没後五十年、三島が何を考えて市ヶ谷の自衛隊駐屯地で自決したのか、様々な角度から検証されていました。(^-^)
三島が、ある時から肉体改造に傾倒し、自衛隊に体験入隊、自ら自衛組織である「楯の会」を率いたことはよく知られています。(^_^)
安保反対を唱える東大全共闘の本部に単身で乗り込み、学生たちと渡り合った映像では、三島が、天皇を中心とする日本国家の体系の正当性を唱える様に、最初は警戒していた左翼派の学生たちが段々と聴き入っていく場面が印象的でした。m(__)m
番組では、関係者の証言から、三島は「自身が戦争で生き残った罪悪感」と「天皇を中心とする我が国の歴史文化を守ること」に執着して、行き過ぎた行動に出たのではないか、と結ばれていました。( ; _ ; )/~~~
交友のあったジャーナリストの言葉が胸に迫りました。(^。^)
「三島さんがノーベル賞を取っていたら自決には至らなかった」、「三島さんに欠けていたものがあるとするならば、静かに老いてゆくことだった」、「穏やかに年老いて、もっと素晴らしい文学作品を世に残して欲しかった」( ^_^)/~~~
三島由紀夫は、靖国神社の英霊を敬い、人間宣言を行った昭和天皇を非難し、また、戦後の高度成長期、経済優先の生き方を否定した、と言われます。(^-^)
では、三島は何を求め何を実現したかったのか、この辺りが理解しにくいところですが、三島の理想と日本国家の在り方が乖離してしまっていたことは、紛れもない事実です。( ; _ ; )/~~~
翻って、ロシアのウクライナ侵攻を見ていると、いつ日本が次なる標的になるやも知れません。!(◎_◎;)
右だ左だと思想の別を言っていられない、、、人として生きるか死ぬか、国として残るか滅ぶか、究極の選択を迫られる時、私たちに出来ることは自ずと決まって来るのではないでしょうか?( ; _ ; )/~~~
「祖国(くに)思ひ未来へ散るや桜花」 祖谷馬関
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鶴田浩二「同期の桜」台詞付き