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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

「笈も太刀も五月にかざれ帋幟」 芭蕉

安倍元総理の国葬が営まれました。m(__)m

テレビニュースを見ながら、脳裏に思い浮かんだ、いくつかのキーワードがあります。(^。^)

①この期に及んで
国葬に反対するデモ隊と、賛成派団体との衝突。これを「言論の自由」と傍観する識者のコメントがありましたが、馬関的には、「国葬当日、この期に及んで、未だ世界に恥を晒すか!」と我が国の行方を案じました。( ; _ ; )/~~~

②盟友・戦友
菅元総理の弔辞が素晴らしかったですね。
朴訥としながらも、実感のこもった温かいお話でした。総理の女房役、官房長官ならではのコメント、、、焼鳥屋での総裁選再出馬に向けた説得工作は印象的でした。もっとも、「銀座の」焼鳥屋でしたが。( ^_^)/~~~

③命を賭す
凶弾に倒れた安倍元総理、、、暗殺という形の幕引きでしたが、命懸けで我が国を導いていただいた、真のリーダーでした。
政治家諸君がよく口にする「命を賭す」、、、軽々には使って欲しくないし、使うなら本気で国のために働いていただきたい。!(◎_◎;)

という訳で、国葬を終えた今、あらためて、お伝えしましょう。
「安倍総理、ありがとうございました。安らかにお眠りください」 祖谷馬関

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

さて、「奥の細道」より、今日の一句。

「笈も太刀も五月にかざれ帋幟」 芭蕉

五月に飾れ、と勢いのある句ですね。(^。^)
飾るべき笈や太刀に意味があるようです。(^-^)

ネットで調べてみましょう。(^_^)

(解説)
5月2日。瀬上から佐場野に行き、佐藤兄弟の父元治夫婦及び佐藤兄弟の墓に参る。その後、飯坂温泉へ。ここに大島城があり、ここが佐藤元治の館跡であった。一行は、飯坂に宿泊。夕方から雨。夜更けて強雨。

佐藤庄司とは、義経四天王の佐藤継信、忠信兄弟の父に当たる人物、佐藤基治(さとうもとはる)のことです。
奥州藤原氏に仕えており、飯坂温泉が近いことから、湯の庄司という別名もあります。
継信の妻は若桜、忠信の妻は楓といい、息子である佐藤兄弟が亡くなり深く悲しんでいた義母である乙和御前の前で、亡夫の鎧兜を着て見せ、元気づけたと言われています。

(句意)
佐藤庄司の館跡を訪ねて、義経の太刀や弁慶の笈などをみると、これから訪ねる平泉の悲劇が想われる。いま、薫風香る五月。笈も太刀も五月の風に吹かれてみよ。結句紙幟は座敷に飾る紙製の幟旗。

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

紙幟、こいのぼり!🎏

館跡の主人は、平安末期に信夫郡を治めた佐藤基治。奥州藤原氏の家臣で、飯坂の大鳥城(丸山、現舘ノ山公園)を居城とした武将だそうです。
その息子が、源義経の家来として「義経記」や謡曲などで活躍する佐藤継信、忠信の兄弟。
一族は、平家が滅び鎌倉幕府が成立する戦乱の中で、義経や奥州藤原氏とともに戦い、滅びました。
「古寺」は、その菩提寺(ぼだいじ)「医王寺」とあります。(弁慶の笈、義経の太刀が残されたとされますが、瑠璃光殿という宝物殿にあるのは、弁慶の笈のみで、義経の太刀については、第二次大戦中の混乱により紛失してしまったそうです。)

では、馬関より、返句献上申し上げます。

 「半旗にて彼の人送る秋の暮れ」 祖谷馬関

(注)半旗とは、弔意を示すため、さおの先から三分の一ほど下に掲げる旗。
かつて船上においては、国旗に喪章を付けて弔意を示す弔旗という慣習があったが、洋上では視認しにくいことから、国旗を半下する方法に変化したものである。 現在は、洋上に限らず実施されており、弔意を示すためには原則として半旗を掲げる。
国旗をメインマストの半分まで掲揚する半旗は、英語ではHalf-mastと呼ばれる。


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