見出し画像

我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

新紙幣と江戸山王祭、なぜ?

新紙幣が発行されました。(^。^)

新たな紙幣は、一万円札が「近代日本経済の父」と呼ばれる渋沢栄一、五千円札は日本で最初の女子留学生としてアメリカで学んだ津田梅子、千円札は破傷風の治療法を開発した細菌学者の北里柴三郎の肖像がデザインされていますね。(^-^)

今回の変更は、現在の紙幣が発行された2004年以来、20年ぶりとのことです。(^_^)

そうかー、もう20年も経つんですねぇ、、、あの頃、馬関は39歳、二人の子供もまだ小学生だったんですね。٩( ᐛ )و

という訳で、新一万円札の「渋沢栄一」氏と関西とのゆかりを探ってみました。( ^_^)/~~~

まずは、大阪ですが、都心部の中之島に現存し、宴会場やホール、レストランとしても活用されている「大阪市中央公会堂」

大阪の株式仲買人岩本栄之助(1877-1916)は亡父の遺訓「利益は社会へ還元」に従い、1911(明治44)年3月に「子孫で死蔵・散逸させるより社会のため」と大阪市に100万円を寄付、それによって大阪市中央公会堂(通称・中之島公会堂)が建てられました。
岩本は、寄付に先立ち渋沢栄一に相談、栄一は岩本の計画を「立派なもの」として事業化を斡旋しました。栄一は公会堂建設のため財団設立を進言、依頼を受けてその顧問にも就任しています。

お次は京都。

明治維新後、首都機能の東京移転で活気を無くした京都府は、産業復興のため海外から技術者を招聘、また海外へ伝習生を派遣して、先端技術の獲得に努めました。
海外で染織を学んだ技術者や京都の政財界人等は、大規模な洋式織物会社の設立について「渋沢栄一」に相談、1887(明治20)年に誕生したのが京都織物会社でした。
栄一は設立以来、実業界を引退するまでの間、同社の相談役、取締役会長等を歴任しています。
当初は鹿鳴館に象徴される欧化政策から洋生地需要が見込まれていたものの、設立が成った年には既に欧化の波は衰退、同社は創業早々に深刻な打撃を被りました。
その後も不況など厳しい状況に遭遇しますが、堅実な経営方針と新素材製織で同社は海外への絹織物輸出にも貢献、事業を拡大して強固な基礎を築くに至りました。

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

東京都知事選挙も終盤、競馬で言うなら「第4コーナーを回って最後の直線へ!」ってとこですかね!?٩( ᐛ )و

石丸伸二知事の誕生を切に願っていますが、現職や蓮舫候補の組織票も厚みがありそうですね、、、しかし、石丸さんはまだまだ若い!(^。^)

石丸東京劇場の第一幕は開けたばかりです、、、政治再建、日本再生に向けて、第二、第三と、新しい幕開けが楽しみです。( ^_^)/~~~

「札新(刷新)や江戸の祭(政)と新紙幣」 祖谷馬関

(注)江戸山王祭は夏の季語。六月七日から十六日にかけて行われる東京千代田区の日枝神社の祭礼。山王祭は、江戸城内に入御した御神輿を、二代将軍秀忠が拝して以来、「天下祭り」として江戸三大祭の筆頭とされる。さらに京の祇園、大阪の天満祭とともに、日本三大祭りも数えられる。隔年で「神幸祭」が行われ華麗な王朝絵巻を行列が都内を巡行する。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る