『tokotoko』

Fortune comes in at the merry gate.

『1+1=1 1(イチタスイチハイチ イチ)』

2012-08-03 | 立ち直っていく、という時に。
昨日、東京・渋谷アップリンクにて、
『『1+1=1 1(イチタスイチハイチ イチ)』を観てきました

美しい絵に、哀しいことや、寂しいことが挟まれていました。
美しいシーンで、心がパシャっとシャッターをきりました。

スクリーンの中の人たちが、哀しいことをしているから、
ほんとうは、ぼんやりしか残したくないのに。

鮮明な絵が、残る映画になりました。



監督/矢崎仁司

『三月のライオン』『ストロベリーショートケイクス』『スイートリトルライズ』
『不倫純愛』ほか。

 

 

脚本/矢崎仁司/武田知愛(映画24区シナリオコース)

撮影/石井勲 照明/大坂章夫

音楽/高速スパム

出演/喜多陽子/粟島瑞丸/松林麗/気谷ゆみか/田口トモロヲ ほか。



私たちの<生きる>日常。

まわりを見渡すと、そこに<ある>日常。

<好きな>ひとの日常。

嫌いな<ヤツ>の日常。

大事な<日>。

人生の<糸>の上の綱渡り。

<生>と<死>と<性>



切り取った物語の中の<日常>が、

とても美しく、そこにあって、

この哀しい一瞬や、寂しい一瞬の、美しさは、

そこで感じるだけで充分だったはずなのに。

私の心は、彼女たちの哀しさにつながれるほど、余裕がないのに、

たくさん、残していった。

せつないけど、誰かがいる。

やさしいけど、寂しい。

ひと。が、いる。いた。

不思議な、映画でした。

高速スパムの音が、ボディブロウのように効きました。



『ふくすけ』

2012-08-03 | 立ち直っていく、という時に。
先日、『作/演出 松尾スズキさんの<<ふくすけ>>』の初日に行ってきました



ズッシリおなかの頭のこころの奥に沈み込む<<ふくすけ>>にとりつかれて、
何も書くことができませんでした。

これを1991年に初演したということも<<ものすごい>>けど、

1998年の再演以降<<いま>>この時代に再演する、
というところもすごい。



東京公演/2012年8月1日(水) ~ 9月2日(日) Bunkamuraシアターコクーン
大阪公演/2012年9月6日(木) ~ 9月13日(木) シアターBRAVA!



上演時間/2時間45分(1幕・1時間25分/休憩15分/2幕・1時間05分)



出演/古田新太/阿部サダヲ/多部未華子/皆川猿時/小松和重/江本純子/宍戸美和公/
村杉蝉之介/平岩紙/少路勇介/オクイシュージ/松尾スズキ/大竹しのぶ

青山祥子/赤池忠訓/井内ミワク/井澤崇行/井上尚/井本洋平/延増静美/
菅井菜穂/鈴真紀史/竹口龍茶/中尾ちひろ/羽鳥名美子/町田水城/矢本悠馬



1991年悪人会議プロデュースとして初演された作品。

悪人会議とは、松尾スズキさんと、
<劇団「パラノイア百貨店」(今はない)>の岡本圭之輔さん
当時劇団「WAHAHA本舗」のメンバーだった村松利史さんにより結成されました。

