見出し画像

我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

💐 風姿花伝と其の人生 🌹

「世阿弥」、、、殊に有名な能役者ですが、彼は、大和猿楽四座のひとつ、「結崎座」の出身で、後に観世座の祖となる父親の「観阿弥」とともに京都に出てきました。(^o^)

1374年、新熊野神社の演能がきっかけで、将軍・足利義満の寵愛を受けることとなった「世阿弥」は、猿楽能に田楽能の歌舞や曲舞のリズムを取り入れ、「夢幻能」の様式を作り、歌舞を主体とした「幽玄な能」を完成させました。\(^o^)/

ここに、大和猿楽四座とは、南北朝時代に、南都の興福寺に奉仕していた「円満井座」(金春流)、「結崎座」(観世流)、「外山座」(宝生流)、「坂戸座」(金剛流)の四つの座のことを指します。(*^^*)

「世阿弥」の著作「風姿花伝」は、父「観阿弥」の教えに基づいて、能の修行法・心得・演技論・演出論・歴史・能の美学などについて、自身が会得した芸道の視点から解釈を加えた著作です。
本来、真実の後継者に能の真髄を伝えようとして書かれた秘伝ですが、汎用性のある演劇論や芸術論として、教育論、人生論、魅力の美学として、不滅の価値をもつ、と言われています。
また「風姿花伝」からは、「秘すれば花」や「初心忘るべからず」という言葉が知られていますが、その本意は難解であるとされています。(^o^)

少年の頃、新熊野神社の境内で軽やかに能を舞った「世阿弥」、、、三代将軍・足利義満の庇護を受けて「幽玄能」を完成させた輝かしい功績と裏腹に、晩年は不遇で、義満が没し、その後、六代将軍・足利義教の代になると、弾圧が加えられるようになりました。(T_T)

1422年、観世大夫の座を長男の観世元雅に譲り、世阿弥自身は出家しましたが、将軍・足利義教は、元雅の従兄弟にあたる「音阿弥」を重用し、世阿弥・元雅親子は仙洞御所への出入りを禁止され、その地位と興行地盤を着実に奪われました。(;_;)

1432年、長男の観世元雅は伊勢安濃津にて客死、失意の中、世阿弥も1434年に佐渡国に流刑され、1443年に没したとされています。(T_T)/~~~

    「風に舞い花と散るらむ新熊野
                 風姿花伝の申し子と見ゆ」

by 祖谷馬関

コメント一覧

iyabakan2020

応援ありがとうございます。(^。^)
ご褒美を励みに精進いたします。( ^_^)/~~~
関東も急に冷え込んで来たのでは、、、風邪など召されませんよう、ご自愛ください。(^_^)
washiy8
毎日、格調高い素晴らしい短歌をありがとうございます。

地理・歴史は学生時代おさぼりして勉強しませんでしたから
とても爲になります。

試験、頑張ってくださいね。
合格したらご褒美を差し上げますよ・・・
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る