていた。
父も「自分がいるから」と。
朝まで全く眠れなかった。長い夜だった。
明け方少しうとうとした時、はなが息を吹き返した夢を見た。でもそれは一瞬で、現実ではなかった。
ずっと「今、こうしていること自体が夢でありますように」と祈っていたが、それも届かなかった。
今朝5:30 一徹のお散歩が有るので階下に降りたら父も起きて来た。
「やっぱり、とうとう... はなは起きて来んかった... 」と父。
朝までに何度も願いを込めて確認したのであろう。
二人ではなの亡骸を撫でた。
もう末端は全て冷たく硬直していたが、お腹はまだ少し暖かかった... また泣いた。
先々週、シャンプーした時に足の裏の毛、ヒゲ、爪を切っていたのでまだキレイだった...。
いつまでも、いつまでも撫でていたかったし冷たい足先を両手で包んでいたかったが時間は残酷なほど速く過ぎ、家を出る時間が近付いた。
父と二人ではなを抱え、はなが好きだった場所に「はな、ここ好きやったやろ、もう最後よ。」と声をかけながら周り、車に積んだ。
の中でも父はずっとはなの傍にいました。
母は客室、私は一徹がグズるので屋上へ...
神々しい日の出が拝めました。
父ははなが本当に可愛く、生き甲斐でした。 はなもまた父が1番好きな、大切な人でした。
出来る限り、父にお別れをさせてあげようと時間を作りました。
道を間違えたのでは? と思うほど、細く急な坂道を上がったところにペットの葬儀場はありました。
もう、本当に最後のお別れです。 もう、可愛いはなの姿は... 永遠になくなります。
棺に入れる前、重さを量ります。 父と母 「はなぁ、ありがとう。バイバイ...」
はなが大好きだったボール・
・お父さんの靴下・ごはんも入れて... 可愛い季節のお花を入れてあげられなかったのが無念です。
炉に入れる前にはお経をあげてくださり、お焼香もします。そして胸を抉られるような着火の音...。
やがてはなは黒い煙となって、風に乗って虹の橋へと昇って行きました...。
お骨になった姿を見てやっと、諦めがつきました。
はなの柔らかな匂いも、絹のような被毛も、美しい筋肉も、皮膚の感触も... この目が、この鼻が、この手が覚えています。
お骨を骨壷に拾い、私はカプセルに犬歯を入れ、高松の家にも置けるように少し持って帰りました。
ここまで書く間にも何度となく泣きました。昨日からずっと、相が変わるほど泣いています。
そしてまだ当分、泣くと思います。
父は最後の最後まで「どうして」「どうして」と繰り返し、今も、姿がなくなったものの愛娘の突然死を受け入れられないでいるようです。
昨年暮れの入院、大晦日に退院してはなと感動の対面を果たし‘これから’という時の今生の別れ...。
今日もいつもの時間に「はな~、お散歩行くよー」と、1人で歩きに行ったそうです。
母も「もっとこうしてやれば良かった」と、後悔ばかりだと...。
そして私は...
ペットショップで1匹のゴールデンレトリーバーの女の子を選んだ時のことからが浮かび、悔いることと問うことばかり...。
はなはうちの子で良かったのかなぁ、幸せだったのかなぁ...。
生後6ヶ月の可愛い盛りにドッグトレーニングの学校に3ヶ月も入れることなかったなぁ...。
初めて一徹を連れて帰った時のはなのショックを受けた顔が今も焼き付いて離れません。「えぇっ
もう私だけじゃないの
」って...。
父の入院中、毎週末帰ってお散歩させてた時、「あぁしんどい、面倒臭い」と少しでも思ったこと。
グルーミングが嫌いで大きな音を怖がるはなに無理矢理ホースドライヤーをかけたこと。
もっともっと頻繁に帰ってあげれば良かった。
あげて行くと本当にきりがないのですが、1番、悔やんでも悔やみきれないのが...
先々週、はなに会うのが最後になってしまったあの日に母と、はなが1番嫌いな‘大声で喧嘩’をしてしまったことです。
何よりも争いと大声を嫌うはなでした...。
2002年 1月 19日生まれのゴールデンレトリーバーの女の子 名前は‘はな’とつけられました。
幼い頃は少々腕白で、お母さんにしょっちゅう叱られていました。
生まれてからたった8年と5日で、はなちゃんを愛する人たちに覚悟もさせてくれないまま、虹の橋へと旅立って行きました。
優しくて思慮深い性格の彼女は、穏やかな思い出と愛だけを残して...。
愛しい愛しい‘はな’ 2010年 1月 23日没
大変長くなりましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました
今日は1日「昨日の今頃は...」「昨日の今は...」と、はなを偲ぶばかりでした。
これからもずっとはなの思い出と一緒に生きて行きます。
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