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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

♬ 独り旅 ♬

父が亡くなって、十年になります。
数え年で八十歳、傘寿だったはずですが、誕生日の十日ほど前に旅立ちました。(≧∇≦)

母親や親戚から聞いた話では、二十歳くらいで徳島県から大阪に出て来て、大きな書店、本屋さんに勤めたそうですが、その店の跡取り息子と仲が悪く、辞めてしまったそうです。(ToT)/~~~

それから、ハイヤーの運転手になり、お客さんづてに母親と知り合ったそうですが、先妻の娘を連れており、いろいろ複雑な境遇だったそうです。m(._.)m

私が生まれた時は、父の実家の暖簾分けで、大阪市内住吉区の公設市場に玩具店、おもちゃ屋さんを営んでおり、母はその店に洋裁店も併設して忙しく働いていました。(^-^)

そんな母親を尻目に、父は競輪などのギャンブルに入れ込んで、多額の借金を作りました。(≧∇≦)

私が小学生の頃には、借金取りから逃れるために家を離れ、私たち家族とは別居となり、守口市内でタクシー運転手をしていました。(^_^)

それから、十数年、、、時を経て、父は我が家に戻りましたが、私は、思春期に暮らすことのなかった父との距離が分からず、またその生き様が理解できず、心の奥底で恨みに似た感情がありましたね。( ; _ ; )/~~~

そんな父も、晩年は、脳梗塞や胃がんなどを患い、入院後は弱り切ってしまいました。m(._.)m

亡くなる二週間くらい前だったでしょうか。病棟の看護婦さんに、父は突然に見舞いに来た私のことを「うちの息子や」と紹介したのでした。(^-^)

見ず知らずの看護婦さんに、私の幼少期のつまらない自慢話をする父に呆れ返りましたが、亡くなってから、不思議なことに、よくその場面を思い出すのです。(^_^)

もしかすると、私にとって、父が私の父であることを実感する、希少な出来事だったのかも知れません。(^。^)

そのほか思い起こすのは、寂しそうな背中の父、、、その波乱万丈の人生の中で、父は何を思い描いていたのでしょうか、、、もはや知る術もありません。( ^_^)/~~~

「独り旅」 

墨絵のような 記憶の彼方には
暮れゆく坂を 辿る痩せた背中
貴方のことを許せない 私が今さら
何にも出来ず 別れたことを 
心の何処かで 悔やんでいる
いずれにしても 誰もが独り旅
生まれた朝も 去りゆく夜も 
たった一人で 見えない道を行く・・・

幻みたいな 幼い頃のこと
家を出てゆく 何も言わぬ背中
貴方のことを愛せない 私は今でも
素直になれず 別れの言葉 
心の何処かで 拒んでいる
いずれにしても 誰もが独り旅
生まれた朝も 去りゆく夜も 
たった一人で 知らない場所へ行く・・・

たった一人で 見えない道を行く・・・

by  祖谷馬関

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