春夏秋冬 今を生きる

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竜馬への道

2025-02-04 15:30:07 | 朝の散歩道

早いもので2月も4日(火曜日)になりました。

今日~ここ数日間は今季最高の寒さが続くとのことー。

普段は、ほとんど雪の降らない「讃岐平野」にも今朝は朝から

北西からの冷たい風と共に粉雪が舞っていましたが、午後からは本格的に

雪が降り続いています。

もし、このまま降り続ければ明日は雪が積もるかも知れませんね。

雪慣れしていない南国の私たちは心配です。

●これより以下は・・・昨日(2月3日)の画像になります

 

昨日は、しん子さんを見送った後>>>歩きに出かけました。

画像は2月3日・9時過ぎのJR駅前の広場です。

後方に見える山は「像頭山・こんびら山&大麻山」ですね。

駅前~まずは>>>こんぴら山の麓まで歩きます。

昨日は・表参道も・裏参道も通らず・・・旧四国の道を単独で歩きました

今回の目的は・「坂本竜馬さん」にお会いすることにありました。

この街道は当時・讃岐(香川県)と土佐(高知県)と伊予(愛媛県)を結ぶ唯一の街道でした。

土佐の坂本竜馬・中岡慎太郎・ 長州の高杉晋作・・・らが通っていた街道です。

昨日も寒い朝でしたが・人は心一つで心身共に暖かく感じるものなのですねー・

翔真さんは、歩いていると不思議と元気になって来るのです。

冷たい北風の中にも春が近いことを感じとる事ができます。

北風の吹きぬく寒い朝の野山を歩いても苦にはなりません。

むしろ歩いていると楽しいです。

冬の寒い朝・誰れ一人として「歩いている人の姿」を見ることはありませんでした。

ふっと見ると・・・スイセンの花が一凛だけ咲いていたので撮りました。

寒さにも負けず可憐なスイセンが・春の近いことを告げていました。

旧四国の道は・「四国遍路道」とは別にある「四国を一周するコース」です。

私は20代の頃から、この「旧四国の道」の「讃岐の道」を「しん子さん」と

一時、歩いて挑戦しましたが・完歩するには至っていません(笑)

●この画像の「金毘羅街道」は今は舗装していますが・・・

現在も、まだ舗装もしていない山道もかなりあるものと思います。

この画像は。。。街道の途中にある墓所ですねー

つまり・・・墓地ですね。

この地域の有名人の墓所ですね。

●この墓地の中の墓の一部に「親鸞聖人」直筆サイン入りの墓がありますがー。

それはウソだと私は思っています(笑)

法然上人さまは「讃岐に島流しの刑」で追放されて来たようですが・・・

親鸞さまは、四国には来られた形跡がありませんからねー。

映画のロケ地にもなりそうな・静かな道が続きます。

春夏秋冬・どの季節に歩いても心地よい気分になります。

単身で歩くのもよし・友と共にあるくのも善し・ストレス解消・健康にも良しです。

JR駅から、ゆっくりと歩いても、1時間もあれば「牛屋口峠」が見えてきます。

峠の手前が少し広場になっていて、道沿いに「お地蔵さま」の建物があったので

お参りしました。

お地蔵さんから・・・少し進むと「竜馬さん」の銅像が見えてきました。

少し写りが悪いですが・・・「坂本竜馬さん」の銅像です。

腰には脇差の刀をさしています。まぁ、まぁ~・・・の男前ですね(笑)

●竜馬さんの後方に赤く咲いているのは山茶花の花かと思います。

後方には・・・鳥居さんが見えますね。

伊予(愛媛県)~歩いて来て・鳥居をくぐって入ると讃岐の牛屋口峠になります。

鳥居さんの入り口にある・これは「獅子」でしょうかねー?

この地域の人々は毎年、この近辺で「讃岐佐文の獅子舞」祭りをしているみたぃです。

この鳥居さんの傍らには数え切れないほど多数の石灯篭があります。

約50灯篭ほどありましたが・その大半は土佐(高知県)の豪商が奉納したようです。

長州藩の人の名前が刻まれいたのも少しありました。

この牛屋口峠の周辺は・当時「こんぴら参り」に来られる人々で賑わっていたようです。

牛屋口峠から下って・・・来た道とは違った県道まで出て来ました。

更に、県道を東に向かって歩き続けます

枯れ果てた池と・よう分からん石碑があったので撮りました。

これは・・・何の石碑でしょうかねー?

