「春画」の話をしましたが、江戸期の性風俗についても触れておきましょう。(^。^)
以下、ネットより引用、です🐈⬛
江戸期の人々は、少なくとも武士階級は、性におおらかで、ご飯を食べながら陽気に猥談を交わしていたに違いないと想像する。
また、春画を取り上げた章では、夫婦和合のお守り、セックスの教本、魔よけ、贈答品に江戸土産と、春画が様々に用いられていたことを紹介している。
春画の特徴として著者は、書き入れ(春画に挿入されている短い文章)に注目し、描かれている二人の状況をウイットに富んだ表現で説明したり、笑いを誘ったりする、効用を説く。
たとえば、老婆と男の交合の図に「もうかんにんなされ」「いやはなさぬ」といった具合である。
また、春画が性器をデフォルメし、交合の図を強調していることや、女性の乳房にほとんど関心を示していないこと、射精やオーガズムの回数に強い関心が向けられていることなどから、江戸時代の男女が性をゲームと捉えている感覚や、性行為そのものは稚拙で淡白であったことなどを、指摘する。
さらに、夫が寝ている隣で妻が間男と交合していたりする夜這いの図からは、江戸期の男女には現代のような性のモラルはなく遊戯の一種と捉えられていて、集団の秩序を乱さない限りにおいては性的には無秩序だった状況を読み解いている。
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
いやはや、奔放な性風俗だこと、、、そりゃ、春画も人気だった訳ですね!٩( ᐛ )و
さらに、いわゆる有料版、プロフェッショナルの世界も様々だったようです。m(__)m
遊女の最高位である「花魁」や「太夫」は、一晩お相手していただく値段も数十万円と最高額。
しかも、数十万円とは「その場に行けた人」が支払うお値段で、最低でも3回は通わなければなりませんでしたし、せっかく訪ねても花魁や太夫の機嫌が悪ければ簡単に袖にされてしまいます。
お店でも、派手に遊ばなければ認められませんので、花魁の元へ行くためには現在のお金で400万円~600万円程度は必要だったとされています。
年収が簡単に飛んでしまう世界、、、庶民の手には入らない高嶺の花だったのですね!(°▽°)/
一方で、時代劇でも時々取り上げられる「夜鷹」(^_^)
現在で言う「立ちんぼ」スタイルで、夜道を歩く男性に声を掛け安価で売春を行います。
安い夜鷹だと、一回の値段が蕎麦一杯程度で、安い局見世などで働いていた遊女が、加齢や病気で夜鷹に落ちてしまうケースもあり、性病などにかかっていた率は高かったとされています。
しかも、河原や林の中などに持参したゴザをひいて男性の相手を・・・ということなのでかなり大変だった職業です。
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
江戸時代の歴史に名を残した外国人として、ドイツ人医師の「シーボルト」という人物がいます。
シーボルトは「江戸参府紀行」(えどさんぷきこう)という書物を残し、その中で宿場のひとつである品川について書いています。
品川には「東海道」という、道幅が約9メートルのメインストリートがあり、道の両脇には料理屋や商店などが並んでおり、その中に女郎屋がありました。
シーボルトは東海道で「昼間に遊女屋に入っていく男性」や「遊女と遊び終えて店から出てくる男性」を目にしました。
彼は、この光景について江戸参府紀行で、「日本での遊女屋は料理屋などと同じように、生活に必要な店と考えられている。昼間に遊女屋から出てくるのは、いわばドイツでコーヒー店から出てくるのと同じである。恥ずかしいことではないのだ」と述べています。
シーボルトの驚いた様子が伝わって来ますね。( ^_^)/~~~
「還暦の女郎屋通いや尾花蛸」 祖谷馬関
(注)尾花蛸は晩秋の季語。晩秋の尾花が散る頃の蛸のこと。蛸は初夏から秋にかけて産卵をするので、尾花の頃は産卵後なので味が落ちる。「桜鯛」や「茅花流し」、「卯の花腐し」のように、その時期に咲く花によって時期を表した季題である。