パラノイア百貨店は、スプラッタ・ホラーの劇団で山崎一さんとかがいらしたところです。

ホラーが苦手な私は残念ながら経験していません。
前列で舞台を観ると、すごく大変で怖かったが楽しかったと聞いたことがあります。

怖くて・・・楽しい
怖いのに楽しい
・・・ない

1998年には日本総合悲劇協会公演として再演されます。

<日本総合悲劇協会(略称ニッソーヒ)>とは、
大人計画がプロデュースする演劇ユニットのことです。

大人計画以外の役者さんも出演しています。



<<奇形児、薬害、宗教ビジネス、テロ・・・>>

『悪』もまた人の姿である。
本性を剥きだしにして、捻じれた愛を追いかける。

やっている方も、ものすごい体力と精神力が必要な舞台だと思いますが、
 それを<<受ける>>観る方にも、体力と精神力が必要です。



コンプレックスを抱える男エスダヒデイチ(古田新太さん)は吃音という設定。

劇団☆新感線の古田新太さんが、この作品では、
妻に翻弄される冴えない中年男性を演じていています。

行方不明になった妻マスを、14年も探し続けているという設定です。

精神のバランスを崩し失踪する妻エスダマス(大竹しのぶさん)。
裁判所の登場のシーン、ビックリしました。笑ったけど、怖かった。

薬害で奇形児として生まれたフクスケ(阿部サダヲさん)。

奇形児として生まれ、奇形人間しか愛せない異常な製薬会社の御曹司に、
青年になるまで監禁されていたという設定です。

古田さんの演じるエスダを、
その妻への純愛にほだされ、手助けするホテトル嬢役は、多部未華子さん。

現在連続ドラマも放映中(浪花少年探偵団)で、大忙しです。
6月半ばまでは『サロメ』に出演していたのに、いつ稽古?いつ撮影?



