仕事でお世話になった方ですが、木材を看板に掲げ、宮大工の仕事を支える立場で、材木を卸しておられました。
一方、歯に衣着せぬ舌鋒で、よくよく捲し立てられたものです。(≧∇≦)
しかし、その言動の根底にあったのは、森をまた樹木を愛する心、、、そして、人を信じる想いだったのではないでしょうか。(^_^)
急逝に言葉も見つかりませんが、いろいろな局面で渡り合った頃の威勢良き声が耳に蘇ります。( ^_^)/~~~
樹木は、人の手によって育まれ、また、人の手によって倒され、材木となります。(^。^)
材木も、多種多様、、、神殿を構成する良材もあれば、鉋(かんな)によって削られ、鉋屑として終わる切れ端もある。(≧∇≦)
樹木が人か、はたまた、人が樹木か、、、大木の樹齢を超えることのない人間が、チェーンソーで大樹を薙ぎ倒してゆく。( ; _ ; )/~~~
大樹と人では、与えられた時間の幅が余りにも広過ぎて、樹木の伐採には、自然界の尊厳に逆らうような罪悪感がありますね。(^_^)
いずれにせよ、或る材木商との時間が途絶えたことも、また事実。m(._.)m
万感の想いを込めて、御霊を送る一句。
「木は心秋深まりし鉋屑」 祖谷馬関