この日、京都山科では、次のような「義士祭り」が開かれます。(^-^)
「忠臣蔵」の立役者・大石内蔵助が、吉良邸討ち入りを決意するまで山科に隠棲したことにちなみ、山科区民の扮装による義士隊行列がゆかりの地を練り歩く。京都市東部文化会館では討ち入りの様子を再現したパフォーマンスも行われる。
なお、よくご存知かと思いますが、赤穂事件は、18世紀初頭の元禄年間に、江戸城・松之大廊下で、高家の吉良義央に斬りつけたとして、播磨赤穂藩藩主の浅野長矩が切腹に処せられた事件。さらにその後、亡き主君の浅野長矩に代わり、家臣の大石良雄以下47人が本所の吉良邸に討ち入り、吉良義央らを討った事件を指すもの。
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京都の名刹「泉涌寺」の塔頭「来迎院」には、大石内蔵助建立の茶席「含翠軒」(がんすいけん)があります。
山科の浪宅に程近く、幽邃な静域に建つこの茶席は、大石内蔵助が仇討の成功を祈り、密かに茶を点じながらあらゆる秘策をめぐらせた場所として知られ、赤穂忠臣談合所と言う別名があります。
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毎年、この時期になると、テレビドラマなどで「忠臣蔵」が取り上げられます。(^。^)
これを観るたびに思うのは、大石内蔵助らの「忠義」。
彼らは、確かに主君の仇討ちに動いた訳ですが、その根底に流れるものは、安っぽい恨みなどではなく、崇高な「正義」であったと思うのです。(^-^)
「赤穂乃士恨みにあらず正義なり」 祖谷馬関
(注)義士会は冬の季語。十二月十四日、赤穂浪士が主君の敵、吉良上野介を討ち取った日である。この日各地で、赤穂義士をしのぶ会が催される。東京高輪泉岳寺では、この日多くの人が赤穂義士の墓参に訪れる。