とある病院の怪しい警備員コオロギ(オクイシュージさん)は、
盲目の妻サカエ(平岩紙さん)に歪んだ愛情を抱いています。

テロリストであるコズマ三姉妹(小松和重さん/江本純子さん/宍戸美和公さん)は、
全く食べれない状態から、歌舞伎町の風俗産業で一発当て、飛ぶ鳥を落とす勢いです。

ひょんなことでマスと出会い、
生み出された<一度死んで生まれなおすゲーム>輪廻転生プレイが大ヒット。

ふくすけを監禁していた製薬会社社長ミスミミツヒコ(松尾スズキさん)は逃走中。

マスはエスダヒデイチとの間に、13年目にしてようやく出来た子供が死産。
この死産の原因は、ミスミ製薬の薬品事故でした。

しかもミスミ製薬の社長ミツヒコ。彼自身は奇形フェチだったのです。
表向きは死産だと偽らせ、実際にはその子供達を引き取って地下室で育てていたのです。

フクスケは、その奇形児達の一人でした。



登場人物たちは心身の何かが欠落しています。

歪んだ部分を持った人が、
持った人と関係し合うことによって、物語が暴走していくのです。

この作品がセンセーショナルで、どこか他人事だった時には、
もしかしたら、こんなふうに何日も抜け出すことができなくなるような重さを、

持たなくてもよかったかもしれません。

震災があり、原発の問題があり、
やさしさやあたたかさ、人とつながることの大切さを感じるいま、

それと同じくらいに、動機が理解できない異常な犯罪の報道に驚かされます。

「人間が描かれている」舞台。
「ほとばしる悪意」が動きまわる舞台。

その舞台と現実が近寄ってしまったからこそ、

ここで何を感じるのか、何を受けとるのか。

そんな意味のある舞台になっている気がします。



古田新太さん、阿部サダヲさん、多部未華子さん、皆川猿時さん、小松和重さん、
江本純子さん、宍戸美和公さん、平岩紙さん、大竹しのぶさん・・・

何もかもを、使って<<くる>>役者さんたちが、投げてきたもの。

松尾スズキさんという演出家が投げてきたものは、

ものすごく重い、剛速球で、
未だ私の心のおなかの底で、煙を出しくすぶっています。

まいりました



『柔らかな犀の角/山崎努』

2012-08-03 | 
先日、山崎努さんの、
『柔らかな犀の角』を読みました



山崎さんの作品は、好きでよく観るのだけど、
山崎さんご自身が、こんな楽しい方だとは・・・

これから映像を観るのが、
もっともっと楽しみになりました



『柔らかな犀の角』は、
週刊文春の連載「私の読書日記」を6年分まとめたものです。

カバー絵も必見です。
ご自身で描かれたものなのだそうです



山崎さんのお話、面白いです。

まえがきの『犀』のはなしから、
心とおなかの奥の方が、ユルっとゆるんでしまいました。

<<インドサイのぷよぷよの角を、張りぼてを想像したら、相当に愉快だった。
「角はきっと犀のプライドなのだ。」>>

本文冒頭は、
私も好きな熊谷守一さんのおはなし。

『独楽 熊谷守一の世界』『熊谷守一 気ままに絵のみち(別冊太陽)』



『王になろうとした男/ジョン・ヒューストン』



<<自伝はカーテンコールでもある。>>

ところどころに書かれた山崎さんの楽しい言葉に、
引っ張られていきます。

山崎さんが語るから、熊谷さんも、ジョン・ヒューストンも、
もっともっと魅力的に感じるような気がします。

人間を好きになる文章です



ある日の日記には、

「たまに気が向くと川縁を散歩する。

 河川敷のなかにブルーテントがあり、
 初老の男二人が日なたぼっこをしたりして、のんびり暮らしている。
 
 以前からよく声をかけるのだが(・・・かけるのか
 未だに相手にしてくれない。・・・」



『東京番外地/森達也』



「あれもこれも世界は不可解なことだらけ。
 殊に人間の芯にはぎっしりと謎がつまっているのだから、そう簡単にわかるわけがない。」



芥川比呂志エッセイ選『ハムレット役者』



山崎さんが19歳の時、
芥川さんの『ハムレット』を観て新劇俳優を目指したということや、

22歳で養成所を卒業したとき、ピックアップしてくださったのも、
芥川さんだったと、感慨深い言葉が続きます



読み進めると、
私も大好きな、小山薫堂さん訳の『まってる。』が。



かわいらしい本なので、
山崎さんのお気に入りの本の中で見つけるとは思えず、

びっくりして嬉しかったです

そしてそこに、<俳優である僕は、「役」が来るのを待っている。>
と添えられてました



鬼海弘雄さんの『東京夢譚』

<川辺の人々、危ない生き方、土着>に描かれている、
山崎さんが出会った人々が、素敵です。ドラマの中のできことみたい。



老人「この辺は月は出ないでしょうね」
山崎「___いや出ます」
老人「え、出ますか。そうですか。・・・」



『一年中わくわくしてた/ロアルド・ダール』



<<<モグラは毎日、体重の半分の量の食べ物を摂取しなければ生きて行けない。
   もし僕がモグラだったら、一日の食事は34キログラム。
   300グラムのステーキを113枚食べることになる。>>>と



『王様と私/ハーバート・ブレスリン』に書かれていた、舞台にたつ俳優さんとしてのお話。





池澤夏樹さんの『きみのためのバラ』や、
『花を運ぶ妹』のセレクトも嬉しかったです

山崎さんは「連夜」に描かれている女医さんやカヲルのような人が好きだとのこと。





『芭蕉紀行/嵐山光三郎』



<<<川にはまろうが車に轢かれようがしかたがない。
   命がけなのである。
   キャラクターをつかむためには捨て身になる必要があるのだ。>>>

俳優という仕事について



『つばさよつばさ/浅田次郎』ロンドンのご友人のお話が素敵です





『オン・ザ・ロード/ジャック・ケルアック』



<<<僕には、自分の気に入った本やビデオをやたらに他人に勧め、
   貸してしまう癖があるので、肝心な物が手元に残らない。>>>

えっ・・・・・・想像



読んでない本でぜったいに読みたいと思ったのは、
<<<『テネシー・ウィリアムズ回想録』はすざまじかった。>>>

すざまじい・・・っていう表現はすごい。
山崎さんが<<すざまじい>>とおっしゃるものを読んでみたいです



同じ自伝は面白いのところに『原田眞人の監督術』





竹中直人さんの『おぢさんの小さな旅?』



<<<・・・肖像画がいい。物語もいい。
   どれもいいキャラクターで演技意欲をそそられる。

   お廻りさんのくせに川で溺れてお母さんに助けられる人は
   丸々と太っているからムリだけど。>>>って



『光の指で触れよ/池澤夏樹』



<<<「他人の体験を否定する権利は誰にもない」
   「大事なのは、この世界で起こっていることぜんぶに対して謙虚になること」、
    このフレーズは重要。>>>と記されています。勉強になります



