「聴竹居」なる住宅が大阪と京都の府境にある小さな町、大山崎町に残っています。(^。^)
公式ウェブサイトでは、次のように示されています。(^-^)
建築家・藤井厚二が京都大学で研究した環境工学の成果を生かし5回目の自邸として設計した「聴竹居」(1928年)は、日本の気候風土と日本人の感性やライフスタイルに適合させた普遍的な「日本の住宅」の理想形を提示しています。「聴竹居」は、1999年に日本のモダニズム建築を代表するとしてdocomomo最初の20選に選定され、2017年には建築家が昭和時代に建てた住宅として初めて国の重要文化財に指定されています。
藤井厚二氏は、明治21年(1888)広島県福山市の裕福な造り酒屋の次男として生まれ、東京帝国大学建築学科に進学されたそうです。(^。^)
卒業後、竹中工務店に“初の帝大卒”として入社し、「大阪朝日新聞社社屋」などを手掛け、設計組織の基礎を築きます。7年の勤務の後、退社。欧米視察から帰国後、関西建築界の父・武田五一に招聘され、創設されたばかりの京都帝国大学建築学科の講師となった、とあります。(^-^)
当時、建築家・片山東熊による「京都国立博物館・本館」など、西洋風の公共建築が多く造られていましたが、大正12年(1923)の関東大震災を経験した藤井厚二は、「ただ無条件に外国の建築をまねるのでなく、日本の気候風土に即した住宅を造るにはどうすべきか」を考え、“実験住宅”として自邸を建てていきました。(^_^)
「聴竹居」の重要性は、地球環境と周辺環境に十分な配慮をする「環境共生住宅」であること。
夏場に床下から外気をうまく取り入れ天然のクーラーとする仕掛けなど、現代のSDG’sの概念にもつながる設計思想のモダンな住宅を、約100年も前に実現していたことに驚嘆、敬服します。m(._.)m
「山崎の丘に佇む聴竹居
先人の声遠く谺す」
by 祖谷馬関