今朝は深夜の1時過ぎに一度、目が覚め、その後しはらく眠れなくて・・・・
深夜に冷房を入れました。
次に目が覚めたのが4時半でした。
まだ、外は薄暗いです。
その後も、眠れそうになかったので軽くストレッチ運動をしてから、
5時過ぎに朝の散歩に出かけました。
●今朝の寝起き時の血圧は少し高めのー 139/78/65でした。
ちなみに、朝の散歩から戻って直後の血圧は=119/93/61でした。
運動した後は、いつも血圧が低くなります。
今朝の里山の山頂から撮った東にある「城山」です。
太陽は汚れた雲の中に隠れているみたぃ。
まだ、朝の6時前ですが雲も空も かなり汚れていたように思います。
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今日は2023年8月6日ですねー。
8月6日は、何の日でしたかねー?
今日は日曜日ですが,祭日て゛もありませんね。
私の誕生日でもありませんー。
妻の「しん子さん」の誕生日でもありません。
さて、8月6日は、なんの日だったでしょうかー?
この画像は、私が参加した「広島」での原水爆禁止世界大会のメイン会場です。
確か、2015年の8月6日だったと思います。
この日も、とても暑かった記憶があります。
8月6日は、広島に原爆が投下された日ですね。
1945年、8月6日の午前8時15分に「悲劇」が起こりました。
8日6日~12月末までの間だけでも、約14万人の人が亡くなったそうです。
ちなみに、
1945年8月9日の午前11時02分には「長崎」にも原爆が投下されました。
12月末までに亡くなった人は7万人だったそうです。
これまでに亡くなった人の数は広島だけでも30万人を超えていると思いますが、
詳しいことは私は知りません。
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「焼き場の少年」
原爆が投下された日に幼い弟を背中にしよって、焼き場に現れた少年の写真です。
展示している「原爆と人間」の写真は、この「焼き場の少年」以外にも、20枚程度の
写真を展示しているのですが、来られた方のうちの半数の方が、この写真の前で
立ち止まって無言で、しばらく見つめています。
そして、黙って「核兵器廃絶」の署名をして帰られます。
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1945年8月ー
焼き場に10歳くらいの少年がやってきた
少年の背中には2歳にもならない男の子がくくりつけられていた。
少年は焼き場のふちまで進むと、そこで立ち止まる。
わき上がる熱風にも動じない。
係員は背中の幼児を下ろし 足元の燃えさかる炎の上に乗せた。
間もなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳に届く。
炎は熱いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。
私は、彼から目をそらすことが出来なかった。
少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。
一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。
軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で彼は弟を見送ったのだ。
●ジョー・オダネル 元アメリカ海兵隊カメラマンの話です。
1945年
あの原爆は、やはり間違っていた。
それは100年たっても間違いであり続ける。
絶対に間違っている、絶対に。
歴史は 繰り返すというが、くり返しはいけない歴史もあるはず。
たとえ小さな石であっても波紋は広がっていく。
誰かが続いてくれれば波紋はさらに広がっていく。
そして、いつか誰もが平和を実感できる日が来ると信じる。
ジョー・オダネル氏の、言葉より