「銀閣寺」、、、正式名称を東山慈照寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つです。(^。^)
室町幕府八代将軍の足利義政によって造営された山荘東山殿を起原とし、義政の没後、臨済宗の寺院となり義政の法号慈照院にちなんで慈照寺と名付けられました。(^-^)
義政は、1473年、足利義尚に将軍職を譲り、1482年から、東山の月待山麓、浄土寺跡地に東山山荘(東山殿)の造営を始めました。(^_^)
1489年に上棟しましたが、義政は完成を見ずに翌年亡くなります。義政死後、夢窓疎石が勧請開山として相国寺の「宝処周財」が入寺して臨済宗の禅寺になりました。m(._.)m
銀閣寺境内には、開山「宝処周財」に因んだ「宝処関」という建物が残っています。(^。^)
戦国時代には荒廃してしまいましたが、江戸時代に入って復興され、現在残っている建造物は銀閣(観音殿)と東求堂のみです。
銀閣も、金閣の様に金箔によって豪華絢爛にする意図があったのかは不明で痕跡は見当たりません。( ; _ ; )/~~~
この銀閣寺、慈照寺の象徴というべきものが「観音殿」(銀閣・国宝)であり、一層を心空殿、二層を潮音閣と命名され、鹿苑寺の舎利殿(金閣)、西芳寺の「瑠璃殿」を踏襲し、唯一現存する室町期の楼閣庭園建築の代表的建造物として有名です。(^。^)
白砂の砂盛り「向月台」と波紋を表現した「銀沙灘」とのコントラストは絶妙であり、そのほか、境内には、茶室「弄清亭」と「お茶の井」などがあり、方丈には、与謝蕪村・池大雅の襖絵が所蔵されています。( ^_^)/~~~
「月待ちの義政公を弔えば
宝処周財慈照寺を開く」
by 祖谷馬関