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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

🌸 豊太閤花見行列 🎎

世界文化遺産の「醍醐寺」、、、国宝や重要文化財が多いなど、様々な意味で、その歴史的価値の非常に高い寺院です。m(._.)m

平安時代初期の貞観16年(874年)、弘法大師空海の孫弟子にあたる理源大師「聖宝」が准胝観音と如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開山し、同山頂付近を「醍醐山」と名付けました。(^。^)

醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯(上醍醐)を中心に、多くの修験者の霊場として発展しました。
後に醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を与え、延喜7年(907年)には醍醐天皇の御願により薬師堂が建立されています。(^-^)

その後、醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が成立し、理性院、三宝院(灌頂院)、金剛王院(現・一言寺)、無量光院、報恩院の醍醐五門跡から歴代座主が選ばれるなど、大いに栄えて来ました。(^_^)

室町時代、応仁の乱などで荒廃し、五重塔のみが残されるだけとなりましたが、豊臣秀吉によって三宝院が再興されるなど、伽藍が復興され始め、慶長3年(1598年)に「醍醐の花見」が盛大に行われました。

現存する堂宇のほとんどは桃山時代以降のものですが、どっしりと落ちついた五重塔(国宝)は、天暦6年(952年)、醍醐天皇のご冥福を祈るために朱雀天皇が起工、村上天皇の天暦5年(951)に完成しました。京都府下最古の建造物で、内部の壁画は、日本密教絵画の源流をなすものといわれています。(^-^)

三宝院(庭園は特別史跡・特別名勝)には、桃山時代の豪華な襖絵で飾られた葵の間、秋草の間、勅使の間(重要文化財)に続き、表書院(国宝)があり、史跡に指定された境内は、下醍醐、上醍醐に分かれ、100余りの堂塔が散在します。
毎年2月23日には、「五大力尊仁王会」が行われ、この日に授与される御影は、災難除けのお守りとされています。 (^_^)

そのほか、密教の世界観をあらわす仏像や仏画、仏具があり、密教の特徴的な仏の姿を体現したような重要文化財《五大明王像》や、多面多臂の五大明王を仏画にあらわした国宝《五大尊像》、さらに、国宝《訶梨帝母像》や国宝《文殊渡海図》があります。( ^_^)/~~~

  「醍醐味やせせらぎに識る深雪山
                        桜に霞み立ち眩む塔」

by 祖谷馬関

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