侘び寂びの世界、、、西洋にはない、我が国独自の美意識、、、若い頃には感じ得なかった魅力がそこにあります。(^-^)
堅苦しい作法は考えものですが、基本を身につけてこその茶道なのでしょう。
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お茶は、鎌倉時代に、建仁寺を開いた「明庵栄西」が宋から茶種を持ち帰り、喫茶法と共に我が国に伝えました。
毎年、建仁寺では、開山降誕会に「四頭茶礼」が行われ、古き禅院の茶礼を今に伝えています。
室町期には、村田珠光が一休宗純や能阿弥から茶礼を学び、禅の精神を取り入れた「草庵の茶」を創始、その後、武野紹鷗に師事した千利休が「茶禅一味」の侘び茶として、茶の湯を大成しました。
江戸時代、千利休の孫にあたる千宗旦は、今につながる、次の三千家を確立しました。
①表千家/江岑宗左/不審庵、残月亭(聚楽第)/紀州徳川家
②裏千家/仙叟宗室/今日庵、又隠(突上げ窓)/加賀前田家
③武者小路千家/一翁宗守/官休庵/讃岐高松松平家
ちなみに、三千家に対し、下流と呼ばれる「籔内家」は、剣仲紹智を初代とし、西本願寺の保護を受けて発展。古田織部好みの茶室「燕庵」、千利休から贈られた「雲脚」を擁する。五代「竹心紹智」は、両足院の露地や林泉を作庭、織田有楽斎の茶室「如庵」(国宝)の写しと言われる茶室「水月亭」がある。
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茶道、、、始めてみたいですね。( ^_^)/~~~
「歳重ね茶の湯を想ふ亥の子餅」 祖谷馬関
(注)亥の子餅は冬の季語。旧暦十月の亥の日の亥の刻には亥の子餅を食べ、無病息災が願われてきた。その歴史は古く、平安時代には行事食とされ、『源氏物語』にも登場する。江戸時代には各地に広まり、猪が多産であることから、豊年や子孫繁栄を願う意味も込められるようになった。猪が火伏の神の愛宕神社のつかいであることから、十一月の亥の日には炬燵や火鉢を出す習慣があり、茶の湯の世界でも、炉開きの菓子として亥の子餅を用意することがある。時代や階層によって、色かたちもさまざまな亥の子餅が作られてきたが、現在ではおはぎのような餡ころ餅が多い。