『tokotoko』

Fortune comes in at the merry gate.

『六月大歌舞伎/小栗栖の長兵衛』

2012-06-13 | 立ち直っていく、という時に。
先日、新橋演舞場に『六月大歌舞伎』を観に行ってきました



小栗栖の長兵衛(昼の部 11:00~11:56)

長兵衛/中車



馬士弥太八/右近 妹おいね/笑三郎 堀尾茂助/月乃助 猟人伝蔵/弘太郎 
父長九郎/寿猿 巫女小鈴/春猿 僧法善/猿弥 七之助/門之助

市川右近/三代目市川猿之助(二代目市川猿翁)が主宰する21世紀歌舞伎組所属。
歌舞伎のみならず、ドラマ、舞台など、数々出演。

市川笑三郎/岐阜県中津川市出身/15才で三代目市川猿之助に入門。
病気により四月花形歌舞伎公演を休演していた笑三郎さん、元気に綺麗に復帰していらっしゃいました。

市川月乃助/新潟市出身/昭和63年市川段四郎に入門。その後市川猿之助の部屋子となり、
平成16年、猿之助の代役として『新・三国志Ⅲ』の謳凌、関羽をつとめる。
同年、坂東玉三郎の相手役に抜擢される。
ひざを痛め、長時間の正座が困難だということで、歌舞伎を続けるのは大変だと思うけれど、
存在感の大きな人です。

市川弘太郎/第一回「市川右近の会」の『勧進帳』で、太刀持ちにて初舞台。

市川寿猿/6才で女歌舞伎坂東勝治に入門。三代目市川猿之助一門の最古参。

市川春猿/昭和63年3月国立劇場第9期歌舞伎俳優研修を修了。
同年7月に市川猿之助に入門、春猿を名乗る。
美しい女形の春猿さん。バラエティなどにも出演されています。

市川猿弥/2007年には青山円形劇場『シラノ・ド・ベルジュラック』にて、
市川右近さんと共に出演されていました。

市川門之助/七代目の長男。静御前になったかと思えば柳生十兵衛になったり。
すごいですね。



おはなし

小栗栖村の長兵衛は、博打や酒、喧嘩に明け暮れ、村人には嫌われ、家族にも見放されている。
今日も今日で、馬を盗んだ疑いをかけられ、すったもんだの挙句、暴れまわったために、
村人たちにす巻きにされている。

しかし、村に現れた秀吉の家臣により、
長兵衛が謀反を起こした明智光秀を竹槍で討ったのだとわかると、みなの態度は一変する。

長兵衛のことを村の英雄だとほめたたえる中、
長兵衛は竹槍を手に、秀吉の陣のある京へと向かっていく。



岡本綺堂(小説家・劇作家・新歌舞伎作者/半七捕物帳など)の作品。
大正九年初代市川猿翁(当時猿之助)が初演。澤瀉屋(おもだかや)ゆかりの演目。



新中車さん、評価がわかれるだろうとは感じますが、
個人的には、面白い見ごたえのある舞台を味あわせてもらえました。

また観たい・・・と感じました。

台詞は確かに、他の役者の決まった言い用の上に乗っているものとは少し違うと思います。
でも、悪くはないです。むしろ、小さな台詞まできっちりと聞きとることができてよかったです。

映像で香川さんを観ている時は、その演技、目の光り具合とか・・・
なりきり具合(坂の上の雲の正岡子規や龍馬伝の岩崎弥太郎など)に、多分注目していたのだけれど、
今回、歌舞伎という舞台の上で観た時、はじめて、その『声』を意識しました。

どう言い現わしていいのかわからないけれど、透明感のある、あたたかくて深い声。
耳に快く入ってきました。

台詞も面白く、みんな、よく笑っていました。

「俺が(馬を)盗んだかどうだか馬に聞いてみろ。
俺が盗んだのでなければ『ひん』と鳴け。俺が盗んだのなら『モウ』と鳴け」

幼い頃から舞台に立っている人たちに囲まれて、
46才という年齢で舞台に立つ。

それは、並大抵のことではない、思いではないはずだけれど、
舞台にいる中車さんを見ていると、そういう『運命(さだめ)』を持ったひとなのだろうなぁと、
その存在感の光を感じながら思いました。

春猿さんの巫女さんの豹変っぷり、寿猿さん演ずるお父さんの豹変っぷりも面白かったし、
庄屋さんも、お侍に聞かれるたび「いっちにんもござりませぬ」と答えるのがすごく可笑しかった。
まわりの方々が、ガッチリと支えているかんじがしました。

まだはじまって数日の舞台。
楽日に近づくにつれ、舞台は、もっともっと育っていくのだと思います。




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