見出し画像

我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

🔥 相国寺の奢りと悲運 🐉

相国承天禅寺、、、いわゆる「相国寺」の正式な名称です。(^。^)

足利義満が発願し、春屋妙葩・義堂周信を招き建築、夢窓疎石が勧請開山とされました。(^-^)

義満は、京都五山の第一位にあった南禅寺(太平興国南禅禅寺)を「五山の上」なる特別枠に上げ奉り、二位にあった天龍寺(暦応資聖禅寺)を第一位に移して、自らの相国寺を第二位としました。( ; _ ; )/~~~

足利尊氏が創建した天龍寺には遠慮しながらも、三位の建仁寺はそのままに留め置いて、第二位に割り込んだ形ですね。(≧∇≦)

当時、日本国王をめざすほど貪欲で、将軍に君臨して権勢を振るっていた義満ですから、さもありなん、、、実は、相国寺には、高さ109メートルもある「七重の大塔」も聳えていたそうです。( ; _ ; )/~~~

その相国寺、度々、火事や兵火、地震や落雷に見舞われ、伽藍は消失を繰り返しました。かの七重塔も、完成の四年後に落雷で焼失しています。(ToT)/~~~

現在、相国寺には、禅寺に必須の三門や仏殿がなく、小さな総門に、「豊臣秀頼」が寄進した現存最古最大の「法堂」が仏殿を兼ねています。(^。^)

奢れる者は久しからず、或いは、怨霊の祟りか、伽藍消失の悲運は、義満の傲慢に帰着するのやも知れません。(≧∇≦)

法堂の鏡天井に「狩野光信」が描いた「蟠龍図」は、手を打つ音などが反響する「鳴き龍」として知られていますが、文字通り、当寺の哀しき経緯を嘆いているのではないでしょうか。( ; _ ; )/~~~

    「三門も仏殿もなき相国寺
                  奢りの蔭や戦火落雷」

by 祖谷馬関

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る