以下、ネットより引用、です🐈⬛
江戸期の人々は、少なくとも武士階級は、性におおらかで、ご飯を食べながら陽気に猥談を交わしていたに違いないと想像する。
また、春画を取り上げた章では、夫婦和合のお守り、セックスの教本、魔よけ、贈答品に江戸土産と、春画が様々に用いられていたことを紹介している。
春画の特徴として著者は、書き入れ(春画に挿入されている短い文章)に注目し、描かれている二人の状況をウイットに富んだ表現で説明したり、笑いを誘ったりする、効用を説く。
たとえば、老婆と男の交合の図に「もうかんにんなされ」「いやはなさぬ」といった具合である。
また、春画が性器をデフォルメし、交合の図を強調していることや、女性の乳房にほとんど関心を示していないこと、射精やオーガズムの回数に強い関心が向けられていることなどから、江戸時代の男女が性をゲームと捉えている感覚や、性行為そのものは稚拙で淡白であったことなどを、指摘する。
さらに、夫が寝ている隣で妻が間男と交合していたりする夜這いの図からは、江戸期の男女には現代のような性のモラルはなく遊戯の一種と捉えられていて、集団の秩序を乱さない限りにおいては性的には無秩序だった状況を読み解いている。
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
いやはや、奔放な性風俗だこと、、、そりゃ、春画も人気だった訳ですね!٩( ᐛ )و
さらに、いわゆる有料版、プロフェッショナルの世界も様々だったようです。m(__)m
遊女の最高位である「花魁」や「太夫」は、一晩お相手していただく値段も数十万円と最高額。
しかも、数十万円とは「その場に行けた人」が支払うお値段で、最低でも3回は通わなければなりませんでしたし、せっかく訪ねても花魁や太夫の機嫌が悪ければ簡単に袖にされてしまいます。
お店でも、派手に遊ばなければ認められませんので、花魁の元へ行くためには現在のお金で400万円~600万円程度は必要だったとされています。
年収が簡単に飛んでしまう世界、、、庶民の手には入らない高嶺の花だったのですね!(°▽°)/
一方で、時代劇でも時々取り上げられる「夜鷹」(^_^)
現在で言う「立ちんぼ」スタイルで、夜道を歩く男性に声を掛け安価で売春を行います。
安い夜鷹だと、一回の値段が蕎麦一杯程度で、安い局見世などで働いていた遊女が、加齢や病気で夜鷹に落ちてしまうケースもあり、性病などにかかっていた率は高かったとされています。
しかも、河原や林の中などに持参したゴザをひいて男性の相手を・・・ということなのでかなり大変だった職業です。
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
江戸時代の歴史に名を残した外国人として、ドイツ人医師の「シーボルト」という人物がいます。
シーボルトは「江戸参府紀行」(えどさんぷきこう)という書物を残し、その中で宿場のひとつである品川について書いています。
品川には「東海道」という、道幅が約9メートルのメインストリートがあり、道の両脇には料理屋や商店などが並んでおり、その中に女郎屋がありました。
シーボルトは東海道で「昼間に遊女屋に入っていく男性」や「遊女と遊び終えて店から出てくる男性」を目にしました。
彼は、この光景について江戸参府紀行で、「日本での遊女屋は料理屋などと同じように、生活に必要な店と考えられている。昼間に遊女屋から出てくるのは、いわばドイツでコーヒー店から出てくるのと同じである。恥ずかしいことではないのだ」と述べています。
シーボルトの驚いた様子が伝わって来ますね。( ^_^)/~~~
「還暦の女郎屋通いや尾花蛸」 祖谷馬関
(注)尾花蛸は晩秋の季語。晩秋の尾花が散る頃の蛸のこと。蛸は初夏から秋にかけて産卵をするので、尾花の頃は産卵後なので味が落ちる。「桜鯛」や「茅花流し」、「卯の花腐し」のように、その時期に咲く花によって時期を表した季題である。