ようわからんけんど・手に剣を持って・怖い鬼さんみたぃな顔をしていました

更に歩いて街中へ出て来て・空を見上げると・・・青空が広がっいました。

束の間の青空でしたが・・・・やはり青空がいいですねー。

今日も午後からは雪です。

多分、今日の牛屋口峠は雪が積もっているかも知れませんね。

更に歩いて我が家まで帰ります。

ここにも昔のなごりの石の標識があります。

右へ○○・・・と刻まれていましたが?  よく分かりません。

ここまで歩い来ると・我が家も間近です。

朝の9時に我が家を出て約2時間半程度の朝の散歩でした。

●この後・久しぶりに○○さんのお宅へ寄ってから帰宅しました。

●下の動画は・記事と全く関係ありません。

令和の○○です・

まんが日本昔ばなし 💛 

コメント (2)
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法然堂への道

2025-02-01 21:56:00 | 朝の散歩道

早いものですねー。今日は2月1日(土曜日)です。

今朝の天気予報では午後になってからは雨とのことでしたが・・・

やはり「しん子さん」の月1回の診察日は雨になりました。

以下は昨日の午前中に出かけた「法然堂への道」の画像になります

9時に家を出て、まずは役場へ出かけました。

先日は税務課と福祉課へ出かけたのですが、今回は福祉課へ出かけました。

前回、相談に行った時も、とても時間がかかって、結局は・・・

無駄に終わる事も多々あります(笑)。

●今回は・しん子さんの「○○申請書」だけを提出して帰りました。

役場での申請書を提出してから外へ出ると、怪しい雲模様でしたが、

歩いて法然堂まで出かけることにしました。

西の空は・少し青空も見えていたので・雨の心配はなさそうです。

久しぶりに隣町にある「法然堂」まで歩きました。

「俺は河原の枯れススキ・私も同じ枯れススキ・」

「どうせ二人は、この世では・花の咲かない枯れススキ・」・・・ですねー

どこにもでもある・冬の田舎の河原です。

●立て看板があります。 

「平安末期」・法然上人さまは・75歳の時に、讃岐へ流刑されています。

人生50年時代での75才の流刑は死罪にも等しいものだったと思います

私たちが住んでいる「讃岐の中讃地方」には・法然上人さまが・説かれた

「南無阿弥陀仏」のゆかりの寺や仮の宿などが数多く残てっいます。

上の画像は>>平安末期に河原の石の上で法然さまが・一休みした場所ですね。

河原で休憩して更に歩き続けます。

私は、里山へは安全安心のため・友と共に歩きますが・・・

お寺を訪ねて歩く時は、一人で出かけることが多いのです

しばらく国道を歩くと・神社があったので、お参りすることにしました。

神社&お寺があると・・・私は、つい寄って見たくなるのです(笑)。

いつの時代でも人は・「神に祈り・仏さまに頼る」ものなのですね。

神社の境内の一角に・得体の知れない・大きな石の造りモノがありました。

巨大な猫―?  それとも犬ー?   ・・・・何かは知りません(笑)

●よく見ると・頭の上に10円玉が置いてあったので・私も10円を置いて

お参りしました(笑)

神社を後にして・・・更に国道を歩いて進みます。

どこでにでもある・田舎の過疎地域の風景ですねー。

しばらく国道・33号線を進むと「○○病院」があります。

こちらの病院の「介護施設」で妻の「しん子さん」がお世話になっています。

更に国道を「高知方面」に向かって歩きます。

高知県まで約105kmの標識が出ていました。

国道を高知方面に・しばらく歩くと・又もや「神社」があったので寄ってみました

神社でお参りします。

何処の神社・お寺さまでも・私がお参りすることは・・・ただ一つだけです

「しん子さんの現状維持と・私の健康維持」です。

●政府による昨年4月の介護報酬引き下げ後、全国的に高齢者の在宅介護を支える

介護事業所の廃業・倒産が増え続けているようですね。

この現状が今後も続けば・高齢者が地域で暮らし続けることは難しくなって来ます。

●私自身も昨年は・介護疲れから「腰を痛め」約1ケ月間ほど、しん子さんの介護が

出来ない日が続き地獄を味わいました(涙)

私が・仏さまに頼るのは・神様に祈るのは・・・介護する私自身の健康です。

もし、私が倒れたら・・・しん子さんも在宅介護は難しくなります。

高台にある神社の境内から・次に向かう「法然堂」を眺めます。

後方に見える山は「財田竜王山」ですね。

国道の端に「法然上人さま」の旧跡と刻まれた石碑がありました。

何の旧跡かは・・・私には分かりません(笑)

旧跡地点から右折すると・赤い橋があります。

0o4 

この橋には「極楽橋」と記されていました。

橋の下には・・・三途の川が流れています(笑)

極楽橋を渡ると・それより先は「極楽浄土」の世界ですねー。

「善人・悪人・老若・男女」を問わず・みな等しく平等に救われる世界ですね。

法然堂の玄関口です。

お寺と言うよりも・・・お堂ですねー。

誰一人といない・静かな場所です。

「南無阿弥陀仏  なむあみだぶつ」と翔真さんも念仏を唱えます。

法然さまは、修行もいらない「ただ・ひたすらに念仏すれば必ず救われる」との

教えを世に導かれた方ですね。

我が本願の あらん限りは 寒くとも 袂にいれよ 西の風

弥陀の国から  吹くと思えば・と石碑に刻まれていました。

少し小高い丘の上から眺める「法然堂」の姿です。

いつの間にか空は青空になっていました。

曇り後・青空ですねー。 青空はいいですねー。

法然上人さまは・・・どうして讃岐に追放されたのでしょうかね・・・???

●平安末期までの仏教は「絶大な権力を持つ貴族の維持繁栄を守るため」の

仏教だったと思いますが・・・???

法然上人・親鸞聖人さまの教えは・民・百姓を救うための仏教であったと思います。

いつの時代も・時の権力に従わなければ追放されるのかもねー。

ここ最近は暗いニュースばかりが続いていましたが、喜ばしいニュースもありました。

●政府の生活保護基準引き下げは生存権を保証した憲法25条に違反するとして

福岡県の生活保護を利用している30人が国を相手取って、基準額の減額処分取り消しを

求めていた裁判において、生活保護を利用している人達が逆転勝訴したとのことー。

昨年の岡山県での裁判でも同様の判決が下されていましたねー。

●森友学園への国有地売却をめぐり、行政文書の改ざんを強いられ自ら命を絶った

財務局職員の赤木さんの妻が国に対し、行政文書の開示を求めていた訴訟でも、

逆転勝訴したようですね。

三権分立・「日本の司法は生きていた」とのですねー

○○省・○○省の官僚のみなさんも・憲法と法律だけは守って下さいね。

 

 

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