<虫と詐欺師たち>の、

蟻は左の二番目の足から歩き出すらしい。のくだりも・・・好きです。
奥本大三郎さんの小説も読みたくなりました。



<うとうととたらたら、笑いの王国>
<<<人は笑わずにいるとパンクする。壊れてしまう。せっせと笑いに励もう。>>>

は~い



<声と言葉、恐怖心>

<<<俳優は、その、人がことばと出会う曖昧でスリリングな瞬間を表現することにこだわり、
   あれこれ試行する。

   三國連太郎さんが、
   「ですからぼくはせりふを憶えないで撮影現場に行くこともあるんです」
   
   と声をひそめて教えてくれたことがあった。>>>



『猫を抱いて象と泳ぐ/小川洋子』



<存在と変化、奴隷の愉しさ、送る人>

<<<演技とはすぐに腐ってしまう生まものなのだ、
   いや腐ってゆく「状態」そのものなのだとあらためて感じたりした。>>>

すごい職業だなぁと思いました



『タデ食う虫と作家の眼』
<<<「存在」するためにはたえず「変化」を維持していく必要がある。>>>



<<<撮影現場で一番偉いのは監督である。・・・
   想像力、創造力等々、命以外は全てを監督に捧げる。>>>



<イチロー、傍観、日常のドラマ>

テレビにかじりついてWBCのイチローを観た。山崎さん、
『イチローの流儀』を楽しそうに読んでいるところ、

想像してみたらHAPPYになりました





<とまらない、わからない>

<<<ガキッと音がして、右下の奥歯が抜けた。・・・
   目玉のレンズはとっくにだめになって人工のものに入れ替えた。
   
   目の次は歯か。あちこちパーツが老朽化してくる。
   でもこの少しずつ欠けていく感じ、悪くない。負け惜しみでなく結構楽しい。

   歯が抜ける原因になった・・・塩豆は適当でやめておけばよかった。>>>

こういう先輩の後ろの後ろの後ろを歩いていると
年をとることも怖くなくなる気がします。

そこで穂村弘さんの『整形前夜』



<<<僕の「敵」は塩豆よりも実は殻つき南京豆。
   こいつは証拠の残骸が目の前に山となるから辛い。>>>

同じだ・・・



『タバコ狩り/室井尚』



<<<ひとつの物差しを振りかざし、それ以外の基準を認めない生き方は貧しい。>>>

と書かれていて、

<<<いつかビタミン剤を齧る男をやってみるか。>>>で、結ばれています



<小さな希望、不良少年、女中>

<<<テレビの生番組で放送禁止用語を口にして大目玉を食らったことがある。
   昨今「禁止」が多過ぎないか。>>>

山崎さんの放送禁止用語



<おもしろいせりふ、好きになる、腐蝕の風景>
『考えない人/宮沢章夫』





『南部高速道路』のところで、

<<<いつの場合もわれわれは何かしらトラブルを抱えている。
   事の大小はあっても、いつも悩んだり心を痛めたり。>>>と

全く動じないふうな山崎さんから、こういう言葉が出て来るとホッとする。
人間って、みんな、何かを心のリュックにいれて、重い足を、軽すぎる足を、前に出してる。

そう思いました



『冬の犬/アリステア・マクラウド』



<<<自然はひとのためにあるわけではない。
   なのに人は家畜も農作物も桜もチューリップも自分たちの都合のいいように改良してしまう。
   改良にしては度が過ぎるのではないか。

   ・・・人間の品種改良に手をつけたらどうなるか。
   とりあえず悪人がいなくなってドラマはな、くなり、俳優は失業。>>>



<どんぶらこ>
「どんぶらこ」という語感にはまっている。

これ・・・いいな。私も使おう



『キルトの家』の撮影のことが描かれていました。



<<<悲惨な話を努めて冷静に受けとめるのが僕の役柄、
   というのが当初立てたプランだったのだが、
   ・・・若い俳優の訥々としたせりふに引きずられ、取りみだしてしまったのだ。

   撮り直してもいいと言ってくれた。一瞬迷ったがそのまま使ってもらうことにした。

   いかんともし難い生理は素直に受け容れよう。プランは所詮プランに過ぎない。

   ・・・すべっても転んでも演者しだい、
   優れたシナリオは何が起きても成立するように出来ている。>>>

終りのない毎日を、勉強を、感情をさぐる、
モノ作りの大変さと、

<<いかんともし難い生理は素直に受け容れよう。>>という潔い生き方に、
ここで少し、立ち止まってしまいました。



<臨終図鑑>

<<<僕は俳優としてアマチュアだと思っている。

   長いことやっているから、それなりの技術は覚えた。
   それなりの出演料もいただき、それで食っている。それでもやっぱりアマチュア。

   なぜなら僕は演技について、俳優業について、なんの確信も自信も持っていないからだ。

   そもそも人間はなーんにもわかっていない生き物なのだ。>>>



最後に、ボードビリアン内藤陳さんのことが。



<<<「息、どうするんだっけ」と訊いて、間もなく息をしなくなったという。・・・
    これ、保存したい最後の言葉。>>>



大大大先輩の人間力を感じる1冊でした











作品多いです・・・